文化と名所
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「ウィリストン (ノースダコタ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ウィリストンの町が創設される前からこの地への入植者が交易の拠点、後に軍事的拠点として設けていた砦は、現代では国家歴史登録財に登録されているのみならず、博物館として一般公開されている。ユニオン砦交易所跡では、その敷地南側(ミズーリ川側)に建つ、中核を成す建物であった交易所舎が夏季の間一般公開され、当時の交易者たちが来ていた衣服を模した制服に身を包んだレンジャーが舎内や展示品を解説している。また、砦の敷地では毎年夏に、ネイティブ・アメリカンの音楽、ダンス、伝統工芸等を通じた歴史や文化のイベントや、19世紀にここで行われていた毛皮取引を再現したイベントも行われている。ビュフォード砦跡には火薬庫や衛兵指令室などの遺構が残っており、その遺構のうちの1つである将校宿舎は、当時のグレートプレーンズ地域おける陸軍の暮らしや、軍事拠点における女性の役割などに関する事物を展示する博物館になっている。このビュフォード砦から約800m東にあるミズーリ川・イエローストーン川解釈センターは、この地域における先史から自然史、部族史、入植史に関する事物を展示する博物館である。 市中心部の北、1stアベニュー・ウェストと7thストリートの南西角には、ジェームズ記念図書館を改装したジェームズ記念芸術センターが立地している。同館は芸術作品を収蔵・展示し、また市民向けに芸術教室を開いている。また、同館は5ブロック北にあるハーモン・パークで毎年9月に開かれる芸術祭を主催している。 国家歴史登録財にも登録されている、市中心部の代表的な歴史的建造物の1つである旧武器庫は、1957年に州兵の新武器庫が建てられるとレクリエーションセンターに転用され、それも1983年に新しいものが建てられると、取り壊されて跡地を駐車場にされてしまう危機に遭った。しかし地元の保存運動によって取り壊しを免れ、2000年代に改修を経て舞台芸術センターとなっている。地元劇団のエンターテイメント・インクは、この旧武器庫を本拠としている。また、旧武器庫は一般向けにレンタルもされており、コンサートやダンス、さらには舞台芸術とは関係の無い、結婚式や葬式にも使われている。
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文化と名所
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「マンケイト (ミネソタ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ベッツィーの家(モード・ハート・ラブレイスの生家) レネセリア・D・ハバード邸 マンケイトは「ベッツィーとテイシイ」シリーズで知られる小説家モード・ハート・ラブレイスを生んだ地である。ラブレイス自身を主人公ベッツィーのモデルとした同シリーズの中で、マンケイトもまた、舞台となっている架空の町、ミネソタ州ディーブバレーのモデルとなっている。1892年に建てられたラブレイスの生家、およびその隣に1898年に建てられた、作中でも親友テイシイのモデルとなったラブレイスの親友フランシス・「ビック」・ケニーの家は、ともに保存されており、それぞれ「ベッツィーの家」「テイシイの家」として、博物館および土産物屋になっている。 このほか、マンケイトには南ミネソタ子供博物館、旧マンケイト公立図書館を転用したカーネギー芸術センター、ブルーアース郡の歴史に関する事物を収蔵・展示するブルーアース郡歴史センターといった博物館・美術館が立地している。また、市中心部に位置する、国家歴史登録財にも登録されているレネセリア・D・ハバード邸も、ブルーアース郡歴史協会の管理下で博物館として一般公開されている。 マンケイトには大小様々な公園があり、その総面積は600エーカー(2.43km2)を超える。市西端、ブルーアース川がミネソタ川に合流する地点には、1887年に設置され、初代ミネソタ州知事ヘンリー・ヘイスティングス・シブリーからその名を取った、マンケイト最古の公園、シブリー・パークが立地する。園内にはテニスコートやソフトボール場といったスポーツ施設があり、遊歩道が整備されている。また、同園内にはシブリー・ファームという農場もあり、納屋では家畜が、また池では錦鯉が飼育されている。シブリー・パークからミネソタ川を遡った上流南岸にはミネオパ州立公園が立地している。園内では様々な野鳥が見られるほか、アメリカバイソンが330エーカーの範囲で放し飼いにされ、その群れを見ることができる。その一方で、同園はもともとミネオパという小さな入植地が創られた地であり、また園内には1864年に建てられた風車などの歴史的建築物も残されており、園全体が国定歴史地区および国家歴史登録財に登録されている。また、市中心部の北、ミネソタ川の東岸にはリバーフロント・パークが立地している。同園内には、地元採石業者ベッター・ストーンから1,500tの石材の寄付を受けて造られ、同社の名を冠したベッター・ストーン野外劇場があり、コンサートなどのイベントに使われている。
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文化と名所
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「レイクウッド (オハイオ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ベック芸術センターは市西部のデトロイト・アベニュー沿いに立地している。同センターは劇場、ギャラリー、芸術教室を兼ねた複合芸術センターである。劇場ではプロの劇団によるミュージカル、ドラマ、コメディ等多岐にわたるジャンルの公演に加えて、同センターの演劇プログラムに在籍する6-19歳の生徒の中からオーディションで選抜された青少年劇団による公演も行われている。同センターのギャラリーでは、通年にわたって国内外および地域の芸術家の作品を展示している。また、同センターは館内および地域の学校で、ダンス、音楽、演劇、視覚芸術といった、多岐にわたる芸術講座を開講している。 市北中部のエリー湖岸には31エーカー(125,000m2)のレイクウッド公園が立地している。同園はプール、テニスコート、バスケットボールコート、ソフトボール球場等のスポーツ施設や、子供の遊び場、グリルを備えたピクニックエリアを有する総合公園である。敷地内にはレイクウッド市内最古の石造の家屋が保存されており、内部は博物館になっている。また、2006年には、エリー湖越しにクリーブランドのダウンタウンを望める、レイクフロント・プロムナードというレンガ敷きの遊歩道が開設された。 市北西端、ロッキー川の河口近くの中州にはヨットハーバーが整備されている。この中州には、1878年に創立した地元のヨットクラブ、クリーブランド・ヨット・クラブが本拠を置いている。国道6号線のデトロイト・ロッキーリバー橋は、この中州を見下ろすようにまたいで、ロッキー川に架かっており、レイクウッドと対岸のロッキーリバー市を結んでいる。
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文化と名所
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「エリリア (オハイオ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ロレイン郡歴史センター ヒッコリーズ博物館 ロレイン郡歴史センターはダウンタウンからワシントン・アベニューを北へ、ブラック川を渡ってすぐの所に立地している。同センターはロレイン郡歴史協会の本部として管理事務所を置いているほか、博物館、図書館、土産物店を併設しており、一般に公開している。同センターの建物は、もともとは1857年にイタリアネイト建築様式で建てられた家屋で、1979年に国家歴史登録財に指定された。 ロレイン郡歴史センターの北にはヒッコリーズ博物館が立地している。同館は1895年に建てられた豪邸を博物館に転用したもので、そのロマネスク建築様式の家屋は1974年に国家歴史登録財に指定された。内部は1900年代初頭のロレイン郡における上流階級の家族の暮らしを伝える家具や調度品が保存され、そのまま展示物となっている。 エリリア市内の公園の中でも、とりわけ規模が大きいのが、ダウンタウンから北へ約1km、東西ブラック川の合流点のすぐ下流、西岸に立地するカスケード公園と、東岸に立地するイーライウッドの森である。東西両岸あわせて広さ135エーカー(55ha)におよぶこの公園は、五大湖を形成したものと同じ氷河が形成した渓谷を中心に広がっており、深い森に覆われており、ブラック川の滝もある。また、園内にはピクニックエリアもあり、秋季には紅葉の名所ともなる。この公園では、1920-80年代にかけて、岩窟を利用した檻の中で最大3頭の熊が飼育されていた。
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文化と名所
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ハルベの建築記念物一覧(ドイツ語版)とハルベの自然記念物一覧(ドイツ語版)には、ブランデンブルク州記念物一覧に採録の文化記念碑が記載されている。 福音派感謝教会 (Dankeskirche)。1913年から1914年にかけてクルト・シュタインベルク(ドイツ語版)によって建設。2015年に教会の塔が寄付金によって修復された。 ハルベ森林墓地(ドイツ語版)。ハルベ包囲戦の2万4,000人の犠牲者と、1945年から1947年にあったソ連によるケッチェンドルフ特別収容所(ドイツ語版)の犠牲者で、身元の判明した4,620人が埋葬されている。 ブリーゼンの宮殿 ブラントのトロピカル・アイランズ(ドイツ語版)。世界最大の支柱のないホールで、旧ブラント飛行場(ドイツ語版)の敷地内にある。
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文化と名所
