シーズン2「エカテリーナ~旅立ち~」
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「エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「シーズン2「エカテリーナ~旅立ち~」」の解説
2017年2月~3月放送。全12話。 物語の舞台はエカテリーナの即位から6年が経った1768年から1782年まで。 国内では2年続きの凶作で飢饉が起き、困窮する民衆による暴動も各地で散発していた。 エカテリーナは苦境を打開するため、アメリカ大陸原産の野菜の栽培促進とピョートル大帝以来の悲願である、黒海沿岸部の温暖な土地と不凍港の確保および地中海への出口を求める南下政策の推進に活路を見い出す。しかし、ロシアの行く手には南部で国境を接し、イスラム世界に君臨する超大国・オスマン帝国が立ちはだかっていた。国境付近では小規模な軍事衝突が頻発し、やがて双方は全面戦争に突入する。 その頃、外交・内政の他にも複数の問題がエカテリーナを悩ませていた。 クーデターの功労者であり、第二皇子に列せられたアレクセイの父親でもある愛人グリゴリー・オルロフ伯爵と正式に結婚して彼を皇帝とし、皇位継承者としての資質に欠けるパーヴェルに代わる新たな後継者をもう一人産もうと考えるエカテリーナだが、権力をひけらかすオルロフには敵が多く、エカテリーナの考えに賛同する者は誰一人としていなかった。 一方、皇太子パーヴェルが先帝フョードロヴィチに似てきた事がエカテリーナは我慢ならず、その上、侍医からは病弱な彼の生殖能力に疑問を呈される。 そこでエカテリーナは女官として自分に仕える美しい未亡人・ソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人に「パーヴェルを誘惑し、彼の子を孕め」という密命を授ける。 玉座への野望を抱くオルロフだが、戦場で頭部に負った傷の後遺症である性的不能に苦慮し、快楽を選ぶ代償として生殖能力を失う治療を極秘の内に受ける。 何も知らないまま、オルロフとのセックスで快楽を得ていたエカテリーナだが、後に行わせた身辺調査で事実を知って衝撃を受け、オルロフへの気持ちは急速に冷めていく。 その頃、エカテリーナの策略に乗せられていることに気付かぬままソフィアと関係を持ったパーヴェルは"ペテルブルク一のふしだら女"とまで言われたソフィアの美貌に溺れ、彼女を妊娠させる。パーヴェルにロマノフ王朝を存続させる能力があると判明し、大いに安堵したエカテリーナは、妊娠中のソフィアの心身を顧みることもなく皇太子妃探しに心を移す。そしてオルロフとの結婚計画も放棄し、かねてから想いを寄せられていた若い将校・グリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン中尉に心を傾けるが、焦ったオルロフは腹黒い重臣ニキータ・イヴァノヴィチ・パーニン伯爵の仕掛けた罠に嵌まってポチョムキンを暴行、重傷を負わせてエカテリーナから遠ざける事件を起こす。その結果、オルロフはエカテリーナの怒りを買い、息子アレクセイ共々宮廷から追放される。 エカテリーナはオスマン帝国と戦いながら前線のポチョムキンと往復書簡を交わして愛を育み、5年後、帰還した彼に過去の男性遍歴を懺悔、やがて2人だけで密かに結婚式を挙げる。 一方、パーヴェルはエカテリーナのお膳立てで結婚したものの、相手のナタリアは放埒でエカテリーナに取って代わろうとする野心を抱き、その野心によって身を滅ぼしてしまった。その後、聡明なマリアと再婚して嫡子・アレクサンドルを儲けるも、「孫を立派な皇帝にしてみせる」と意気込むエカテリーナに奪われてしまう。愛する妻との間に生まれた我が子まで意のままに操ろうとするエカテリーナへの憎悪を、パーヴェルは胸に秘めながら生きていくしかなかった。 そして1782年夏、エカテリーナと帝国の繁栄を象徴するピョートル大帝の巨大な騎馬像が、構想から14年の歳月を経てついに除幕式の日を迎えるのであった。
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シーズン2 「エカテリーナ~旅立ち~(Екатерина. Взлёт)」(2017年放送)
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「エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「シーズン2 「エカテリーナ~旅立ち~(Екатерина. Взлёт)」(2017年放送)」の解説
