境界線の機能の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 03:28 UTC 版)
1920年に設定された市境にはほとんど変更がなかったが、その性質は幾度も大きく変化した。 1920年 - 1945年:市境とプロイセン自由邦の州との境界線 1945年 – 1990年:ソ連占領地域と四か国分割占領都市ベルリンとの境界線。大ベルリン法で定められた区の境界線は、占領管理区域の境界線となる(ヤルタ会談、ポツダム会談)。 1949年 - 1990年:ベルリン市境の西部は東ドイツとの国境となる。こうしてベルリン封鎖後、鉄のカーテンの一部となる。 1952年 - 1990年:ベルリン市境東部は東ドイツの県境となる。 1961年 - 1990年:ベルリンの壁の西ベルリンとの境界線。 1990年以降:統一条約で定められたベルリン州とブランデンブルク州との境界線。
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