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「ゼインズビル (オハイオ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市内を流れるマスキンガム川は市の名所にもなっている。マスキンガム川はかつて水運に使われており、その流路上11ヶ所に閘門があるが、その第10閘門はゼインズビルにある。1837-41年にかけて建設されたこの閘門は、マスキンガム川では唯一の二重閘門である。この閘門を含む、マスキンガム川の航法システムは、2001年にアメリカ土木学会によって歴史的土木建造物に指定された。また、メイン・ストリートの1ブロック北を通るマーケット・ストリートの西端、この第10閘門の少し上流のマスキンガム河岸にはゼインズ・ランディング公園があり、外輪船ロレーナ号が停泊している。ロレーナ号は夏季の6-10月にかけて、遊覧や予約制のランチ/ディナークルーズに運航される。 第10閘門の下流、リッキング川との合流点には、ゼインズビルのシンボルである、マスキンガム川の東岸とリッキング川の南北両岸を1本の橋で結ぶY字橋が架かっている。最初のY字橋は1814年に架けられ、以後1819年、1832年、1902年、そして1984年に架け替えられ、現在に至っている。100年以上前に、ゼインズビルのある住民が、道に迷った旅行者に「橋の真ん中へ行って左へ曲がりなさい」と案内したという話は、現在でも語り継がれており、ゼインズビルの住民の間ではよく知られたジョークになっている。また、アメリア・イアハートは、このY字橋の存在のため、ゼインズビルは「全米で最も判りやすい街」だと述べた、とも言われている。この橋は1973年に国家歴史登録財に指定された。 市中心部から6thストリート橋を渡ってすぐ、パットナム歴史地区内には、マスキンガム郡内最古の建築物であるインクリース・マシューズ医師の家が保存されている。この家は1805年に建てられたもので、1970年にマスキンガム郡歴史協会に寄贈された後は博物館として一般に公開されている。この家では、軍事史や考古学に関する事物や、ネイティブ・アメリカンの工芸品、キルト、地元のガラス工芸、陶器などが展示されている。 同じくパットナム歴史地区内、このインクリース・マシューズ医師の家の近くには、ストーン・アカデミー史跡・博物館が立地している。この建物はもともと、1809年に、新しい州庁舎とするためにマシューズらが建てたもので、その後は公共の建物として使われ、1830年代には地元における奴隷制度廃止運動の拠点となった。その後1840年に一般の家屋に転用され、現在は博物館となっている。同館ではマッキンタイアー夫妻をはじめとする肖像画や、往時の家具、陶器、ネイティブ・アメリカンの工芸品などが展示されている。また、1870年代にこの建物に住んだ小説家・劇作家・女優・フェミニズム運動家、エリザベス・ロビンスの作品も展示されている。 市中心部から北へ約5km、ミリタリー・ロード沿いにはゼインズビル美術館が立地している。同館はアメリカ合衆国、ヨーロッパ、アジア、アフリカの芸術作品のほか、地元オハイオ州を題材とした作品や、アメリカ合衆国の陶芸品を収蔵・展示している。また、市中心部、シニック・ストリートと4thストリートの南西角には、1,776席のホールと450席のミーティングスペースを有するセクレスト講堂が立地しており、ミュージカル、コンサート、ダンスなどの演技芸術の公演のほか、会議や結婚披露宴にも使われている。
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文化と名所
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バールート/マルクの建築記念物(ドイツ語版)とバールート/マルクの土地記念物(ドイツ語版)にはブランデンブルク州記念物一覧に記載の文化記念物が掲載されている。
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文化と名所
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「ウォーソー (ウィスコンシン州)」の記事における「文化と名所」の解説
マラソン郡歴史協会 左: 博物館 / 右: 事務所・図書館・売店 ダウンタウンの北、4thストリートと5thストリートの間のマッキンドー・ストリート沿いには、マラソン郡歴史協会の所有する、2棟の歴史的家屋が並んでいる。白いクラシカル・リバイバル様式の豪邸は、もともとは1901年に、ミシガン州出身の実業家、サイラス・ヨーキーの邸宅として建てられたものであった。この豪邸は夫妻の死後、1954年に孫によってマラソン郡歴史協会に寄贈され、現在は家屋・庭園ともに、博物館として一般に公開されている。この邸宅は、1974年にサイラス・C・ヨーキー邸として国家歴史登録財に登録された。また、隣に建つレンガ造のプレーリー・スクール様式のウッドソン邸は、1914年に建てられたもので、現在は同協会の事務所、図書館、および売店となっている。 市東部、12thストリートとフランクリン・ストリートの南西角にはリー・ヨーキー・ウッドソン美術館が立地している。同館のチューダー様式の家屋と4エーカー(16,000m2)の敷地はもともとフォレスター家の豪邸で、1973年に寄贈され、1976年に美術館に転用されたものである。同館は特に、開館当時からの収蔵品である、Birds in Art と呼ばれる、野鳥を描いた作品群で知られている。また、ガラス工芸や磁器の作品も収蔵している。また、同館の庭園には彫刻作品が展示されている。 ダウンタウンの中心、400ブロックの東隣には、ウォーソーのみならず州中北部を代表する劇場であるグランド・シアターが立地する。この場所にはもともと、1899年に建てられたグランド・オペラ・ハウスが立地していたが、1927年4月に取り壊され、その跡地に同年11月、感謝祭の日に、クラシカル・リバイバル様式で建てられたグランド・シアターが開館した。1,470席を有するこの劇場では、現在では年間300以上の公演が行われている。 ウォーソーはアウトドアの機会にも恵まれている。ダウンタウンのウォーソー・センター・モールの西側にはウォーソー・ホワイトウォーター・パークが広がっている。ウィスコンシン川の流路を利用した長さ1/3マイル(536.5m)、クラスII/IIIの同園のホワイトウォーターでは、あらゆるレベルの漕ぎ手が街中にいながらにしてホワイトウォーターでのカヌーやカヤックを楽しめるようになっている。また、リブ山の北斜面にはグラニート・ピーク・スキー場が立地している。このスキー場は405エーカー(164,000m2)の敷地に初心者用から超上級者用まで75本のコースを有し、最大標高差700フィート(213.4m)を誇る、中西部随一のスキー場である。また、同スキー場はモーグルのコースや、ジブやジャンプ台を備えた、テライン・パークスというフリースタイルスキー用のコースも有している。
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文化と名所
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「ゴーシェン (インディアナ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ゴーシェンの市中心部、エルクハート郡庁舎のすぐ南東のブロックには、ゴーシェン歴史協会本部とその博物館が立地している。地元の歴史に関する事物を展示しているこの博物館は、もともとは1888年に建てられ、3代にわたって続いたアダムズ・ストアという商店で、1997年に同協会が買い取り、改修した後、博物館に転用したものである。また、同協会はこの博物館のほか、前述の旧ゴーシェン交番や、エルクハート郡庁舎敷地内に造られた、アーミッシュ式のキルト・ガーデンも管理している。 ゴーシェン市内にはメイプルシティ・トレイルと呼ばれる、総延長30マイル(48km)以上におよぶ遊歩道網が整備されている。ノーフォーク・サザン鉄道の軌道沿いに北西へは、エルクハートへと通ずる11.6マイル(18.7km)のメイプルハート・トレイルが整備されている。また、20世紀前半にゴーシェンから北東へ、ミシガン州スタージスとの間を結んでいたスタージス・ゴーシェン・アンド・セントルイス鉄道、通称パンプキンバイン鉄道(Pumpkinvine、カボチャのつるの意)の跡地は、ゴーシェンとラグレンジ郡シップシュワナとの間が舗装され、パンプキンバイン・ネイチャー・トレイルという遊歩道になっている。メイプルハート・トレイル、パンプキンバイン・ネイチャー・トレイルとも、メイプルシティ・トレイルと接続しており、これらを合わせると、エルクハート・ラグレンジ両郡にまたがり、アーミッシュの里を横断する、エルクハート~ゴーシェン~ミドルベリー~シップシュワナを結ぶ25マイル(40km)の遊歩道となっている。 市の東に立地するエルクハート郡4-Hフェアグラウンドでは、毎年7月下旬にエルクハート郡4-Hフェアが行われる。このイベントの前身であるエルクハート・カウンティ・フェアは1851年に地元の農業協会によって始まったもので、1955年に、それまでエルクハートで開かれていたエルクハート郡4Hクラブのフェアと合併し、それ以降はゴーシェンにて現称で開かれている。このイベントはカウンティ・フェア(ステート・フェアの郡単位版)としては全米最大級のもので、9日間にわたる会期中、20万人を超える動員数を誇る。 毎年7月上旬には、ゴーシェン市営空港でアメリカズ・フリーダム・フェストという航空ショーが行われる。このイベントは、時期的にも近接している独立記念日の花火大会や、地元高校生による、国の歴史における愛国的要素を題材とした作文コンテストともタイアップしている。加えて、このイベントにおいては、5km競走/歩や、ローターズ・ン・リブズというヘリコプターのイベントも行われる。 また、市中心部では毎月第1金曜日に、その名も「ファースト・フライデーズ」と呼ばれる、月替わりの様々なイベントが行われる。このイベントは2007年に始まったもので、2020年には新型コロナウイルス感染症流行のため中止されたが、2021年8月に復活した。 2005年に公開された映画「リターン・トゥー・マイ・ラヴ」(原題: Lonesome Jim)は、地元ゴーシェン出身の脚本家ジェームズ・C・ストラウスが脚本を手がけ、ゴーシェンを舞台とした作品で、撮影もゴーシェンで行われた。同作の監督はスティーヴ・ブシェミ、主演はケイシー・アフレックおよびリヴ・タイラーが務めた。
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文化と名所
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「アレン (テキサス州)」の記事における「文化と名所」の解説
市中央部、市庁舎の北東約300mには、ヒューストン・アンド・テキサス・セントラル鉄道の旧アレン駅舎を転用したアレン・ヘリテージ・センターが立地している。同館はアレン・ヘリテージ・ギルドがアレンの歴史に関する事物を収蔵する倉庫として維持しており、月2回、第2・第4土曜日に一般公開されている。また、同館の脇にはミシガン州アッパー半島のレイク・スペリオル・アンド・イシュプミング鉄道で1910年代に使われていた蒸気機関車が静態保存されている。このアレン・ヘリテージ・センターの北東約300m、アレン高校のすぐ南西、アレン・タウン・センターのすぐ北西、アレン・ステーション・パークの南端には、アレン市当局とアレン・ヘリテージ・ギルドが協働で、改修した教会を中心に、市内最古の家屋いくつかを保存し、野外博物館とした、アレン・ヘリテージ・ビレッジが立地している。 ダラス・フォートワース複合都市圏を中心に、ヒューストン都市圏やラボック、さらにはテキサス州外でもコロラド州やミズーリ州セントルイス、オレゴン州ポートランドで子供向けの博物館を運営するプレイ・ストリート・ミュージアムは、市北部、ステイシー・ロードとワターズ・ロードの北東角にアレン館を置いている。アレン館は同チェーン唯一の、「オン・ザ・ゴー」(On the Go)という、触れて学ぶ展示物や遊びを通じて世界を「発見」する博物館となっている。また、市南部のワターズ・クリーク・アット・モントゴメリー・ファームというショッピングモール内には、スウィート・トゥース・ホテルという、ファイバー・アートなどの現代美術に特化した美術館が立地している。 市北部、ステイシー・ロードがセントラル高速道路の下をくぐるガードの南東角にあるショッピングモール、ザ・ビレッジ・アット・アレン内には市営のクレジット・ユニオン・オブ・テキサス・イベント・センターが立地している。この多目的アリーナは2009年にアレン・イベント・センターという名で建てられたもので、アイスホッケーの試合では6,200席、コンサート等のイベントでは7,700-8,100席を設けることができる。このアリーナはアイスホッケーのアレン・アメリカンズ(ECHL西カンファレンス中部地区)、およびインドアサッカーのダラス・サイドキックス(MASL中部地区)が本拠地としている。2021年、地元信用組合のクレジット・ユニオン・オブ・テキサスが7年契約でこのアリーナの命名権を獲得した。 市中央部、アレン高校の西、コットンウッド・クリーク沿いに広がるアレン・ステーション・パークや市東端のセレブレーション・パークなど、アレン市内には大小66の公園およびレクリエーション施設があり、その総面積は1,364エーカー(552ha)にのぼる。また、市内には総延長78.69マイル(126.64km)にのぼる遊歩道も整備されている。アレン・ステーション・パークは野球場・ソフトボール場を有するほか、園北端にはアレン・ウォーター・ステーションの石造ダムが保存され、また園南端にはジ・エッジ(The Edge)という、スケートパーク、ローラーホッケーリンク2面、BMXトラック、およびビジターセンターを有する施設が立地している。セレブレーション・パークは、2003年にアレン市制50周年を記念して造られたものである。同園は野球場・ソフトボール場、バスケットボールコート、テニスコート、サッカーのフィールドといった、各種スポーツ施設を揃えている。また、夏季には子供が水遊びのできる噴水広場も開かれる。 また、前述のクレジット・ユニオン・オブ・テキサス・イベント・センターの隣には、市営のアレン・コミュニティ・アイス・リンクもある。