物語はエカテリーナの即位から6年経った1768年から始まる。 女帝として貫禄をつけていたエカテリーナは啓蒙思想による統治を志す一方、ピョートル大帝以来の悲願である、黒海沿岸部の温暖な土地と不凍港の確保、地中海への出口を求める南下政策の実現を目指していた。 しかし、南下政策を推進するエカテリーナの前には南部でロシアと国境を接し、イスラム世界を代表する超大国・オスマン帝国が立ちはだかっており、国境地帯では小規模な軍事衝突が頻発していた。 その頃、ペテルブルクの宮廷ではエリザヴェータ時代の廷臣たちが引退し、新たな廷臣たちが政治の主導権を巡って暗躍していた。 クーデターでの功績を認められて伯爵の位を授けられたエカテリーナの愛人グリゴリー・オルロフ伯爵と、外相のニキータ・イヴァノヴィチ・パーニン伯爵は対立関係にあり、秘密警察(枢密院)長官 のステパン・イヴァノヴィチ・シェシコフスキー伯爵(ロシア語版)はその両名の動向を厳しく監視していた。オルロフ一族は全員が爵位を与えられて我が世の春を謳歌し、反オルロフ勢力はパーニンを中心に密談を繰り返していた。 そんな中、帝国南部の荒野にオスマン人が侵入し、暴虐の限りを尽くしているとの報告を受けたオルロフは小部隊を率いて偵察に出掛けた。そこで惨殺された若い女性の遺体を発見、怒りに駆られたオルロフは弟のアレクセイ・オルロフ伯爵らと共に敵兵が占領している地域に突入し、8名の死者を出す戦闘を繰り広げる。その中でオルロフは敵兵の剣による打撃を頭部に受け、脳震盪を起こして落馬するのだが、とどめを刺されようとしたその時、味方の将校が背後から敵兵を斬り付け、辛くも命を救われる。オスマン兵の捕虜になっていたジプシーを解放したオルロフはエカテリーナに無事を知らせようと、先刻自分を救ったグリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン中尉を呼び、負傷していた彼に書簡を託し、ペテルブルクに向かわせる。 オルロフの帰還を待ちわびるエカテリーナの下に、彼の書簡を携えたポチョムキンが到着する。エカテリーナはオルロフの無事を喜び、深傷を負っていたポチョムキンを宮殿内で看護するよう命じる。エカテリーナはイズマイロフスキー近衛連隊にクーデターを呼びかけた時にその場にいた彼の顔を覚えていた。 オスマン帝国との関係が緊張する中、パーニンはエカテリーナにオルロフとの結婚を思いとどまるよう求める。エカテリーナは子供を産むために残された時間はあと1、2年しかないと焦る思いを語るが、パーニンは自らが養育係を務める14歳の皇太子パーヴェル・ペトロヴィチ大公を即位させてはどうかと進言する。オルロフとの結婚もオルロフとの息子・アレクセイを宮廷に呼び寄せるのも大きな間違いであり、エカテリーナが帝位を失い、国が滅びる可能性もあると諫めるのだった。 この時、エカテリーナはオルロフと正式に結婚してアレクセイを嫡子とし、もう1人子供を産んで、病弱で後継者としての資質を問われていたパーヴェルを海外留学の名目で国外に追放することを密かに考えていた。その目的を達成するために、皇帝の一存で後継者を指名する権利が認められていた帝位継承法(ロシア語版)の規定を発動することも検討していたのだが、オルロフと結婚してもアレクセイは「私生児」のままであり、その立場は法律上変えることができないとパーニンから告げられる。そこでオルロフを帝位に就ければ万事解決するのではないかという考えが頭をもたげてくる。 一方、パーニンはエカテリーナが負傷した士官の世話をしていると聞きつけ、エカテリーナ付きのメイド頭・フョークラの話から若い美形の男だと知ると、早速オルロフを追い落とすために利用出来ないかと行動を始める。 そんなある日、エカテリーナのかつての愛人で現在はポーランドの国王となっていたポニャトフスキがやって来る。「10年前(1758年)にベッドで会ったきり」の彼は甘い言葉を囁き、エカテリーナとの間に儲けた娘・アンナの墓に花を供えさせて欲しいと願うが、エカテリーナはポーランドとオスマン帝国が密約を結んでいることを咎めて彼を退ける。そこへオルロフがジプシーたちを引き連れて帰還、賑やかな歌と踊りの中、エカテリーナと抱擁し合う。ポニャトフスキは事情を察して身を引くが、退出の際にオルロフはしつこく絡んできた。オルロフが皇帝の座につくのではないかと危惧したポニャトフスキにパーニンが密かに近づき、即位阻止への協力を申し出る。一方、エカテリーナは昼間からオルロフと交わすセックスに胸を高鳴らせるが、彼は目眩を訴えて途中で寝室から出て行ってしまう。オルロフは昵懇の娼婦から媚薬を貰うとエカテリーナの元へ舞い戻り、執務中だった彼女を拐って寝室へ向かい、再びセックスに興じてエカテリーナを満足させるのだった。 同じ頃、投薬治療を拒否していたポチョムキンの容態が悪化、高熱を出して生死の境を彷徨うが、エカテリーナの呼びかけで奇跡的に意識を取り戻す。快復した彼が戦場に戻るため宮殿から去ろうとしていたところにエカテリーナの伝言が届き、軍服改良事業の監査役に任命されたことを知らされる。この人事はオルロフを追い落とすためにポチョムキンを利用しようと企んでいたパーニンの進言であると同時に、ポチョムキンに何か感ずるものがあったエカテリーナの利害が一致した末の要請でもあり、それを受け入れた彼は宮殿に留まる。 先帝エリザヴェータにより国外追放されていたイヴァン・イヴァノヴィチ・ベツコイ公爵(ロシア語版)が顧問を必要とするエカテリーナから赦免を受け、追放先のパリから25年ぶりに帰国する。オルロフとの結婚を夢見るエカテリーナは結婚を前に、オルロフ家の家系を明らかにする必要があったのだ。