農業博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 03:23 UTC 版)
富民協会では農業博物館を設置した。農業の大衆教育には欠けるところがあるのは遺憾であるとして、一般大衆に農業知識を普及涵養し、日本の進歩発達に後見するのが目的である。大阪府の堺市と高石市(当時は泉北郡高石町)に跨る「浜寺公園」内に建設を企て、1932年(昭和7年)1月10日に起工、8月に竣工、開館した。鉄筋コンクリート造3階建、日本インターナショナル式という様式。建坪340坪、延坪900坪。1階および2階は陳列室で、第1室は土壌肥料部で、土壌および肥料にかんするもの第2室は農産部で、普通作物、品質改良、園芸、工芸作物に関するもの、第3室は副業部で、農村手工芸、養鶏、養畜、一般副業に関するもの、第4室は農政経済部で、農業統計、農業経営、農産物販売、農業行政、比較農業に関するもの、第5室は植民地農業に関する資料を展列し、3階には本山が収集した考古学上の参考品を陳べる本山考古室があり、ほかに大講堂、講義室、大露台がある。 本建物は戦後の1947年(昭和22年)4月22日に高石町立中学校(高石市立高石中学校)の校舎となり、1947年(昭和22年)10月に改装工事が完工した。高石中学校が現在の校地に移転後は、大阪府羽衣青少年センターとして利用され、現在は取り壊され現存しない。
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