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文化と名所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 23:00 UTC 版)
「ミシャワカ (インディアナ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市の中心部から南へ約1km、サウス・メイン・ストリート沿いにはハナ・リンダール子供博物館が立地している。同館は1946年に地元教師で、市の初等教育部門の理事を長年務めていたハナ・リンダールの尽力で建てられ、ミシャワカ市学区によって運営されている児童・生徒向けの博物館で、地域の歴史についての様々な事物を展示している。また、館内には姉妹都市である塩尻市にちなんだ事物の展示も兼ねた茶室も設けられている。しかし、同館は2018年より無期限で閉館している。 べセル大学内には、1970年代にインディアナ州知事を、そしてロナルド・レーガン政権下で保健福祉長官を務めた医師、オーティス・ボーウェンに関する事物を収蔵した、オーティス・ボーウェン博物館・資料館があり、予約ベースで公開している。また、2022年には、市中心部にミシャワカ歴史博物館が開館する予定になっている。 市中心部付近のセントジョセフ川両岸はいくつかの公園が整備されている。北岸にはバッテル・パークやセントラル・パークが、また南岸にはビューター・パーク、カム・アイランド・パーク、ケイツ・ガーデン、リンカーン・パークが設けられている。これらの公園は両岸に整備された、リバー・ウォークという遊歩道で結ばれている。また、市の中心部から北東へ約1.5km、やはりセントジョセフ河岸に立地するメリフィールド・パークには、スケートリンクや、オリンピック規格のプールも設けられている。このメリフィールド・パークの南には、ミシャワカと塩尻市との姉妹都市関係を象徴するものとして1987年8月に開園した、「塩尻庭」という池泉回遊式の日本庭園がある。
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文化と名所
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「バーリントン (アイオワ州)」の記事における「文化と名所」の解説
1898年に建てられた旧バーリントン公立図書館を転用した、デモイン郡ヘリテージ・センター博物館はダウンタウンに立地しており、デモイン郡の歴史や、この地に住んできた人々の創作精神を現代に伝える事物を展示している。スネーク・アレイを上りきった、ダウンタウンを見下ろす高台に建つガレット・フェルプス邸は、1851年に建てられた家屋を保存し、博物館として一般公開しているものである。クレーポ公園(後述)内に建つホークアイ丸太小屋博物館は、アイオワへの初期の入植者の暮らしを伝える事物を展示している。これら3つの博物館は、いずれもデモイン郡歴史協会によって運営されている。 ダウンタウンに立地するバーリントン芸術センターは、地元芸術家による作品を展示・販売すると共に、芸術教室を開いている。また、同センターは1967年以来、毎年父の日にスネーク・アレイで芸術祭を主催している。コンサートや演劇などの公演に使われる演技芸術施設としては、1939年に建てられ、ダウンタウンのミシシッピ河畔に立地するバーリントン記念講堂や、1937年に映画館として建てられ、一旦は1977年に閉館したものの、2012年に演技芸術センターとして生まれ変わったキャピトル・シアターが挙げられる。 アイオワ州には北米4大プロスポーツリーグのチームこそ無いものの、バーリントンにはロサンゼルス・エンゼルス傘下のA級マイナーリーグ野球チーム、バーリントン・ビーズが置かれている。ビーズはミッドウェストリーグに所属し、市北西部に立地するコミュニティ・フィールドを本拠地としている。また、毎年5月末には、市街地の15ブロックを使い、コースにスネーク・アレイの上りを含む自転車競技、スネーク・アレイ・クリテリウムが開催される。 市の南東端、ミシシッピ川を見下ろす崖の上には、1895年に開園したクレーポ公園が広がっている。85エーカー(344,000m2)の園内には前述のホークアイ丸太小屋博物館のほか、ミシシッピ川を背にして設けられた野外ステージや、植物園、ゼブロン・パイク記念碑などがある。また、クレーポ公園およびその一帯は、クレーポ公園・植物園歴史地区として国家歴史登録財に登録されている。
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文化と名所
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「エレンズバーグ (ワシントン州)」の記事における「文化と名所」の解説
市の中心部、3rdストリートとパイン・ストリートの南西角にはキッティタス郡歴史博物館が立地している。同館は1961年に開館して以来、地元の歴史に関する事物を収集・保存・展示してきた。このキッティタス郡歴史博物館の北2ブロック、パール・ストリートと5thストリートの南東角の南には、グッデイ・ギャラリー、クライマー美術館、およびエレンズバーグ・ロデオ殿堂の3館が1棟の建物の中に入った、西部芸術・文化センターが立地する。グッデイ・ギャラリーは、西部芸術協会(Western Art Association、WAA)が運営するギャラリーで、新進からベテランまで様々な芸術家の作品の展示を通じて西部芸術の振興を図っている。クライマー美術館は、地元エレンズバーグ出身で、数ある西部芸術家の中でも特に名の知れた、ジョン・クライマーの作品に特化して収蔵、保存、研究、および展示を行っている。エレンズバーグ・ロデオ殿堂は、エレンズバーグのロデオの歴史と伝統を伝える事物を保存し、展示している。西部芸術・文化センターの2棟南に建つギャラリー・ワン視覚芸術センターは、地元芸術家の作品の展示や、一般向けの芸術教室を行っている。また、セントラル・ワシントン大学にも、理学部の文化・環境博物館や、人文・芸術学部のサラ・スパージョン・ギャラリーがある。 市中心部の東、セントラル・ワシントン大学のキャンパスのすぐ南東には、エレンズバーグ・ロデオ・アリーナが立地している。この競技場では毎年、キッティタス・カウンティ・フェアと同日程となる、レイバー・デーの週末から月曜日にかけて、エレンズバーグ・ロデオが行われる。この大会は1923年に始まったもので、当初は地元の牧童たちがやっていたものが次第に大きくなって、現在では600人以上が出場し、400,000ドルを超える賞金も出るプロの大会になった。エレンズバーグ・ロデオは、プロロデオ・カウボーイ協会(PRCA)のエクストリーム・ブルズ・ツアーを成す1戦にもなっている。 その他の主なイベントとしては、毎年1月にキッタイタス郡商業局主催で開かれる地ビール祭であるウィンターホップ・ブリューフェスト、毎年6月第3土曜日に開かれるダックスフントのパレード、毎年7月末の音楽祭「ジャズ・イン・ザ・バレー」(Jazz in the Valley)、および毎年9月末のストリート・パフォーマンスの祭典「バスカーズ・イン・ザ・バーグ」(Buskers in the Burg)が挙げられる。また、毎年5-10月の夏季、毎週土曜日には、パール・ストリートとルビー・ストリートの間の4thアベニュー上でエレンズバーグ農産品市が開かれる。
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文化と名所
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「スチューベンビル (オハイオ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市の起源となったスチューベン砦跡はマーケット・ストリートと3rdストリートの南東角のブロック一帯を占めており、その敷地は公園として整備されている。復元されたスチューベン砦は公園の南東端に立地しており、構成する建物はオハイオが辺境であった当時の兵士や測量者の生活に関する事物を展示する博物館になっている。砦の西に隣接して建っている丸太小屋は、もともとは1801年に建てられた、復元された連邦領土事務所で、内部は砦と同様に、19世紀初頭のこの地における生活に関する事物を展示する博物館になっている。公園の中央に立地するビジターセンターは、スチューベンビルのみならずオハイオ州やアメリカ合衆国の歴史に関する事物を展示する展示ホール、土産物などを販売するミュージアム・ショップ、および観光情報を提供すると共に、市中心部の至るところに描かれている壁画をめぐる散策ツアーの起点となっているインフォメーションセンターを併設している。公園の北東に立地するバークマン野外劇場は、5月から8月までの夏季、毎週木曜日にはスチューベン砦サマーコンサートシリーズとして無料の演奏会が行われるのをはじめ、様々なイベントに使われる。このほか、園内にはベテランズ・メモリアル噴水や、ジェファーソン郡200周年記念の鐘がある。また、園内ではフランシスカン大学スチューベンビルの教授によって1978年以来発掘調査が続けられており、多くの出土物がビジターセンターの展示ホールや、フランシスカン大学スチューベンビルで展示されている。
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文化と名所
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「タラハシー (フロリダ州)」の記事における「文化と名所」の解説
