平坂町とは? わかりやすく解説

平坂町

読み方:ヘイサカチョウ(heisakachou)

所在 愛知県西尾市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒444-0305  愛知県西尾市平坂町

平坂町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 11:21 UTC 版)

へいさかちょう
平坂町
廃止日 1954年8月10日
廃止理由 編入合併
平坂町寺津町福地村室場村 → 西尾市
現在の自治体 西尾市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
幡豆郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 15.28 km2.
総人口 14,108
(愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日)
隣接自治体 碧南市、西尾市、幡豆郡寺津町
平坂町役場
所在地 愛知県幡豆郡平坂町大字平坂字空町52-1
座標 北緯34度51分44秒 東経137度00分50秒 / 北緯34.86233度 東経137.01381度 / 34.86233; 137.01381座標: 北緯34度51分44秒 東経137度00分50秒 / 北緯34.86233度 東経137.01381度 / 34.86233; 137.01381
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平坂町(へいさかちょう)は、かつて愛知県幡豆郡にあったである。

現在の西尾市の一部である。矢作川の東岸の町であり、三河湾の平坂入江の奥に位置する。

江戸時代西尾藩によって開かれた平坂港があり、かつては西三河の物流拠点となっていた。

沿革

  • 江戸時代、この地域は西尾藩領、寺社領などであった。西尾藩によって開かれた平坂港があり、三州瓦などの積出港として賑わったという。
  • 1884年(明治17年) - 平坂村、新実新田、市川新田が合併し、平坂村となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 平坂村、楠村、小栗新田が合併し、平坂村となる。
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 平坂村、中畑村、及び西野町村の一部(田貫)[2]奥津村の大部分(山田、富山、上矢田、羽塚、下矢田、国森、新在家、徳永)[3]が合併し、平坂村となる。
  • 1913年(大正2年)4月1日 - 平坂村の一部(大字徳永)が寺津村に編入される。
  • 1924年(大正13年)10月1日 - 町制施行し、平坂町となる。
  • 1953年(昭和28年)12月15日 - 西尾町と平坂町の一部(田貫、中畑、国森、新在家)が合併し市制施行。西尾市となる。
  • 1954年(昭和29年)8月10日 - 平坂町の残り全域が西尾市に編入される。

交通機関

鉄道[4]

脚注

  1. ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行
  2. ^ 西野町村の残部は、西尾町に編入となる。現・西尾市
  3. ^ 奥津村の一部(住崎)は西尾町に編入。現・西尾市
  4. ^ 旧・平坂町の駅は、現在は全て廃止されている。

関連項目




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