潜入取材の執筆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 04:16 UTC 版)
ピューリツァーが精神病院の取材を認めた背景には、ブライがワールド社を訪れる少し前に、ワールド社あてに病院職員からの内部告発の手紙が届いていたことがある。ブラックウェル島(現ルーズベルト島)にあるこの病院では、患者への虐待が相次いでいるとの内容であった。病院については各紙ですでに記事にもなっていたが、病院の内部に入ることはできず、医師や看護師も話を拒んでいたため、実態については不透明だった。 ブライは会社の指示で、患者を装って病院に潜入することとなった。指示を受けたブライは「できます」と答えたが、潜入後に救出される確かな見込みはなく、不安を感じた。 「ネリー・ブラウン」という偽名を使い、キューバ人を装ったブライは、まずマンハッタンの女子臨時宿泊所を訪れた。ここは、身寄りのない女性が数日間宿泊できる場所である。当時は貧困と疲労によって精神を病むキューバからの女性移民がおり、その結果、キューバの女性は精神を病みやすいという噂が流れていた。 ブライは宿泊所の休憩室で誰とも話さずに虚空を見つめ、そうかと思うと奇声を発し、ここにいる人間はみんな頭がおかしいといったようなことを叫んだ。この様子を見た他の寄宿者はブライを恐れて宿泊所を出ようとしたため、管理人は警察に対応をゆだねた。ブライはトランクがないなどと言って退去を拒んだが、警察に連れて行かれ、裁判所で精神鑑定を受けた。この場で精神異常を装ったブライは医師による診断を勝ち得て、ブラックウェル島に送られた。 精神病院での生活は、朝は全員で散歩、その後は部屋で一日中座った状態で過ごさせ、他の人と話したり姿勢を変えたりすることは許されなかった。食事は満足に与えられず、看護師による患者への折檻が絶えなかった。週に一度水風呂に入り、そこでは頭から冷水をバケツでかけられた。 ブライはここでは病人を装わず、自分は健常だと主張したが、認めてもらえなかった。院内での生活を経験し、さらに他の患者から、患者に対する暴力行為の話を聞いたブライは、ここで生活すると精神を病むことになると感じた。入院10日後、ワールド社の弁護士による交渉の結果、ブライは病院から出ることができた。 病院を出たブライは、病院の内実を記した連載記事を書き、それは退院からおよそ1週間後の10月9日からワールド紙に大々的に掲載された。ブライの暴露記事は全米に広がり、話題を呼んだ。この記事は後に『精神病院での10日間』(en:Ten Days in a Mad-House)という本にまとめられた。 ブライの記事を受け、ニューヨークの地区検察局は大陪審を招集した。ブライも証言台に立ち、ブラックウェル島への視察にも同行した。精神病院はブライがいた時とは様変わりしており、住環境はきれいになり、食事も改善していた。ワールド紙は10月28日、「ネリー・ブライの記事 市営精神病院を救う」と題した記事を掲載した。市はブラックウェル島の予算を増額し、他市の市営精神病院も追加予算を計上した。 秘密を調査し暴露するという手法は彼女のトレードマークとなった。病院や工場に潜入したり、公園で女性が連れ去られる事件では自らが実験台となった。政治家の収賄を暴いたこともあった。 一方でブライはバレエを習い舞台にも出演し、その様子を体験記として記事にしたりもした。ブライは有名人となり、新聞には「ネリー・ブライ空を飛ぶ」「ネリー・ブライ催眠術師になる」「ネリー・ブライ囚人になる」といった見出しが躍るようになった。ブライあての手紙も多く届けられた。内容はプロポーズ、脅迫のほか、「私たちのことを新聞に書いてください」と助けを求めるものもあった。
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