フロリダ州会議事堂は州の政治の中心であるだけでなく、タラハシーの名所の1つにもなっている。州会議事堂の最上階、22階は展望台およびギャラリーになっており、無料で開放されている。また、州会議事堂の前面に建つ旧州会議事堂は、前述の通り博物館になっている。同館は先史時代から植民地時代、南北戦争、公民権運動、冷戦下でのキューバ系移民受け入れ、2000年の大統領選挙に至るまでのフロリダ州の歴史や、歴代州知事、州の自然環境、州の開発に関する事物を常設展示している。また、同館内の州知事室、州議会の上下両院の議場、州最高裁判所はそれぞれ、20世紀初頭の頃のものに復元され、展示室自体が展示物となっている。 州会議事堂の2ブロック西にはフロリダ史博物館が立地している。同館は南北戦争時のフロリダ、第二次世界大戦時下のフロリダ、および「フロリダ」と名付けられた歴代のアメリカ合衆国海軍艦船を常設展示している。また、新しい常設展示コーナーとして、「ラ・フロリダ」と題した、植民地時代のフロリダについての事物を展示するコーナーの開設工事が進められており、2012年3月に第1期分が公開された。 この他の市内の名所としては、フロリダA&M大学のキャンパス内に立地するカーネギー図書館に置かれ、地域のアフリカ系アメリカ人に関する史料を保管・展示する南東地域黒人文書館・研究センター・博物館や、アムトラック駅のすぐ南にあり、50以上のスタジオやギャラリー、店舗が集中し、タラハシーの芸術地区となっているレールロード・スクエアが挙げられる。また、北東郊のI-10と国道90号線とのインターチェンジの直下には、130台以上を数える旧車を中心に、映画「バットマン」シリーズで実際に撮影に使われたバットモービルなど、珍しい車両やその部品等を展示するタラハシー自動車博物館が立地している。 周縁部や郊外には野外博物館もいくつかある。市南西部、タラハシー地域空港の近くに立地するタラハシー博物館は、52エーカー(210,000m2)の敷地を有し、19世紀中盤のフロリダの村や農場を再現した野外博物館、およびフロリダに棲息する動物を飼育・展示する動物園を兼ねている。この地域で最初のスペイン人伝道教会であったミッション・サン・ルイス・デ・アパラチーは復元され、スペイン植民地時代の事物や芸術作品を展示する博物館になっている。南北戦争後に北部の富裕層に買い取られたプランテーションの1つ、グッドウッド・プランテーションは、家屋と庭園の両方が保存され、家屋は農園主の暮らしを伝える博物館に、そして庭園は1年を通して様々な花が咲く植物園になっている。 また、タラハシーのダウンタウンから南へ約20km、ワクラ郡内には、ワクラ・スプリングスという湧水が出ており、周辺一帯はエドワード・ボール・ワクラ・スプリングス州立公園に指定され、保全されている。この湧水を起点とするワクラ川にはワニやマナティーが棲息しており、訪問者はグラスボートからその姿を見ることができる。
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文化と名所
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「カヤホガフォールズ (オハイオ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市中心部のカヤホガ川西岸一帯はフォールズ・リバー・スクエア地区に指定されており、レストランや各種店舗が集中している。河岸にはカヤホガ川の渓谷を見下ろすボードウォークが設けられている。地区内に立地するカヤホガバレー・アート・センターは、ギャラリーで作品を展示すると共に、絵画や陶芸、宝飾などの芸術教室を開いている。また、地区内のパビリオンや野外劇場では様々な催し物が行われる。夏季には噴水で水遊びができ、冬季にはスケートリンクが設けられる。 市の北西部はカヤホガバレー国立公園にかかっている。同園内でカヤホガフォールズの市域に含まれている地域には、メアリー・キャンベル洞窟やブロッサム・ミュージック・センターといった名所がある。メアリー・キャンベル洞窟は、1759年、フレンチ・インディアン戦争の最中にデラウェア族のネイティブ・アメリカンに拉致され、デラウェア族の強制移住に伴ってこの地で暮らすことになった当時12歳の少女、メアリー・キャンベルがデラウェア族の女性たちと共に暮らしていたとされる岩窟である。ブロッサム・ミュージック・センターは、1968年に開場して以来、アメリカ五大オーケストラの1つに数えられるクリーブランド管弦楽団が夏季の本拠地としている野外劇場である。
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文化と名所
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「ナカドーチェス (テキサス州)」の記事における「文化と名所」の解説
スティーブン・F・オースティン州立大学は文化面でもナカドーチェスの中心である。1936年に同学のキャンパス内に建てられたオールド・ストーン・フォートのレプリカは博物館となっており、時期ごとのテーマに沿った歴史的な事物を展示している。また、同じく同学キャンパス内には、同学の森林・農学部の研究植物園でもあるルビー・M・マイズ・ツツジ園が立地する。8エーカー(32,400m2)の園内には、常緑・落葉あわせて550種以上のツツジをはじめ、約100種のツバキや200種以上のアジサイ等が栽培されている。 市中心部のすぐ南東に広がるホヤ・パークの北端には、ストーン・ホヤ邸博物館・図書館が建っている。この邸宅は、地元の豪商で、テキサス独立戦争のリーダーでもあったアドルファス・スターンが、自らの住居とするために1830年に建てたもので、1869年までスターン家の、またその後1958年に市に寄贈されるまでホヤ家の住居であった。市に寄贈された後は、両家の家財道具等が保存された博物館、またテキサス州の史料を保存する図書館となっている。また、同館内には初期のテキサスにおけるワインセラーも展示物として保存されている。ストーン・ホヤ邸は1976年に単体で、また周辺も含めたスターン・ホヤ歴史地区は1992年に、それぞれ国家歴史登録財に登録されている。 市中心部のノース・ストリート沿いにはダースト・テイラー邸が保存されている。この木造の家屋は1835年に建てられたもので、ナカドーチェスに現存するものとしては2番目に古い建物である。この家屋の敷地内には燻製場、鍛冶場、鶏舎、庭園、およびサトウキビ製糖場が保存され、家屋とともに博物館となっている。また、製糖場では毎年第2土曜日にオールド・ファッションド・スウィート・トゥース・シュガーケーンというイベントが開かれる。ダースト・テイラー邸は、2003年に国家歴史登録財に登録されている。 また、毎年6月には、ナカドーチェスの市中心部でテキサス・ブルーベリー・フェスティバルというイベントが開かれる。 1997年、シンガーソングライター・俳優のウィリー・ネルソンは、友人でマンドリン奏者のポール・バスカークと共に演奏するためにナカドーチェスを訪れ、その滞在中に市内のアンコール・スタジオズで、ジャズのカバーをいくつか録音した。この時に録音されたカバー曲は、後に2004年に発売されたカントリーのアルバム、「ナカドーチェス」に収録された。
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文化と名所
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「ノーブルズビル (インディアナ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ハミルトン郡歴史博物館。右はチャールズ・マンソンが収監されていた居房。 ハミルトン郡庁舎の敷地南西隅(コナー・ストリートと8thストリートの北東角)にはハミルトン郡歴史博物館が建っている。この建物は1876年に郡保安官邸兼刑務所として建てられたもので、1977年までその用途に使われた後、ハミルトン郡歴史協会(Hamilton County Historical Society)の本部が入居し、歴史博物館に転用されたものである。同館では関連する事物を展示しているほか、旧保安官邸のビクトリア様式の部屋が復元され、調査・研究用の図書館が設けられ、また、かつてチャールズ・マンソンやデイビッド・カーティス・スティーブンソンを収監した居房も展示物として保存されている。 ハミルトン郡庁舎から南西へ約350m、5thストリートとチェリー・ストリートの北西角にはハミルトン郡芸術家協会(Hamilton County Artists' Association)の本部、およびそのバーディー・ギャラリーが立地している。同協会は1950年に、ノーブルズビルゆかりの芸術家9人が設立したもので、この本部とギャラリーは2006年に、ノーブルズビル市議会の承認により、旧ファースト・バプテスト教会堂を転用したものである。同協会は会員の作品をギャラリーで展示するほか、広く一般に向けて芸術教室も開いている。 市南東部、フィッシャーズとの市境近くにはルオフ音楽センターが立地する。228エーカー(92.3ha)の敷地に建てられているこの野外劇場では、1989年に開場して以来、フランク・シナトラ、コールドプレイ、ジャーニー、ルーク・ブライアン、キングス・オブ・レオン、メタリカをはじめ、様々なジャンルのアーティストによるコンサートが行われてきた。また、この野外劇場は、フィッシャーズが同市の姉妹都市ビレリキー(イギリス・エセックス)との交流の一環として行っている、インディアナ・ルネサンス・フェア(エリザベス1世の黄金時代をテーマとした祭)の会場にもなっている。 市北西端に広がる、ホワイト川の支流であるシセロ・クリークを堰き止めて造った人造湖、モース湖の湖尻付近の湖畔には、人工のビーチも備えた、23エーカー(9.3ha)のモース・パーク・アンド・ビーチが立地している。また、市中心部近くのホワイト側西岸には、ホワイト川カヌー会社の本部が置かれている。同社はその上流18マイル(29km)のパーキンズビルから、下流10マイル(16km)の116thストリート沿い、カーメル/フィッシャーズ市境にあるワピハニ・ランディングまでのホワイト川流路上で、同社のカヌー、カヤック、およびインフレータブルボート(ゴムボート)のサービスを提供している。
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文化と名所
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「タイラー (テキサス州)」の記事における「文化と名所」の解説
タイラーばら園 リバティ・ホール ダウンタウンの西に立地するタイラーばら園は全米最大級のばら園である。同園は14エーカー(56,600m2)の敷地を有し、約500種、35,000本以上のばらを栽培している。同園に併設されているタイラーばら博物館は、タイラーにおけるばら栽培の歴史を中心に、地域の歴史に関する事物全般を展示している。また、毎年10月に開かれるテキサスばら祭では、同園はばら展や茶会の会場となるほか、同園から東テキサスフェアグラウンドへと至るパレードの起点にもなる。 ダウンタウンの東にはタイラー美術館が立地している。同館はローラとダンのベックマン夫妻の寄贈によるメキシコの民芸品をはじめ、1,500点の作品を常設展示している。 ダウンタウンに立地するリバティ・ホールは、もともとは1930年代に建てられた歴史ある劇場で、一旦は閉館したものの、市が買い取って東テキサス交響楽団との協働で再建したものである。この劇場ではコンサートや往年の名画の放映などが行われる。
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文化と名所
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「シャンペーン (イリノイ州)」の記事における「文化と名所」の解説
バージニア・シアター アセンブリー・ホール 1,575席を有するシャンペーンきっての映画館、バージニア・シアターはダウンタウンに立地している。外観がイタリアン・ルネサンス建築様式、内装がスパニッシュ・ルネサンス建築様式のこの映画館は、もともと1921年にボードビルを演じる劇場として建てられ、その後演劇のための劇場としての時代を経て、1980年代に映画館へと転用されたものである。そのため、この映画館の舞台裏には、ボードビル劇場時代からのオルガンや大道具操作場所が残っている。また、この映画館では毎年4月に、ロジャー・エバート映画祭が開かれる。 イリノイ大学のキャンパス内には、ドーム型の屋根を持ち、横から見ると卵型をした同学のアリーナ、アセンブリー・ホールが立地している。16,000席を有するこの多目的アリーナでは、ファイティング・イリニの男女バスケットボールの試合のほか、ポップスやロックのコンサート、ブロードウェイのミュージカルの公演なども行われる。 イリノイ大学のキャンパス内に立地するスパーロック博物館は、古代文明や南北アメリカ大陸の先住民など、100万年にわたる人類史に関する、6つの大陸すべてからの出土物を収集・展示しており、そのコレクションは40,000点にのぼる。同じくイリノイ大学のキャンパス内に立地する、同学芸術学部のクラナート美術館は、古代エジプトから現代の写真に至るまで、9,000点の作品を常設展示物として収集・展示している。
