レッド川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/08 01:20 UTC 版)
レッド川
- レッド川 (ミシシッピ川水系) - アメリカ合衆国テキサス州とオクラホマ州の境を流れ、ミシシッピ川に入る川。
- レッド川 (ネルソン川水系) - アメリカ合衆国ノースダコタ州とミネソタ州の州境を流れ、カナダ・マニトバ州に入ってウィニペグ湖へと注ぐ川。上記のレッド川と区別するために北のレッド川とも呼ばれる。
- その他のレッド川は Red River を参照
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レッド川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 22:58 UTC 版)
「第13軍団 (北軍)」の記事における「レッド川」の解説
その後も第1師団と第2師団はテキサスに留まったが、バンクスは第3師団と第4師団を3月から5月まで続いたレッド川方面作戦に参加させた。作戦開始時、軍団はトーマス・ランソム(Thomas E. G. Ransom)が率い、第3師団長はロバート・キャメロン(Robert Alexander Cameron)准将、第4師団長はウィリアム・ランドラム大佐であった。軍団は4月8日のマンスフィールドの戦いに参戦した。ランソムはマンスフィールドで負傷し、キャメロンが一時的に軍団長を指揮した。数週間後、テキサスに留まっていた第1師団の師団長を務めていたマイケル・ロウラー(Michael Kelly Lawler)が正式に軍団の指揮を取ることとなった。マクラーナンドはしかしながら、バンクスの下でこれら2個師団の指揮を直接執ることを当然と考えていた。マクラーナンドはその後病気のために軍を離れ、分遣隊の指揮はロウラーが継続して執った。直ぐにウィリアム・ベントン(William Plummer Benton)が軍団長に任命されたが、ルイジアナにあった分遣隊の指揮官にはロウラーが留まった。ロウラーは5月16日のマンシュラの戦い(Battle of Mansura)でも分遣隊を率いた。
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