平坂支線との徒歩連絡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:03 UTC 版)
かつて当駅から南西に約400m離れた位置に、平坂支線の平坂口駅が設置されていた(1960年(昭和35年)3月27日廃止)。 平坂支線の前身は岡崎新駅と西尾駅の間を結ぶ路線を建設した西尾鉄道で、同社は1914年(大正3年)に平坂に達した。その後、三河線の前身である三河鉄道が当地まで延伸するが、平坂漁民からの反対で当初予定した西尾鉄道港前駅経由のルートでは敷設できず、やむなく平坂町北側を迂回して松木島へ向かう経路に変更された(一説には平坂漁民の反対の背後に西尾鉄道が関与していたとされる)。 ルート変更により三河鉄道は西尾鉄道と立体交差する必要が生じたが、先に建設された西尾鉄道に優先権があるため、三河鉄道は築堤を建設し同社線をオーバーパスして対処した。平坂の旅客輸送をめぐって両社は競合関係にあったため、交差部に駅は設置されなかった。西尾鉄道が企業合併で愛知電気鉄道、名古屋鉄道となってからも状況は変わらず、また三河鉄道も名古屋鉄道に合併され2つの路線が同社線となってからも駅統合は行われず、両路線間の徒歩連絡による乗換えは平坂支線の廃止まで続いた。 平坂支線廃止後は路盤跡が道路(愛知県道43号岡崎碧南線)に転用され、道路拡幅によりかつての跨線橋も架け替えられ平坂跨道橋となった。三河線(碧南 - 吉良吉田間)廃止後はその役目を終えて撤去された。 廃止された平坂支線の路盤跡をオーバーパスする三河線。平坂支線跡地は道路化され跨線橋は後の平坂跨道橋となる。 県道43号の整備で架け替えられた平坂跨道橋。三河線碧南-吉良吉田間廃止に伴い解体中(2009年) 平坂跨道橋解体後も残っていた三河線の築堤(2016年) 撤去される築堤(2017年)
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