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文化と名所
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「アンダーソン (インディアナ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市中心部のランドマークともなっているパラマウント・シアターはメリディアン・ストリートと12thストリートの北東角に立地している。この劇場はジョン・エバーソンが設計し、1929年に建てられたもので、パラマウントが所有していたことからこの名がついた。エバーソンが得意とした、アトモスフェリック・シアターと呼ばれる様式で、内装はスペインの家屋や町並みを、また天井は星空を模していた。この劇場ではボードビルの上演、および映画の上映が行われていた。当初の設計では7階建てで、ホテルや、その最上階のボールルームも設けられる予定であったが、世界恐慌の影響で3階建てに縮小された。1985年に閉館後、1989年には取り壊しの危機にあったが、地元の弁護士が始めた保存活動が功を奏し、改修後、1995年に再開館した。再開館にあたっては、席を広く取るために1,700席から1,458席に減らされた。また、当初の設計にあったボールルームが3階に設けられた。再開館後、この劇場は、建てられた当初と同様に映画の上映のほか、様々な公演やイベントに用いられている。パラマウント・シアターは、改修中の1991年に単体で国家歴史登録財に指定された後、2006年に市中心部がアンダーソン・ダウンタウン歴史地区として国家歴史登録財に指定された際に、その構成物件の1つとなっている。 パラマウント・シアターから北へ2ブロック、西へ1ブロック、10thストリートとジャクソン・ストリートの北東角にはアンダーソン美術館が立地している。同館はもともとは、1890年代の天然ガスブームの最中にアンダーソンに移り住み、数々の事業を成功させた実業家、ウィリアム・ジョン・アルフォードの娘ネリーが、1966年にその家屋と土地を寄贈して開館したものであった。収蔵品の増加により手狭になったため、1998年、同館は1905年に建てられたカーネギー図書館に移転してきた。このカーネギー図書館自体は美術館が移転してくる前、1985年に国家歴史登録財に指定されていた。同館は様々な芸術作品を収蔵・展示するほか、館内外での芸術教室も開催している。 市中心部のやや北側、メリディアン・ストリートの1本東を通るメイン・ストリートと、7thストリートとの北東角、ホワイト川の河岸近くには、グリューンウォルド・ハウスが建っている。第二帝政期建築様式のこの家屋は、1860年にアンダーソンに移入したドイツ系移民で、そこから10年で実業家として成功し、アンダーソン有数の富豪の1人となった、マーティン・グリューンウォルドの邸宅であった。もともとの家屋は1860年に建てられたものであったが、1873年にグリューンウォルドが増築して完成させた。この家屋は1970年に市が歴史的家屋として保存すべく買い取り、修復した後、博物館としてその庭園とともに一般に公開されている。また、同館では南北戦争時の史料も調査・研究用に保存している。グリューンウォルド・ハウスは、1976年に単体で国家歴史登録財に指定され、その後アンダーソン・ダウンタウン歴史地区の構成物件の1つとなっている。 市中心部から南西へ約2kmに立地するアンダーソン・スピードウェイは、1周1/4マイル(402m)のショートトラックのオーバルコースである。このサーキットでは、毎年メモリアル・デーの前々日、すなわちインディ500の前日の土曜日に、リトル500というレースが行われる。 アンダーソンは「ピーナッツ」の中でも言及されている。作中でスヌーピーが愛読する、架空の作家ヘレン・スウィートストーリーによる「うさちゃんシリーズ」(The Six Bunny Wunnies)の1つには、1971年4月13日に初出の「6ひきのうさちゃん、インディアナ州のアンダーソンで途中下車」(The Six Bunny Wunnies and Their Layover in Anderson, Indiana)というタイトルの本がある。なお、「ピーナッツ」の作者、チャールズ・M・シュルツは、1963年にアンダーソン大学より名誉学位を授与されている。
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文化と名所
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「ウェストフィールド (インディアナ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市の中心部、メイン・ストリートの1本北を通るペン・ストリートと、ユニオン・ストリートの1本東を通るエルム・アレイとの北東角にはウェストフィールド・ワシントン歴史協会本部・博物館が立地している。同協会は、1984年に創設150周年を記念して、ハミルトン郡歴史協会の助力を得て市史が出版されたのを機に、ウェストフィールドの歴史への関心が高まったのを受けて1995年に設立された。その後2008年、旧消防署に同協会本部が入居し、同協会の歴史博物館とした。同館は主として、ウェストフィールド、およびワシントン郡区の歴史に関する事物を収蔵・展示している。2021年、同協会は1835年にウェストフィールドに入植したニコラス・バーカーの丸太小屋を市庁舎の隣に復元すべく、その資金集めのために煉瓦を一般に販売し始めた。この煉瓦には購入者(個人・法人問わず)の名が刻まれ、丸太小屋に通ずる歩道に敷かれる。 市北西部、191stストリートに設けられた国道31号線のインターチェンジの西には、2014年に開園した、グランド・パークという運動公園が立地している。北を191stストリート、南を186thストリート、西をスプリング・ミル・ロード、東をトムリンソン・ロードに囲まれ、東端部にはモノン・トレイルも通る、400エーカー(162ha)の園内には、西側から中央部にかけて31面の多目的フィールド(主にサッカー、フットボール、フィールドホッケー、およびラクロスに用いられる)、東側に26面の野球場(ソフトボールにも用いられる)、および中央部北側に屋内のイベント・センターが設けられている。また、園内中央部南側には、地元NBAチーム、インディアナ・ペイサーズの名を冠した、ペイサーズ・アスレチック・センターが設けられている。2016年1月に開館したこのアリーナは8面のバスケットボールコートを取ることができ、バスケットボールのほか、バレーボールやフットサルにも使われている。同園はリトルリーグ・ワールドシリーズの五大湖地区予選や、ビッグ・テン・カンファレンスの男女サッカートーナメントの会場として使われてきた。また、2017年には、地元NFLチーム、インディアナポリス・コルツが、毎年恒例のトレーニングキャンプ会場として、同園と10年契約を結んだ。同園は毎年、延べ250万人以上の利用客を数え、また同園がウェストフィールドにもたらす経済投資は15億ドルにのぼる。
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文化と名所
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「ペアランド (テキサス州)」の記事における「文化と名所」の解説
市南部、マクリーン・ロード沿いにはスリ・ミーナークシ寺院が立地している。インド産の御影石で造られたこの寺院はマドゥライのミーナークシ寺院のレプリカで、インド国外では唯一の、結婚の女神ミーナークシを祀ったものである。寺院内にはミーナークシのほか、シヴァ、ヴィシュヌ、およびラクシュミーの祠も置かれている。4月にはミーナークシの祭であるチッチライ祭が、また10月にはディーワーリーがここで開かれる。また、寺院のビジターセンター内にある食堂では、サモサ、タマリンドライス、マサラドーサといった、本場南インドの菜食料理が提供されている。
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文化と名所
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「ニューアーク (オハイオ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ザ・ワークスはダウンタウンの南東端に立地している。同館は1996年に開館した、美術館、歴史博物館、自然科学博物館を兼ねる総合博物館で、スミソニアン協会とも提携している。同館は芸術作品を展示するギャラリー、ガラス工芸品の制作を実演するのみならず、見学者も体験できるガラス工房、ニューアークやリッキング郡の郷土史に関する事物を展示する歴史展示コーナー、見学者が手で触れて学ぶことのできる展示物を展示するインタラクティブ・サイエンス・ラボ、および科学ショーや実演の行われる科学劇場を備えている。また、同館はSTEM教育の拠点ともなっている。STEMとは科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Math)の頭文字をとったものである。 ダウンタウンの西、7thストリートとチャーチ・ストリートの南東角には、1831年に建てられたギリシア・リバイバル建築様式のサミュエル・D・キング邸を移築・転用した、ナショナル・ハイジー・グラス博物館が立地している。1974年に開館した同館は、ニューアークで創業し、20世紀前半には一世を風靡しながらも1957年に閉鎖した、ハイジー・グラス社が制作したガラス工芸品5,000点以上を展示している。 リッキング郡地方裁判所の向かい、2ndストリートとノース・パーク・プレースの北西角には、ニューアークを代表する演技芸術施設であるミッドランド劇場が立地している。同劇場は1928年に開場し、映画の放映や演劇、コメディ、バレエなどの公演に使われてきた。1978年には一度閉鎖し、その後14年間は廃墟と化していたが、1992年にザ・ロンガバーガー・カンパニーがこの劇場を買い取り、8年の歳月と850万ドルの費用を投じて改装、改修した。しかし、同劇場の運営はザ・ロンガバーガー・カンパニーではなく、地元有志による非営利団体、ニューアーク・ミッドランド劇場協会によってなされている。 ドーズ植物園 - 左: ドーズウッド・ハウス博物館 / 中央: 日本庭園 / 右: 園内で展示されている盆栽 ダウンタウンから州道13号線を南へ約10km、リッキング郡区内にはドーズ植物園が立地している。同園はもともとは1860年代に造られたジョン・ブランバックの農場で、1917年にコロンバスに住むビーマン・ドーズが別荘として買い取ったものであった。やがてドーズ夫妻はこの別荘の敷地に50本のサトウカエデを植えたのを皮切りに、敷地に50,000本以上の木を植え、1929年にドーズ植物園として開園した。同園は1,800エーカー(7,280,000m2)の敷地を有し、園内には全長19kmにおよぶ遊歩道が設けられている。また、園内には1963年に京都大学の造園学講師(当時)であった中村一が設計した日本庭園もある。もともとブランバック邸、そしてドーズの別荘であった豪邸は、園内に保存されてドーズウッド・ハウス博物館となっており、19-20世紀のアンティーク家具や、ドーズ一家の収集品、当時の生活を物語る展示物が展示されている。
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文化と名所