パーニンたちはベツコイの登場で権力バランスが変化するのではと密かに恐れていたが、ベツコイに与えられたポストはエカテリーナの私設秘書(アドバイザー)兼帝国美術アカデミー総裁という一種の名誉職だった。 エカテリーナはベツコイに深い信頼を寄せており、軍服改良事業の総責任者としてポチョムキンに引き会わせていた。そんなある日、エカテリーナは「グリゴリー・グリゴリエヴィチ(オルロフ)と結婚して出来た子が帝位継承者になる。私ならグリゴリー・グリゴリエヴィチを皇帝にする事が出来るが、そうするべきか?」と問うが、ベツコイの返事はただ一言「ニェット(いいえ)」であった。そこでオルロフと共にロシア正教会のサンクトペテルブルク大主教(ロシア語版)・ガブリエル(ロシア語版)の元を訪れる。二人は正教会の主教会議から結婚の許可を得ようとしたのだが、ガブリエルはロマノフ王朝の崩壊とそれによって惹起される動乱を危惧し、結婚は許されぬと告げるのだった。その上、ガブリエルからは「罪深い男」と別れるよう促される。 ままならぬ現実にエカテリーナは悔し涙を流すが、その晩、オルロフはエカテリーナの寝室で先に眠り込んでしまうという失態を演じる。"死んだように"欲望が全く無くなり、慢性的な頭痛にも悩まされた彼は弟のアレクセイに相談したところ、「何でも治す」として巷で評判の高いピンクスという怪しげな医者がいると聞かされ、彼の元へ連れて行かれる。頭痛も不能も、戦場で受けた頭部の怪我の後遺症であった。奔放でセックス好きのエカテリーナの望みに応えられない事は皇帝の座どころか、エカテリーナの愛人でいる事さえも危うくする致命的な事態であった。オルロフはそれを悟られまいと、何かと理由を付けてエカテリーナと夜を共にする事を避け、やがて治療に奔走するあまり、エカテリーナの元を訪れる事すら少なくなっていく。エカテリーナはそんなオルロフの異変に気を揉むのだった。 宮殿内の工房では新しい軍服のデザインが検討されており、軍服改良事業の監査役に就いたポチョムキンの様子を見に来たエカテリーナは彼に上司になるベツコイを紹介し、時々会いたいと告げる。エカテリーナは彼を昇進させようと考え、女官として自分に仕える友人で美しい未亡人・ソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人に彼の評判を尋ねる中で女性関係を訊く。ソフィアに「それは昇進と関係ないのでは?」と不思議がられるが、エカテリーナは単なる好奇心だと誤魔化した。 その頃、エカテリーナは皇太子パーヴェルが亡き父・ピョートル3世を慕い、自分にことごとく反発する事に腹を立てていた。そんな中、二人の関係を決定づける事件が起こる。 それはエカテリーナが御前会議で農奴制の存廃と貴族を徴兵制の対象から除外するか否かを巡って4人の重臣たちと討議していた時のこと。突然、パーヴェルの部屋からバイオリンの音色が聞こえてきた。エカテリーナは出席者の一人である国務長官のアダム・ヴァシリエヴィチ・オルスーフィエフ伯爵(ロシア語版)にどこからか聞こえてきたバイオリンの演奏をやめさせろと指示し、オルスーフィエフが席を立とうとすると、パーニンが「待て。パーヴェル・ペトロヴィチが音楽の練習をしているのだ」と説明する。パーヴェルが音楽に興味を持っているとは知らなかったというエカテリーナだが、その音色を聞くにつれてピョートルとの忌まわしい記憶が蘇ったため、会議を中座してパーヴェルの部屋に押し掛ける。 部屋ではパーヴェルの家庭教師セミョーン・アンドレヴィチ・ポローシン(ロシア語版)がツォルンドルフの戦いについて講義をしていた。この戦いは、エカテリーナとオルロフを結びつけるきっかけになった出来事としてエカテリーナの胸に強く刻まれていた戦いでもあった。しかし、エカテリーナはテーブルの上に並べられた兵隊人形に対して「玩具の兵隊は子供の遊びよ!」と難癖をつける。ポローシンはツォルンドルフの戦いについて講義していたと説明し、パーヴェルもフリードリヒを褒め称える。エカテリーナは「この戦いではロシア軍が勝ち、フリードリヒは逃げた。そして、3度も大怪我を負いながらも最後まで戦い続けたオルロフ伯爵が真の英雄である。フリードリヒは『ロシア軍は頑強で、殺すだけでは足りない、打ち倒す必要がある。』と言ったほどだった」と息巻くが、パーヴェルはフリードリヒ大王こそ英雄だと主張した挙げ句、「僕の憧れはオルロフ伯爵ではなくフリードリヒ大王だ。彼はプロイセン国王でオルロフ伯爵は母上(エカテリーナ)の寵臣でしかない」と指摘するのだった。ここでエカテリーナは指導記録を見せろとポローシンに命じる。そして、本来なら対象に含めていない音楽の授業を勝手に付け加えたという理由でポローシンに解任を申し渡す。 ポローシンが去った後、エカテリーナはフリードリヒの欠点ばかりをあげつらい、「戦術にも家庭生活にも失敗している・・・。勝った戦争はなく・・・。妻とは30年間ベッドを共にしておらず、イタリア人の愛人と戯れている。ゆえにフリードリヒはパーヴェルの手本たりえない」と反論する。