劇場時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 14:44 UTC 版)
1897年(明治30年)頃、八柱神社の裏手に劇場として三栄座が開館した。初期には棚尾劇場という名称も用いられている。当初は棚尾町だけでなく近隣自治体からくる観客も多く、矢作川を挟んで対岸の幡豆郡平坂町から来る客が多かったという。三栄座の観客を見込んだ商売が発展するほどだった。八柱神社近辺には造り酒屋の旦那衆に支えられて花街が形成されており、三栄座の開館によってこの花街も発展した。大正時代には定員992人のホールを有し、演劇・活動写真・浪花節などの興行が行われた。昭和初期には花柳界の芸事の発表会(温習会)も行われたという。1932年(昭和7年)時点の定員は460人だった。
※この「劇場時代」の解説は、「三栄座」の解説の一部です。
「劇場時代」を含む「三栄座」の記事については、「三栄座」の概要を参照ください。
- 劇場時代のページへのリンク