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「フリーモント (ネブラスカ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市北西部、ネイ・アベニューと16thストリートの北西角のブロックにはルイス・E・メイ歴史博物館が立地している。このクラシカル・リバイバル建築様式の建物は、もともとは1874年にイタリアネット・リバイバル様式で建てられたセロン・ネイの邸宅で、息子に相続された後、1912年に改築されたものである。現在では、家屋は博物館として、また敷地は植物園として一般公開されている。同館の建物は、1977年に国家歴史登録財に登録された。 フリーモントにおける鉄道の歴史は、市北西部、19thストリートとサマーズ・アベニューの丁字路の突き当たりに立地するネブラスカ鉄道博物館によって現代に伝えられている。また、同館はフリーモント・アンド・エルクホーン・バレー鉄道として、17マイル(27.4km)北のフーパーまで、不定期でイベントとして列車を走らせている。 市中心部、5thストリートと6thストリートの間のブロード・ストリート沿いにはラブ・ラーソン・オペラハウスが立地する。この劇場は1888年に建てられたもので、当時は5階建ての建物の上部3階層を占め、1,100席の客席数を誇った。しかし、この劇場はわずか28年で閉鎖され、上層階はその後100年近く、一般には公開されなかった。しかし、2011年の改修で生まれ変わり、その後は市を代表する演技芸術施設であるのみならず、各種のイベントにも用いられるレンタルスペースを備えた複合施設となっている。ラブ・ラーソン・オペラハウスは、1974年に国家歴史登録財に登録された。 毎年7月第2週の週末3日間には、市名の由来となったジョン・C・フレモントの名を冠したジョン・C・フレモント・デイズというイベントが行われる。会期中、市内の至る所でパレードやロデオ、スパム料理コンテストなど様々な催し物が行われ、また各種の露店が並ぶ。
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文化と名所
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「コロンバス (ネブラスカ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市南西部に広がるポーニー公園の一角には、コロンバス出身で、ニューオーリンズで財を成し、第二次世界大戦のヒギンズ・ボートの設計で知られる造船家・実業家アンドリュー・ジャクソン・ヒギンズを讃える、アンドリュー・ジャクソン・ヒギンズ国立記念公園が設けられている。同園内にはヒギンズの銅像が立ち、また、上陸した戦士たちの像と共にヒギンズ・ボートのレプリカが展示されている。また、ノルマンディーや朝鮮、ベトナム等、歴史的に大きな意味を持つ海岸の砂も展示されている。 市中心部に立地するグラーズ・タバーンは1876年に建てられたもので、現在も営業中のものとしてはミズーリ川以西で最古の酒場である。「バッファロー・ビル」ことウィリアム・フレデリック・コディーはコロンバスを頻繁に訪れいていた頃、この店の常連であった。グラーズ・タバーンは1975年に国家歴史登録財に登録された。
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文化と名所
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「ウィンストン・セーラム」の記事における「文化と名所」の解説
オールド・セーラム歴史地区は、前述の通り地区自体が博物館となっている歴史的な名所であるが、T・ボグラーの鉄砲鍛冶屋やセーラム・タバンなど、この地区に移築された入植地時代の建物のいくつかは、博物館として一般に公開されている。地区内の庭園も一般公開されており、入植地時代のセーラムを物語る史料としての役割を果たしている。また、このオールド・セーラムの地区内に立地する初期南部装飾美術館(MESDA)は、南北カロライナ両州をはじめ、周辺のバージニア州、メリーランド州、ケンタッキー州、テネシー州、ジョージア州を含めた南部における、1670年代から19世紀初頭に至るまでの、芸術作品および工芸作品を展示している。 オールド・セーラムの外にも、博物館や美術館はいくつか立地している。市北西部、ウェイクフォレスト大学のキャンパスの近くに立地するレイノルダ・ハウス美術館(英語版)は、1917年に建てられたR.J.レイノルズの豪邸を、美術館に転用して一般公開しているものである。同館はアルバート・ビアスタット、メアリー・カサット、フレデリック・チャーチ、ジョン・シングルトン・コプリー、トマス・エイキンズ、ジェイコブ・ローレンス(英語版)、ジョージア・オキーフ、グラント・ウッドなどによるアメリカ近代美術作品を主に展示しているほか、家具や内装なども20世紀初頭の南部における装飾芸術作品として保存・展示している。このレイノルダ・ハウス美術館の近くに立地する南東部現代芸術センター(SECCA)は、アメリカ合衆国内外の現代芸術作品を展示するほか、地元芸術家による作品の展示や芸術教室の開講といった、地域に密着した活動も行っている。市北部に立地するサイワークスは、フーコーの振り子をはじめ、物理学、音響学、健康科学、生物学の各分野の展示品を展示している科学博物館で、プラネタリウムも有している。また、サイワークスに併設する科学環境公園では動物の飼育や、触れて学ぶことのできる野外展示物を展示している。
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文化と名所
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「アレクサンドリア (ルイジアナ州)」の記事における「文化と名所」の解説
アレクサンドリア美術館 アーナ・ボンタン・アフリカン・アメリカン博物館 カフリン・ソーンダース演技芸術センター アレクサンドリアの文化施設はダウンタウンの文化芸術地区に集中している。市庁舎から2ndストリートをまたいだ北東側にはアレクサンドリア美術館が立地する。同館はもともと1898年に建てられ、1980年に国家歴史登録財に登録されたラピッズ・バンク・ビルディングを転用し、1998年に開館したものである。同館は特にルイジアナ州や南部出身の芸術家、南部文化を反映した作品を制作した芸術家、南部に大きな影響を与えた、もしくは南部から大きな影響を受けた芸術家による、20-21世紀の作品に注力しており、約800点を常設展示物として収蔵している。同じくダウンタウンの文化芸術地区、ワシントン・ストリートと5thストリートの南角には、アレクサンドリアおよびルイジアナ州の歴史に関する事物を収蔵・展示するルイジアナ歴史博物館が立地している。同館は1907年に建てられ、1989年に国家歴史登録財に登録された旧アレクサンドリア図書館本館を転用したものである。 このほか、ダウンタウンの文化芸術地区に立地する美術館や博物館としては、ツリーハウス子供博物館や、アレクサンドリア出身の詩人で、ハーレム・ルネサンスの担い手の1人でもあった、アーナ・ボンタンの生家を博物館として一般公開しているアーナ・ボンタン・アフリカン・アメリカン博物館が挙げられる。また、地元オーケストラのラピッズ交響楽団や、地元劇団のラニャップ・シアター・カンパニーが本拠地としているカフリン・ソーンダース演技芸術センターも、文化芸術地区内に立地している。 ダウンタウンから西へ約6.5km、市西部のコロシアム・ブールバード(州道28号線)沿いにはラピッズ郡コロシアムが立地している。この多目的アリーナは1965年の開場以来、コンサートやスポーツイベント、プロレスの興行、ロデオなど、様々なイベントに使われてきた。過去には、エルヴィス・プレスリーのコンサート(1977年)、キング牧師の演説(1966年)、ロナルド・レーガンの演説(1975年)もこのアリーナで行われた。また、ダウンタウンの南西約3km、市域中央部には、1926年に開園したアレクサンドリア動物園が立地している。同園は中南米を模した「ジャガーの園」、ルイジアナ州に棲息する動物、アジア、アフリカ、オーストラリアの5つのテーマを持ったゾーンに分かれており、160種にのぼる動物を飼育している。 毎年2月には、1994年に始まった歴史の浅いものではあるが、マルディグラのパレードが行われる。また、ダウンタウンでは年2回、春と冬に、フランス語で「パーティー」を意味する、フェット(Fête)というイベントが行われる。どちらのフェットでも、ダウンタウンには屋台が立ち並び、特設ステージではライブの演奏会が行われる。加えて、5月初頭に行われるアレックス・リバー・フェットでは、レッド川でドラゴンボートのレースや、芸術作品の展示会、クラシックカーの展示会が行われる。12月初頭のアレックス・ウィンター・フェットでは、ダウンタウンに特設のスケートリンクが設けられるほか、5kmの持久走大会や、アグリー・クリスマス・セーターのコンテストが行われる。
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文化と名所
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「スポケーンバレー (ワシントン州の市)」の記事における「文化と名所」の解説
市域中央部、スプレイグ・アベニューとパインズ・ロードの南西角近くにはスポケーンバレー・ヘリテージ博物館が立地している。ミッション・リバイバル様式の同館の建物は、1912年にオポチュニティ郡区庁舎として建てられたもので、2005年に地元の歴史に関する事物を収蔵・調査・展示する博物館に転用された。また、同館の建物は、2005年に国家歴史登録財に指定されている。 市西端、ブロードウェイとハバナ・ストリートの南東角に立地するスポケーン・カウンティ・フェア・アンド・エクスポ・センターでは、毎年レイバー・デー後の金曜日から10日間にわたって、スポケーン郡インターステート・フェアが行われる。このイベントはワシントンがまだ準州だった時代、1886年にワシントン・アンド・アイダホ・フェアとして始まった。会期中には特設ステージでのコンサート等様々なパフォーマンス、ロデオや家畜市等が行われ、飲食物や各種商品、土産物等の出店も出る。 インターステート・フェアの会場となっているスポケーン・カウンティ・フェア・アンド・エクスポ・センターは、97エーカー(39.3ha)の敷地に、合計140,000ft2(13,000m2)を超える展示スペース、200頭近い馬を収容できる厩舎、ロデオアリーナ等、14の建物を有している。また、敷地内には、地元マイナーリーグチームのスポケーン・インディアンス(コロラド・ロッキーズ傘下ハイA級、ハイAウエスト所属)の本拠地となっている、アビスコ・スタジアムも立地している。アビスコ・スタジアムは、毎年9月下旬の2日間に開かれる、インランド・ノースウェスト・クラフトビール・フェスティバルの会場にもなっている。 また、毎年9月下旬の3日間には、市北部のスポケーン川沿いに広がるミラボー・ポイント・パークで、バレーフェストというイベントが開かれる。会場となっているミラボー・ポイント・パークは55エーカー(22.3ha)の広さを有し、園内には湿地帯や滝などの自然を残しつつ、センタープレース地域イベントセンターや、遊びを通じての学びを目的としたディスカバリー・プレイグラウンドなどの施設もあり、遊歩道も整備されている。
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文化と名所
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「コールドウェル (アイダホ州)」の記事における「文化と名所」の解説
