福地村_(愛知県)とは? わかりやすく解説

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福地村 (愛知県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 06:19 UTC 版)

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ふくちむら
福地村
廃止日 1954年8月10日
廃止理由 編入
現在の自治体 西尾市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
幡豆郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 12.65km2.
総人口 7,175
(愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日)
隣接自治体 西尾町平坂町寺津町一色町横須賀村
福地村役場
所在地 愛知県幡豆郡福地村大字斎藤字郷中1
座標 北緯34度50分05秒 東経137度03分02秒 / 北緯34.83486度 東経137.05053度 / 34.83486; 137.05053 (福地村)座標: 北緯34度50分05秒 東経137度03分02秒 / 北緯34.83486度 東経137.05053度 / 34.83486; 137.05053 (福地村)
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福地村(ふくちむら)は、かつて愛知県幡豆郡にあったである。

現在の西尾市の東南部に該当し、矢作古川西岸の村であった。

日本で最初に綿(綿種)が伝わった地[2]である。

沿革

  • 江戸時代、この地域は西尾藩領、旗本領、寺社領などであった。
  • 1889年(明治22年)10月1日 -
    • 須脇村、十郎島村、細池村、小焼野村、鎌谷村、鵜ヶ池村、宅野島村が合併し、井崎村となる。
    • 野々宮村、横手村、天竹村、笹曾根村、平口村、市子村が合併し、六郷村となる。
    • 上道目記村、下道目記村、行用村、八ヶ尻村、針曾根村、長繩村、熱池村、斎藤村が合併し、豊田村となる。
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 六郷村豊田村井崎村、及び大宝村の一部[3]が合併し、福地村となる。
  • 1952年昭和27年)12月1日 - 西尾町とで境界変更。大字小焼野が西尾町に編入される。
  • 1954年(昭和29年)8月10日 - 西尾市に編入される。

学校

交通機関

寺院・仏閣

脚注

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  1. ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行
  2. ^ 現・西尾市天竹町 日本へは799年(延暦18年)三河国(愛知県西尾市天竹町(てんじく=天竺)と言われるが、『日本後紀』には三河国としか書いてない)に漂着した崑崙人(現在のインド。真偽・詳細は不詳。天竹神社の項目参照。)によってもたらされ栽培が開始されたが、1年で途切れたという。この崑崙人は各地を廻り、栽培法を伝えたとされている。
  3. ^ 旧・川口村、今川村、菱池村、深池村。残部は西尾町に編入。
  4. ^ 2006年12月16日廃駅。
  5. ^ 詳細は不明である。出身は中国西部、天竺、東南アジア、ペルシャなど諸説ある。

関連項目




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