パーヴェルはすかさず「フリードリヒ王は即位から2年で『大王』と呼ばれるようになったが、母上は即位から6年経ってもまだ『エカテリーナ2世』のまま。エカテリーナ1世ですら、何一つ功績を残すことなく消えた」と臆面もなく言い放ち、パーニンに「殿下、あなたらしくない。言い過ぎです」とたしなめられる。エカテリーナから「私に謝罪する気はある?」と言われて頭に血が登ったパーヴェルは「僕には父上(ピョートル3世)が母上を愛さなかった理由がわかる!」と公言した上で、1枚のスケッチをエカテリーナに見せつけながらこう宣言する。「僕が皇帝になればまず、ネヴァ川の岸に像を建てる。父上の銅像は石の上、皆が見上げる位置に。毒蛇にやられた馬が制御不能に。父上は笑顔さ。陽気で優しい人だから!」と。これにはエカテリーナも堪忍袋の緒が切れ、「ピョートル・フョードロヴィチはそのような人ではなかった!」と罵る。そして、侍医のジョージ・サミュエル・ロジャーソン(ロシア語版)にパーヴェルを治療させるよう命じ、パーニンを激しく責める。「パーヴェルがピョートルに似るなんて。最悪の事態だわ!あなた(パーニン)のせいよ!」と。そしてエカテリーナは部屋に飾られていたピョートルの肖像画を誰が持ってこさせたのかとパーニンに問い質す。パーニンはベツコイの仕業ではないかと言い、シェシコフスキーにポローシンを尋問すべきだと進言する。しかしポローシンはベツコイの関与を一貫して否定。肖像画を見つけて飾るよう指示したのはパーヴェルだと証言し、宮廷を去ることになる。 パーヴェルは無力感に苛まれていた。ポローシンはエカテリーナの逆鱗に触れて宮廷を追われ、肖像画やバイオリン、兵隊人形といったピョートルを思い出させるものはやはりエカテリーナの命令でことごとく撤去させられたからである。兵隊人形のうちの2体は撤去される前にパーヴェルがくすねて手元にとって置いたのだが・・・。 そんな中でパーヴェルはパーニンに問う。「この肖像画の父上と僕はそっくりなのか?」と。パーニンは答える。「当然。あなたはお父上ピョートル・フョードロヴィチ皇帝にそっくりですよ。誰もが口を揃えて「同じだ」とおっしゃいます」と。しかしパーヴェルは「この肖像画は本来の姿ではない。意図的かも」と疑問をぶつけるが、パーニンは「私はお父上の顔を覚えていますが、この肖像画の顔と同じ顔でした。偽りの姿ではありませんよ?」と否定し、「私を困らせないで下さい」とパーヴェルに苦言を呈するのだった。 一方、エカテリーナはパーニンが先だってパーヴェルの即位を提案した事を危険視し、ベツコイに「陰謀を企てているかも知れない」と、彼の罷免を相談するが、「見方を変えれば、グリゴリー・グリゴリエヴィチの野心を抑制出来る。問題行動も多いが、今は害以上に利益がある」という助言があったため、罷免は見送られた。 パーニンはパーヴェルに「陛下の機嫌を損ねると帝位継承権を剥奪され、アレクセイが皇太子になる」と彼の立場の危うさを知らせると共に、馬鹿な真似はやめるよう厳しく諭す。以後パーヴェルはエカテリーナに表立って逆らう事は無くなった。 軍服改良事業の現場では勲章のリボンや勲章そのものにも改良が加えられることになり、ポチョムキンとベツコイ、ソフィアの3人が見栄えなどについて検討を進めていた。ある日、現場を視察したエカテリーナはソフィアから女性用の勲章リボンをかけてもらうポチョムキンの姿を見て「グリゴリー・アレクサンドロヴィチ(ポチョムキン)。私の女官(ソフィア)をいいように使っているわね?」と刺々しい言葉を投げかけたため、ベツコイが「ソフィア様は手伝いに来ただけです。なので、女性用のリボンの確認をお願いしました」とフォローし、ソフィアは「私は肩を貸したのです」と釈明する。間もなくオルロフも加わり、聖ゲオルギオス勲章(ロシア語版、英語版) を題材に挙げ、各々がそれぞれ考えた改良点を語り合う。最初に議題に上がったのは勲章のリボン配色をどうするか、という問題である。エカテリーナは黒色のリボンを3本、金色のリボンを2本とする案を示す。ベツコイは意味合いとして3本の黒色リボンは聖ゲオルギオスの3度の死を表現し、2本の金色リボンは聖ゲオルギオスの2度の復活を表現するものと定義付けする。一方、オルロフがベースを水色にした金色のリボンという案を示したため、エカテリーナはポチョムキンに自分の案をとるのか、それともオルロフの案をとるのか選べと命じる。選択を迫られたポチョムキンはエカテリーナの提案に同意した上で、リボンの意味合いとして黒色は火薬、金色は炎を表し、勝利を象徴するものとして定義付けすべきだと提案した。続いて議題に上がった勲章の意匠ではエカテリーナの発案でひし形に円形と光線を配し、「軍務と勇気に(За службу и храбрость)」という言葉を彫り込むことになった。自分が提案した配色案をポチョムキンに退けられる格好となったオルロフは「仕事には慣れたか?戦場に戻って名誉勲章を欲しがっていたお前が宮廷に残れたのは誰のおかげだ?」と畳み掛け、ポチョムキンは「オルロフ伯爵閣下。あなたのおかげです」と言葉少なげに返すのだった。 数日後、エカテリーナは重臣たちを伴って宮廷の菜園を視察する。