バン・スライク農業博物館は市中心部の南西、メモリアル・パーク内のハリソン・ストリートと6thアベニューの角に立地している。この野外博物館は1917年にこの地に移入した農民C・M・バン・スライクの名を冠し、1934年に設置されたものである。同館敷地内には、1864年に建てられた2棟の小屋が保存のために移築され、また、オレゴン・ショート・ライン鉄道から寄贈された車掌車および冷蔵車が静態保存され、バン・スライク家が入植初期に使用した農具がコールドウェルの農業の歴史を伝える展示物として展示されている。 市中心部のすぐ南東、メイン・ストリートと12thアベニューの西角には、アワ・メモリーズ・インディアン・クリーク博物館が立地している。同館は1950年代に建てられた医院(後に歯科医院)の建物を、2006年にキャニオン郡歴史協会が委託を受ける形で、歴史博物館に転用したものである。同館はキャニオン郡の歴史に関する事物や新聞記事、書籍を収蔵・展示している。 また、カレッジ・オブ・アイダホのキャンパス内には、オーマ・J・スミス自然史博物館、ローゼンサール・ギャラリー・オブ・アート、およびウィッテンバーグ・プラネタリウムがあり、いずれも一般に公開されている。また、850席を有するジュウェット講堂、および200席のラングロイース・リサイタル・ホールは、いずれも同学の芸術系の専攻のみならず、地域の舞台芸術の公演にも使われている。 市中心部のキンボール・アベニューとアーサー・ストリートの北角にはインディアン・クリーク・プラザが立地している。2018年に完成したこの広場では、シンコ・デ・マヨ、独立記念日、インディアン・クリーク・フェスティバル、ドッグトーバーフェスト(犬・ホットドッグ・オクトーバーフェストをかけたかばん語)等の季節性のものから、農産品市や収穫祭、毎週火曜日のコンサート等、年間200以上のイベントが行われ、延べ150,000人以上を動員する。また、冬季にはスケートリンクが設けられ、延べ45,000人以上が訪れる。 市中心部の南東、カレッジ・オブ・アイダホのキャンパスにも程近い、ブレイン・ストリート沿いに立地するロデオアリーナでは、毎年8月にコールドウェル・ナイト・ロデオという、1925年から続くロデオの大会が行われる。
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文化と名所
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「スパークス (ネバダ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ビクトリアン・アベニューとピラミッド・ウェイの北西角にはスパークス・ヘリテージ博物館が立地している。同館は1985年に市庁舎の地下で開館した後、市当局が提供した空き店舗跡を経て、1995年に現在地にあったスパークス治安判事庁舎を郡当局が寄贈し、転用したものである。同館は、スパークスやトラッキー川氾濫原に関する事物、写真や印刷物を収蔵・保存し、展示している。また、館外にも中国系の鉄道労働者が建造した橋、サザン・パシフィック鉄道駅のレプリカや、同社の蒸気機関車などが展示されている。 ナゲット・カジノ・リゾートには、その敷地内に2019年に開設された、ナゲット・イベント・センターという8,500席を取れる野外劇場が立地しており、コンサートなどに使われている。また、毎年レイバー・デーの週には、ビクトリアン・スクエアで、ベスト・イン・ザ・ウェスト・ナゲット・リブ・クックオフという、バーベキューリブの祭典が、ナゲット・カジノ・リゾート後援で開かれる。このイベントはコンテストも兼ねており、優勝店舗には賞金も出る。 市南東部にあるスパークス・マリーナ・パークは、ヘルムズ湖という、帯水層を水源とする77エーカー(0.31km2)の湖の周囲に造られている。同園にはマリーナや人工のビーチ、釣り桟橋等の施設が設けられ、湖でのウィンドサーフィン/セーリング、遊泳、スクーバダイビング、釣り、ボートといった活動が可能になっている。また、園内にはドッグラン、バレーボールコート、遊具、ピクニックエリアといった施設も設けられている。 スパークスの東に広がる砂漠の中では、「世界的に有名な」を屋号として自称する、マスタング・ランチという売春宿が1967年から営業している。なお、この売春宿の住所はスパークスであるが、リノ・スパークス両市を含むワショー郡では売春は違法であり、実際の所在地はスパークスからは東へ約20km離れた、売春が合法なストーリー郡内である。
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文化と名所
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「ディッキンソン (ノースダコタ州)」の記事における「文化と名所」の解説
ディッキンソン博物館センターは市中心部の北、I-94の61番出口の近くに立地している。同センターは12エーカー(48,600m2)の敷地を有し、バッドランズ恐竜博物館、ジョアキム地域博物館、プレーリー・アウトポスト・パーク、および開拓者機械ホールの4館から成っている。バッドランズ恐竜博物館は恐竜の化石の収蔵及び展示においてはノースダコタ州最大級を誇り、トリケラトプスの頭蓋骨や、6体の全身化石を含む、数百点以上の化石を展示している。また、同館では鉱物の展示や、手で触れて学ぶことのできる展示物もある。ジョアキム地域博物館は「プレーリーの女王都市」と呼ばれるディッキンソンや、ノースダコタ州南西部の歴史に関する事物を収蔵・展示している。敷地の大部分を占めるプレーリー・アウトポスト・パークは、州南西部における歴史的・民族的な建造物を再現した野外博物館で、メモリアル・デーからレイバー・デーまでの夏季のみ一般公開される。開拓者機械ホールは、歴史的な農業機械を収蔵・展示するもので、プレーリー・アウトポスト・パークと同様、メモリアル・デーからレイバー・デーまで一般公開される。 市中心部の西、ディッキンソン州立大学のキャンパスの南にはウクライナ文化研究所が立地する。同研究所は1980年に、ノースダコタ州のウクライナ系住民がウクライナの文化保全を目的に、ディッキンソン州立大学との合意の下に設立したものである。同館は「プィーサンカ」と呼ばれる、ウクライナ伝統の装飾を施したイースター・エッグをはじめとする、ウクライナの民族芸術や、文化的・宗教的事物の展示を行い、図書館も有している。また、同館はウクライナの国民食であるピエロギの製造・販売も行っている。大斎の時期には、同館では大斎料理も供される。同館はウクライナ伝統のダンス等が披露される、文化的なイベントも行っている。
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文化と名所
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「フィッシャーズ (インディアナ州)」の記事における「文化と名所」の解説
市北西部に立地する野外歴史博物館、コナー・プレーリーは、前述の通り、もともとはこの地への最初の入植者で、1818年にセントメアリーズ条約が締結された際に義父ウィリアム・アンダーソン酋長の通訳を務めた、ウィリアム・コナーの家屋と土地であった。しかし、1855年にコナーが死去した後、1871年にその子孫たちによって土地が売却され、家屋も荒廃した。その後1934年、イーライリリー・アンド・カンパニーの創業者イーライ・リリーの孫で、同社の社長であったイーライ・リリー・ジュニアがこの土地と家屋を買い取り、「生きた歴史」を伝える博物館として一般に公開し始めたのが、このコナー・プレーリーの始まりであった。1964年、リリーはアーラム大学にこのコナー・プレーリーの管理を託し、自らはその資金と土地を寄付した。しかし1990年代後期から、管理体制上および財務上の問題が出始め、2005年に300万ドルの累積赤字を出し、コナー・プレーリーはアーラム大学から独立した。 コナー・プレーリーの敷地内に再現されたレナペ族のウィグワム(左)と丸太小屋(右) コナー・プレーリーの敷地内はいくつかのエリアに分かれており、前述の通り国家歴史登録財に指定されているウィリアム・コナー邸が保存されているほか、レナペ族の村や、1836年の大草原の町、1859年の気球飛行、1863年の南北戦争時下の町などが再現されている。また、当時の農場でよく見られた家畜も飼育している。また、伝統料理、陶芸、鍛冶、皮革加工、ショトーカなどの体験講座も開いている。1998-2019年には、「北極星を目指して」(Follow the North Star)という、地下鉄道を使って逃亡する奴隷を疑似体験させることで学ばせる講座もあり、アメリカ博物館協会等から受賞もしていたが、その一方で奴隷制を美化するものだという批判も受け、2019年秋には見直しを迫られて一旦、無期限の中断に入っている。また、毎年夏季、6月下旬から9月中旬までは、インディアナポリス交響楽団がコナー・プレーリーを会場として、シンフォニー・オン・ザ・プレーリー(Symphony on the Prairie)という音楽祭を開いている。期間中は毎週末、同楽団の演奏をはじめ、ポップスやロックも含む幅広いジャンルのコンサートが行われる。コナー・プレーリーは、スミソニアン協会の提携博物館ともなっている。 市庁舎のすぐ北には2012年に建てられたニッケル・プレート地区野外劇場が立地している。毎年夏季には、この野外劇場は様々なイベントに使われる。6-8月の毎週水曜日の昼食時間帯、正午から午後1時には、この野外劇場で音楽をはじめとした、様々な舞台芸術の公演が行われる。また、やはり6-8月の毎週金曜日夜には、様々なジャンルのコンサートが行われる。5-9月の毎週土曜日午前中に開かれる農産品市でも、この野外劇場で様々な公演が行われる。毎年レイバー・デーの前々日および前日の週末には、「夏を締めくくる」イベントとして、ブルース祭がこの野外劇場で開かれる。 また、スパーク!フィッシャーズもフィッシャーズを代表する夏のイベントの1つである。毎年6月最終週にニッケル・プレート地区で行われるこのイベントでは、ニッケル・プレート地区野外劇場でのコンサートに加えて、5km競走/歩と子供用0.5km競走、自動車・芸術ショー、パレードなどが行われ、最後は花火の打ち上げで締めくくる。ストリート・フェアでは、市庁舎を取り囲むミュニシパル・ドライブ沿いに飲食物や土産物などの出店が立ち、116thストリートに観覧車も立てられる。このイベントは1989年に始まった、「フリーダム・フェスティバル」と呼ばれていた同様のものを前身とし、2018年に現在の名で再出発した。
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文化と名所
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「リーグシティ (テキサス州)」の記事における「文化と名所」の解説
市北端、クリア・クリーク沿いに設置されているヘリテージ・パーク内には、バトラー・ロングホーン博物館が立地している。同館はもともと、地元銀行家ウォールター・ホールの邸宅だったが、2002年に市当局がテキサス州公園・野生動物局からの400,000ドルにのぼる助成金でその家屋と敷地を買い取り、改装して2009年5月に博物館として一般に公開し始めたものである。同館は地元住民ミルビー・バトラーがテキサスロングホーンを絶滅の危機から救うにあたって果たした役割を伝えると共に、リーグシティの歴史に関する事物を収蔵・展示している。 市北東端、クリア・クリークがガルベストン湾に流れ込む河口に形成されているクリア湖は、全米でも有数のプレジャーボートのメッカであり.、その南岸、リーグシティ側には、サウスショア・ハーバー・リゾート・アンド・カンファレンスセンターという、マリーナを備えたリゾートが立地している。近隣のクリア・クリーク自然センターや、湖のすぐ北西に立地するジョンソン宇宙センター等ともあわせて、一帯の名所となっている。
