市境
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 03:28 UTC 版)
ベルリンの外側に対する境界は、今日でも大部分がなお1920年に設定されたものと同じである。しかし様々な理由により下記の境界が変更された。 1928年:デュッペル(ドイツ語版)領地区域を編入 1945年:イギリスとソ連占領当局は西部の郊外地区の交換に合意。ヴェスト=シュターケン(ドイツ語版) は、ソ連管理区域(直後にソ連占領地域)となった。ガートウ飛行場(ドイツ語版)とグロース・グリーニケ(ドイツ語版)の東部がシュパンダウ区に編入となり、イギリス管理区域となった。 1972年:西ベルリンと東ドイツとの間で最初の領土交換。西ベルリンの飛び地(ドイツ語版)解消と他の様々な境界線の調整。 1988年:2度目の西ベルリンと東ドイツ間の領土交換。残る飛び地の解消と接続、さらなる境界線調整。 1990年:統一条約による、いくつかの境界線の調整。1945年のヴェスト=シュターケンの分離が撤回される。しかしガートウ飛行場とグロース・グリーニケ地区(東部)はベルリンに残留し、こうしてグロース・グリーニケは分割状態が続くことになった。ベルリン市域外のヘーノウ(ドイツ語版)とアーレンスフェルデ(ドイツ語版)に建設された新市街がマルツァーン区(ドイツ語版)とヘラースドルフ区(ドイツ語版)に編入された。
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