当時のロシアは2年続きの不作で食糧事情が逼迫していたため、それを打開するため、エカテリーナは宮廷の温室菜園で栽培されたキクイモやインディアンキャロット、ジャガイモといったアメリカ大陸原産の野菜を地主たちに栽培させようとしていた。「キクイモやインディアンキャロット、ジャガイモはパンやお粥よりも栄養があり、豊作。不毛の地でも十分な収穫が見込めるこうしたアメリカ大陸原産の野菜を地主たちに栽培させる。南部を穀倉地帯に変えてみせる!」と息巻くエカテリーナだが、重臣たちはアメリカ大陸原産の野菜の安全性が担保されていない上に天候は最悪であり、スープや粥を主食とするロシア人の食生活を急激に変えることは不可能であることなどを理由に懸念や反対の声を挙げるものの、不作がこれ以上続くことへの危機感を皆が持っていないわけではなかった。そこでエカテリーナはフョークラにキクイモを使った料理・カコルキ の開発を命じ、重臣たちを夕食会に招待する。 重臣たちはエカテリーナに言われるまま、カコルキを食べさせられる。重臣たちの反応は様々で、パーニンは「塩気が足りない」と苦言を呈し、シェシコフスキーは「食欲をそそる苦さだ」と発言する。結果としてカコルキはあまり重臣たちの口に合わなかったらしく、出席していた国務長官のイヴァン・ペルフィリエヴィチ・エラーギン伯爵(ロシア語版)はカコルキを試食した途端に噎せてしまい、侍従に抱えられて退出するというありさまだった。だが、エカテリーナは「私はアメリカ大陸原産の野菜の普及事業に大金を投じている。決して諦めるわけにはいかない。地主に塊茎を送り、収穫を待とう」と述べて夕食会を締めくくるのだった。 オスマン帝国では皇帝(スルタン)・ムスタファ3世の命でペテルブルクに外交使節団を送ることを決め、大使パシャ・ジャネルはエメラルドが飾られた彫金の豪華な小箱と扇子、見事な駿馬をエカテリーナに献上することになったが、小箱の中にはエカテリーナの命を狙う致死性の天然痘ウイルスが仕込まれたインド製の白粉が入っていた。そんなことなど露知らず、宮廷の中庭に設えられた野外迎賓館では歓迎式典が催される。聖ゲオルギオス勲章を着用したエカテリーナはジャネルからの挨拶を受け、お返しとしてオスマン帝国の公用語であるオスマン・トルコ語を用いてジャネルを驚かせる。そして、「神は我々に偉大なオスマン帝国という強大な隣国をもたらした。我々は謙遜と尊敬の念を抱き、オスマン帝国との友情が長く続くことを願う。我がロマノフ王朝はより強力になり、強大な力は我が国をより豊かにしていくだろう。我が国は今や、東部の国境はアムール川にまで到達し、カムチャツカ半島やアラスカを併合した。また、南はペルシャにまで勢力を伸ばしている。偉大な我らが帝国の周辺国民はロシアによる併合と保護を求めています。ロシアは可能な限り、その要請に応じます。 スルタンによろしくお伝え下さい。」と宣言したものの、スルタンへのメッセージとして献上品の受け取りを拒否し、「自国の国境をしっかり守って欲しい」と国境侵犯を繰り返すオスマン帝国を牽制する。 献上品の受け取り拒否という強硬姿勢に出たエカテリーナの対応はスルタンへの侮辱だと窮したジャネルは旧知の仲であるパーニンに助けを求めた。パーニンは「自分が陛下(エカテリーナ)を説得して必ず受け取らせるので一旦預からせて欲しい」と応じ、ジャネルもパーニンを頼ることにした。パーニンは早速、「ジャネルから『何とかしてくれ』と泣きつかれた」とエカテリーナの説得に乗り出すが、逆にエカテリーナから「もう決定は下したわ。厳格な要求は強さの証。オスマン帝国に我が国土と国民を荒らされているにも関わらず、知らんぷりをして献上品を受け取るなど弱さそのもの。強者は尊敬され、弱者は打ち負かされ奪われるだけ。ムスタファ3世は理性的。オスマン帝国はオーストリア、フランスと同盟を組んでいる。プロイセンでさえ、オスマン帝国と交渉中だとか。我々もできればオスマン帝国と交渉を持ちたいが、向こうが強気ならこちらもそれに応じるしかない!」と言い含められる。エカテリーナの説得に失敗して窮地に立たされたパーニンはジャネルに「陛下は献上品の受け取りに同意したが、儀式はもう行わない」という虚偽の説明をし、ジャネルも納得して引き下がることにする。 ところがエメラルドの小箱はパーニンが横領し、駿馬はオルロフの弟・アレクセイがジプシーに1000ルーブルを渡し、夜陰に乗じて盗み出すのだった。エメラルドの小箱はその後、パーニンが婚約の印として、侍従長ピョートル・ボリソヴィチ・シェレメーチェフ伯爵(ロシア語版)の娘・アンナ・ペトロヴナ・シェレメーチェヴァ(ロシア語版)に贈る。ポローシンと愛し合っていたアンナは父親と5歳しか年が変わらないパーニンを拒絶するが、中の白粉に触れてしまう。 宮廷では華やかな舞踏会が開かれる。大勢の着飾った男女が優雅な音楽に合わせて踊る中、ソフィアはエカテリーナに、ポチョムキンが熱い眼差しでこちらを見ている、自分に気があるに違いない、と自信満々にまくし立てるが、エカテリーナは彼が自分を見つめていることに気付く。ソフィアと踊るポチョムキンを見て心をざわめかせるエカテリーナであったが、彼はソフィアに手を引かれて広間から退出して行った。