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文化と名所
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「ペンサコーラ (フロリダ州)」の記事における「文化と名所」の解説
国立海軍航空博物館はペンサコーラ海軍航空基地(英語版)の敷地内に立地している。同館の展示スペース、および37エーカー(150,000m2)の敷地内には、カーチス NC-4やSBD ドーントレス、F-14 トムキャットをはじめ、アメリカ合衆国海軍、海兵隊、および沿岸警備隊の航空機150機が修復され、展示・保存されている。また、館内にはIMAXシアターやフライトシミュレータもある。 ペンサコーラ海軍航空基地の敷地内にはペンサコーラ灯台も立地している。1859年に建てられたこの灯台は現役で稼働しているが、一般にも公開されており、観光客が上ることもできる。隣接して建つ灯台守小屋は1869年に建てられ、修復されたもので、内部は郷土史博物館になっている。 ダウンタウンのペンサコーラ歴史地区内に立地するT・T・ウェントワース・ジュニア・フロリダ州立博物館は、元々は1908年に建てられた旧市庁舎を歴史博物館に転用したもので、ペンサコーラやフロリダの歴史に関する事物を展示している。 ペンサコーラ歴史地区の西に隣接するペンサコーラ芸術地区には、その名の通り芸術施設が集中している。芸術地区内に立地するペンサコーラ美術館は、もともとは1906年に市の刑務所として建てられたスパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式の建築物で、1954年に市が刑務所を移転することになった後に、美術館として転用されたものである。同館は主に20世紀以降のキュビズム、写実主義、ポップアート、抽象絵画、フォークアート、イラストなどの近現代芸術作品を常設展示している。また、ヨーロッパやアメリカ合衆国のガラス工芸や、アフリカの絵画・彫刻などの作品も展示している。 ペンサコーラ美術館のすぐ近くにはペンサコーラ文化センターが立地している。同センターはエスカンビア郡の刑務所を演技芸術施設に転用したもので、地元劇団のペンサコーラ・リトル・シアター、およびバレエ・ペンサコーラの公演が行われる。また、同じく芸術地区内に立地するシーンガー劇場は、1925年に建てられたスペイン・バロック建築様式の劇場で、ペンサコーラ交響楽団やブロードウェイのミュージカルの公演も行われる。
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文化と名所
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「バーミリオン (サウスダコタ州)」の記事における「文化と名所」の解説
サウスダコタ大学は市の文化の中心でもある。キャンパス内に立地する国立音楽博物館は、古楽器から現代楽器まで、ストラディバリウスをはじめとする貴重な楽器から世界各地の民族楽器に至るまで、15,000点以上の楽器を所蔵・展示している。同館はニューヨーク・タイムズ紙でも「音楽のスミソニアン」と紹介されている。なお、2019年11月現在、国立音楽博物館は増築および改修のために閉館しており、再開館は2021年の予定となっている。 同じくサウスダコタ大学のキャンパス内にはW・H・オーバー博物館が立地する。同館は動植物の標本や化石、鉱石など、サウスダコタ州の自然史および文化史に関する事物を所蔵・展示している。 キャンパス内にはダコタドームという多目的アリーナも建っている。1979年に建てられた、最大10,000席を有するこのアリーナは、サウスダコタ・コヨーテズのフットボール、陸上競技、および競泳・飛び込みの各チームの本拠地となっている。また、コヨーテズの試合のほかには、このアリーナは高校フットボールの州大会決勝や、ダコタ農業ショーなどのイベントにも使われている。
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文化と名所
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「セントクラウド (ミネソタ州)」の記事における「文化と名所」の解説
スターンズ歴史博物館 セント・メアリー大聖堂 採石場公園 クレメンス・ガーデンズ セントクラウドのダウンタウンから西南西へ約3.5km、市西端の33rdアベニューと2ndストリート・サウスの南西角にはスターンズ歴史博物館が立地している。同館とその研究センターはスターンズ郡およびミネソタ州中央部の歴史に関する事物を収蔵し、展示することを通じて住民と歴史・文化を結び付けることを目的としている。同館の主な展示物としては、スターンズ郡の自然史や入植史、パン自動車会社などが挙げられる。また、同館はセントクラウドの歴史において顕著な実績を残した女性たちに関する展示も行っている。 セントクラウドのダウンタウンにはパラマウント芸術センターが立地する。同館は1921年に建てられたシャーマン・シアターという劇場を改修したもので、劇場のほかギャラリーやスタジオも有し、芸術教室も開かれている。 市の南西には採石場公園が立地する。683エーカー(27.64km2)の広さを持つこの公園は、セントクラウドを「御影石の街」と呼ばせしめ、1992年まで採掘が行われていた、御影石の採石場跡を公園へと変えて1998年に開園したものである。大小さまざまな採石場跡は、遊泳やスクーバダイビング、ロッククライミング等に使われている。また、冬季にはクロスカントリースキーのコースも設けられている。 セントクラウド州立大学からミシシッピ川を渡った対岸には、ムンシンガー・ガーデンズ、およびクレメンス・ガーデンズという2つの植物園が立地している。ムンシンガー・ガーデンズは、1890年に建てられた製材所を、1930年に市の公園局長に就任したジョセフ・ムンシンガーが公園に変え、その後温室等の設備を建てて植物園としたものである。その東隣のクレメンス・ガーデンズは、ビル・クレメンスが1990年に市の公園局に寄付した土地に、その妻バージニアの名を冠したバラ園を造ったのが始まりとなった植物園である。 ミネソタ・ノースダコタ・サウスダコタの3州を管轄するカトリックのミネアポリス・セントポール大司教区は、その管轄下にある9つ(うちミネソタ州には5つ)の司教区のうちの1つをセントクラウドに置いている。セントクラウド司教区は1875年に代理区として創設され、1889年に司教区に格上げされて成立したもので、ミネソタ州中央部・中西部の16郡を管轄区域とし、約133,000人の信者を抱えている。セントクラウド司教区の司教座聖堂であるセント・メアリー大聖堂は、1922年から9年の歳月を費やして建てられ、1931年に完成した。
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文化と名所
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「ムーアヘッド (ミネソタ州)」の記事における「文化と名所」の解説
「ファーゴ (ノースダコタ州)#文化」も参照 バークウィストの小屋 コムストック邸 イェムコムスト・センター(Hjemkomst Center)は1stアベニュー・ノースがレッド川に架かる橋の東詰北側に立地している。同センターには、ノルウェー語で「帰郷」を意味する、同名の復元ヴァイキング船が展示されている。この船はムーアヘッドから東へ35km、ホーリーにあった空きジャガイモ倉庫を改造した「造船所」で、ムーアヘッドに住んでいたノルウェー系、かつヴァイキングの子孫であるロバート・アスプによって、1974年から6年かけて建造された。その後1982年、イェムコムスト号はダルース港を出発し、ニューヨーク港から大西洋を渡り、ベルゲン港を経て、最終的にオスロ港へと到着した。この航海の後、同船はムーアヘッド市に寄付され、1986年に完成したばかりの同センター敷地内、ヴァイキング船公園に展示された。 イェムコムスト・センターにはクレイ郡歴史協会が運営するクレイ郡博物館も入っており、展示期間ごとのテーマに沿った展示を行っている。1932年に設立されたクレイ郡歴史協会は、30,000点にのぼる歴史的事物を収蔵し、また郡内3ヶ所の史跡を保存している。また、同協会は、同センターの敷地内に建てられた、スターヴ教会のレプリカも管理し、一般に公開している。この木造の教会は、アメリカ合衆国中西部におけるノルウェーの文化と伝統を現代に伝えるべく、1996-2001年にかけて建てられたもので、ノルウェー・ソグン・オ・フィヨーラネ県ヴィークにあるホッペルシュタ・スターヴ教会の原寸大レプリカとなっている。 イェムコムスト・センターから直線距離で北東へ約1km、オリジナル・ホームステッド公園内には、クレイ郡歴史協会が保存している史跡の1つで、ムーアヘッド最古の家屋である、バークウィストの小屋が建っている。この小屋は1872年にこの地に移入したスウェーデン系移民グスタフ・バークウィストが建てたものであった。1970年、グスタフの孫で、ファーゴのWDAYで天気キャスターを務めたデューイ・バークウィストと、その息子(グスタフの曾孫にあたる)ジムはこの小屋を改修した。1980年には、この小屋は国家歴史登録財に指定された。 コンコーディア大学キャンパスの北端から北へ2ブロック、8thストリートと5thアベニュー・サウスの南東角にはコムストック邸が建つ。このビクトリア建築様式の家屋は、メイン州出身で、ミシガン大学で法学の学位を取得した後にムーアヘッドに住み、弁護士・政治家・実業家として成功し、ミネソタ州議会下院議員、ミネソタ州知事、連邦議会下院議員を務めたソロモン・コムストックが1883年に建てたものであった。その後、この家屋は息子の1人であるジョージとその妻フランシスによって、1965年にミネソタ歴史協会に寄贈され、1980年より博物館として一般に公開されている。1974年には、コムストック邸は国家歴史登録財に指定された。2016年より、クレイ郡歴史協会がコムストック邸の日常の運営に携わっている。 ロアーク美術館はムーアヘッド公立図書館と同じブロック内のすぐ北側、メイン・アベニューと6thストリートの南西角に立地している。同館は寄贈されたものを中心に約5,000点の芸術作品を所蔵・常設展示しており、その中には西アフリカの金工作品もある。同館の建物は、もともとは1913年に建てられた連邦裁判所庁舎で、その後1915年から郵便局として使われ、その一角にはレッド・リバー芸術センター(現プレーンズ美術館)も入っていた。1997年に、プレーンズ美術館がファーゴのダウンタウンに移転・再開館すると、この建物はロアーク美術館になった。ロアーク美術館のこの建物は、1980年に旧連邦裁判所・旧郵便局として国家歴史登録財に指定された。 市中心部から南南西へ約6.5km、市南西端のレッド河畔にはブルーステム芸術センターが立地する。同センター内には3,000席を有する野外劇場、およびトロールウッド舞台芸術学校が立地している。トロールウッド芸術学校はファーゴ公立学区が運営しているが、施設はムーアヘッド市当局からのリースという形を採っている。 コンコーディア大学のコンコーディア合唱団は1920年に創設された歴史ある合唱団で、同学内やファーゴ・ムーアヘッド地域はもとより、カーネギー・ホールをはじめ全米各地、さらにはアメリカ合衆国外でも公演を行ってきている。とりわけ、1927年から行っているクリスマス公演は、同団を含む4つの合唱団、およびオーケストラが参加する大規模なもので、ムーアヘッドのほかミネアポリスでも公演を行う。このクリスマス公演は、2010年、そして2017年にも上中西部地域エミー賞を受賞している。
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