しかし戻ってきたソフィアはポチョムキンに拒絶されたと言い、彼が名指しこそしなかったが、主君であるエカテリーナを密かに愛している事を嬉々として報告する。そこへアンナがパーニンとの婚約の解消を直訴しようと現れるが昏倒し、駆け付けたロジャーソンが天然痘と診断、エカテリーナと重臣たちは対策に追われることになる。アンナは亡くなるが、身近で看病しながら無事だった下僕の少年から採取された瘡蓋をエカテリーナは自ら接種して見せる。エカテリーナが自ら範を示したことによって重臣たちや庶民も接種を受け、当時ヨーロッパで大流行し、多くの人命を奪っていた天然痘のロシアでの蔓延は未然に防がれたのである。 ポチョムキンの思いを知ったエカテリーナは彼に手紙を書こうとするが、多くの事が心に浮かんでは消え、苦心する。ポチョムキンの方は一目惚れしたエカテリーナに会える機会を職務に当たりながら待ち続ける日々を送っていた。しかし彼にとってエカテリーナは雲の上の存在であり、目通りを許された束の間の時間も初めこそ軍服の問題点について熱弁を振るっていたが、エカテリーナへの思いが募るにつれて口数も少なくなっていくのだった。 誕生以来、養父母の下で育てられていたアレクセイが遂に宮殿で暮らすことになった。オルロフとの結婚が実現しないことで焦りを募らせていたエカテリーナは一足先にアレクセイを皇族に列し、既成事実を作ることにしたのだ。エカテリーナは歴代皇帝の肖像画が飾られたギャラリーに新たに飾られた利発そうな肖像画を見て期待していただけに、何も話さず笑顔も見せない彼に大いに落胆し、彼を後継者にする事は無理だと判断する。そんなアレクセイだったが、初対面の異父兄・パーヴェルには心を開き、母を愛しておらず、父・オルロフにも今日初めて会ったが死んでいるも同じだと言い、兄弟は意気投合して母への面従腹背を誓う。 重臣や女官へのお披露目を目前に控えたアレクセイは侍医ロジャーソンの診察を受ける。何に対しても関心を示さない自閉症のようなアレクセイを見たロジャーソンは身体に異常はなく、精神的な問題ではないかと言う。しかし、オルロフはアレクセイの生殖能力を見極めるために下半身を検査するようロジャーソンに要求する。ロジャーソンは「こんな幼児に意味がない」と拒否するが、オルロフに怒鳴られたため不承不承行い、その様子を見ていたエカテリーナはアレクセイを抱きしめ、オルロフの横暴ぶりを謝罪するのだった。 数日後、謁見の間ではアレクセイを皇族に列することを宣言する儀式が執り行われる。パーヴェルは体調不良を理由に欠席するのだが、エカテリーナは構わず儀式を始めさせる。オルスーフィエフはエカテリーナの命で「アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ、1762年4月11日生まれ。父君はグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵閣下、母君はロシア女帝陛下エカテリーナ・アレクセーエヴナ様である。これより皇帝一族としての権利を与えられ、ロマノフ家 の一員となる。」と、アレクセイが皇族に列せられたことを宣言する。環境の変化に戸惑いを隠せなかったアレクセイに対し、エカテリーナは「夏になったら離宮に出かけて一緒に過ごそう。凧上げなどをしたりして遊んであげるから。」と呼び掛け、オルロフを呼び寄せて親子の姿をまざまざと見せつける。重臣たちはロマノフ家の血を一滴も引いておらず、オルロフ姓を名乗っているはずのアレクセイが皇族に列せられたことに困惑し、ベツコイは「儀式を即刻打ち切れ」とオルスーフィエフに命じるのだった。 夏が近づき、宮廷はペテルブルク郊外のツァールスコエ・セロー に移されることになった。夏の離宮・エカテリーナ宮殿に移ったエカテリーナはひ弱で室内に籠りがちなパーヴェルに夏の間だけでも健康的な生活を送らせようと、科学芸術アカデミー長官のキリル・グリゴリエヴィチ・ラズモフスキー伯爵(ロシア語版)の御曹司でやんちゃな兄弟のピョートル(ロシア語版)とアンドレイを遊び仲間として迎えることにする。パーヴェルは彼らと戸外で少年らしい活動的な遊びを楽しむが、侍医ロジャーソンはパーヴェルには生殖能力が無いかもしれないと言う。不安に駆られたエカテリーナは思案の末、ソフィアにパーヴェルを誘惑して彼の子を妊娠するかどうか試して欲しいと依頼する。パーヴェルに生殖能力があるのかないのか、全てはソフィアがパーヴェルの子を妊娠するかどうかで明らかになるとはいえ、万が一にもパーヴェルに生殖能力がないことが分かれば、皇位継承者がアレクセイしかいないことになるエカテリーナはオルロフと結婚して彼を次の皇帝にするほかなく、ソフィアをパーヴェルに宛てがうという決断は正統な皇位継承者である彼の将来を懸けた大きな賭けだった。 そんなある日、エカテリーナはサルトゥイコフの死を彼の親戚筋にあたる未亡人ダリヤ・ニコラエヴナ・サルトゥイコヴァ伯爵夫人から偶然聞かされ、雪の中の遠い日の記憶が蘇る。翌日はアレクセイを海に連れて行く予定であった。だがオルロフは行方をくらましており、エカテリーナはポチョムキンを同行させようと彼に手紙を書き始める。しかし文面で彼にどう呼びかけて良いかわからず苦吟するのだった。翌朝、オルロフの代役で呼ばれたポチョムキンは沈んでいたが、次が待ち遠しいと言う彼にエカテリーナは手紙を書くよう求める。オルロフはエカテリーナがポチョムキンと文通を始めた事を知らなかったものの、ポチョムキンの存在を目障りに感じ始め、彼を恫喝する。「消えろ!」と言うオルロフにポチョムキンは反抗的な態度を見せるのだった。 オスマン帝国ではエカテリーナが献上品の受け取りを拒否した事実を知ったムスタファ3世が激怒、報復措置としてエカテリーナがオスマン帝国の首都・イスタンブール(コンスタンティノープル)に派遣したロシアの外交使節団は皆殺しとなり、エカテリーナ暗殺に失敗した使節団の団長パシャ・ジャネルも責任を問われて処刑される。そして、外交使節団に同行してオスマン帝国駐在のロシア大使として赴任したアレクセイ・ミハイロヴィチ・オブレスコフ伯爵(ロシア語版)は逮捕され、地下牢に幽閉される。それはロシアへの事実上の宣戦布告であった。 だが、開戦を迎えようにも国庫は空で、地方では食糧難から暴動が続出していた。そんな中、旧都・モスクワでは新帝擁立とモスクワ還都を目論む保守的な貴族たちによるクーデター計画が進行しているという情報が秘密警察によってもたらされる。 それは、ピョートル大帝の死から43年経ち、大帝の威光が薄れつつあった今、傍系であるイヴァン6世の弟で現在幽閉中の二人を奪還し、第4代皇帝・アンナ・イヴァノヴナ(在位:1730年〜1740年)の遺書の規定に基づいてモスクワで正統な皇帝として即位させようという計画であった。赤の広場で即位を宣言した新皇帝はクレムリンに住み、古称の「ツァーリ」を称し、ピョートル大帝に贈られて以後代々受け継がれていた「インペラートル」の称号は禁止するのだという。 当時、先帝エリザヴェータやピョートル3世(フョードロヴィチ)が帝位継承法の規定に基づいて継承者を定めた遺書を残していないとされており、貴族たちはクーデターでエカテリーナを追い落としてパーヴェルとアレクセイの帝位継承権を否定し、自分たちの意のままになる皇帝を擁立する可能性があったのだ。 シェシコフスキーの報告を聞いたエカテリーナは「親プロイセン派だったパーニンが、プロイセンの意向を受けて関わっているのではないか?」と疑うが、「外国からの働きかけは無く、国内から出てきた動きです」とシェシコフスキーは否定した。だがパーニンにもこの先、貴族たちによる工作の手が伸びないとも限らず、彼が反乱分子に与するような事態になることは絶対に避けねばならなかった。そこで宰相の地位を望んでいる彼を昇進させ、こちら側に取り込むようエカテリーナに進言する。 エカテリーナはかつてパーヴェルが温めていたネヴァ川の側に父・ピョートル3世の騎馬像を建立する計画のために描いたデザイン画を見て、帝都サンクトペテルブルクを創建したピョートル大帝の騎馬像を建立することを思い付き、ペテルブルクを近代都市に大改造する構想を抱いていたベツコイを計画の総責任者に任命した。巨大な騎馬像が立つことにより、大帝の威光が薄れつつある現状も打破出来るはずだと考えたエカテリーナは、騎馬像の建立を具体的に進める事にする。 国難ともいうべき苦境を打開するべく、エカテリーナは南下政策の推進により一層力を入れることになるが、これにヨーロッパ諸国が干渉する可能性があったため、干渉を防ぐためにプロイセンなど、同盟国の協力が不可欠となってくることが判明する。その中でもデンマークの援助を取り付けるため、ホルモゴルイに幽閉しているイヴァン6世の父・アントン・ウルリヒ公を釈放し、親族の住むデンマークに送る事になった。折しもエカテリーナはアメリカ大陸原産の野菜の作付を推進するために地方への視察旅行に出掛けることになっており、その際にホルモゴルイに立ち寄る事にする。この地方視察にはパーヴェルとソフィア、秘密警察長官・シェシコフスキーらが同行し、宮廷にはパーニンとアレクセイ、オルロフ兄弟が留守居役として残ることになった。 アントン・ウルリヒ公とイヴァンの弟妹たちが幽閉されているホルモゴルイは北極圏に近い最北の地であった。一緒に幽閉されていたイヴァンの母后で摂政(在位:1740年~1741年)も務めていたアンナ・レオポルドヴナは既に亡くなっていて、ウルリヒ公も過酷な生活のためか盲目になっていたが、娘たちは健気に明るく振る舞い、パーヴェルは心を痛める。エカテリーナに全員の赦免を求めるパーヴェルだが、逆にエカテリーナから「為政者は国家と国民の命を護らねばならぬ。帝位を継ぐ者として理解せよ!」と手厳しい叱責を受ける。 ホルモゴルイを去り、次なる視察地へと向かう途中で休憩を取ったエカテリーナはソフィアと話し合いを持つ。この地方視察中に是が非でもパーヴェルとソフィアを結びつけたいと考えていたエカテリーナは休憩後の移動に際し、パーヴェルの馬車にソフィアを乗せ、密室状態の中でソフィアにパーヴェルを誘惑させることにする。そして、血生臭い権力闘争の上に成り立つ帝国の現実を目の当たりにし、暗澹たる思いに沈んでいたパーヴェルはソフィアから優しく慰められる。病弱で内気だったパーヴェルは初めての恋に開眼するのだった。一方、アントン・ウルリヒ公から「子供達4人を残しては行けない」と釈放を拒否されたエカテリーナは彼がイヴァンに宛てて書いたはずの手紙が白紙のままだったことを知り、ウルリヒ公がイヴァンの死を悟った事を知る。 翌日、エカテリーナとその一行はモスクワ郊外のトロイツコエ村にあるダリヤ・サルトゥイコヴァ伯爵夫人の領地を農業の視察のため訪れる。サルトゥイコヴァから歓迎のもてなしを受けるエカテリーナ一行だが、農奴たちの異変を感じたシェシコフスキーがフョークラと共に密かに捜査、多数の農奴が犠牲になっていた凄惨な事件が明らかになり、サルトゥイコヴァは護衛兵によって緊急逮捕される。 視察を切り上げ、ツァールスコエ・セローの宮殿に戻ることにしたエカテリーナはサルトゥイコヴァ邸から押収した証拠書類の束に目を通しながら自らの未熟さを嘆くとともに、農奴たちの悲惨な暮らしぶりに衝撃を受ける。そして、農奴解放と専制政治による改革の必要性を痛感し、こう語る。「何も分からなかった。国民のことをよく知らず、国のことも無知だった」と。「途中に宮殿があるのでそこで一泊しては?」と進言するフョークラに対し、エカテリーナは「馬を替える時以外止まらない。昼夜兼行でサンクトペテルブルクに帰る。陰謀の巣窟となっているモスクワからできるだけ離れたい」と拒絶する。 一方、パーヴェルはソフィアへの恋心を抑えきれず、二人は馬車の中で遂に肉体関係を持つ。そして、宮殿に戻ったエカテリーナは留守居役のオルロフから熱烈な出迎えを受ける。そんな二人を寂しげな目で見送るポチョムキンの姿があった。 その夜、エカテリーナとオルロフは寝室で久しぶりにセックスを楽しんでいた。実はオルロフはエカテリーナの地方視察中に医師・ピンクスによる治療 を受け、一晩中、エカテリーナを相手にセックスを楽しむまでに精力を回復していた。オルロフの精力が回復したことに安堵したエカテリーナはセックスの最中に「なんて素晴らしいのかしら。こんなに気持ちのいいセックスは初めてよ。幸せ過ぎて死にそう。グリゴリー。あなたなしではとても生きていけないわ!」と、久しぶりに快楽を味わった喜びを語り、夜が明けた際には「男は疲れるけど女は元気になるわ。セックスには理解できない秘密があるのね」と語っている。 だが、オルロフはエカテリーナとのセックスで疲れ果て、起き上がることもままならない状態になっていた。そうした中でも、「(留守の間に)パーニンと話をつけた。彼を宰相に」と進言し、エカテリーナを激しく抱き締めてキスするのだった。 エカテリーナは久しぶりのセックスで底知れぬ快楽を味わい、満ち足りた気持ちに包まれながら寝室を去り、執務の準備に取り掛かる。しかし、決して万全とはいえない体でエカテリーナを肉体的に満足させたオルロフの払った代償はあまりにも大きく、精根尽き果てた彼はこの時からエカテリーナとベッドを共にした後に失神して倒れるという深刻な症状に見舞われ始める。オルロフは床の上に倒れているところを侍従のセミョーンやメイドのアーグニャによって助けられるが、1ルーブルの賄賂を渡した上で「陛下(エカテリーナ)には言うなよ」と口止めするのだった。 サルトゥイコヴァの農奴たちに対する残虐行為の実態が次々と明らかになり、あまりの凄惨さに驚愕したエカテリーナはサルトゥイコヴァと共謀した者を全員逮捕し、逃亡した者は指名手配するよう命じる。また、サルトゥイコヴァから賄賂を受けた役人は降格処分とし、近隣に住む牧師も逮捕させ、貧しい者を受け入れるよう教会に話すと言うエカテリーナにパーニンはサルトゥイコヴァの逮捕には何らかの理由付けが必要だとしてこのようにすべきだと進言する。「サルトゥイコヴァは夫の死後、正気を失い、精神に問題を抱えた」と。しかし、エカテリーナは理由付けなどそもそも無用だと却下する。さらに問題となったのはサルトゥイコヴァへの裁きをどうするか、ということである。パーニンは「本来ならサルトゥイコヴァを処刑すべきだがそう簡単にはいかない。サルトゥイコヴァのような人間が1人だけいるとは限らない。己の楽しみのために女性を犯し、虐待する地主は他にもいる。無実の人間を投獄し、殺すことだってある。今回の事件は例外ではない。残念ながら我が国ではよくある話だ」と言い、シェシコフスキーは「殺人も」と反復する。「法を見直すしかない。農奴をこき使う他の地主や貴族たちへの見せしめとしてサルトゥイコヴァを鞭で殴り殺せ!」と命じるエカテリーナだが、シェシコフスキーは「貴族に身体的な危害を加えることは(ピョートル大帝が定めた)法で禁じられている」と忠告する。「それならばギロチンか車裂きか絞首刑か、いずれかを選べ!」と反駁するエカテリーナに対し、パーニンは「サルトゥイコヴァを処刑すれば、既に不満を抱えている貴族たちが反乱を起こすだろう。サルトゥイコヴァは旧家の出身で、コネもあればカネもある。処刑は無理だ」と上奏する。「前にも抵抗を受けた」というエカテリーナはオスマン帝国との戦争中に国内の敵を一掃する必要があるとして、モスクワでクーデターを企てていた貴族たちを一斉逮捕し、罪を犯した者をシベリア流刑に処すようシェシコフスキーに命じる。 一方、パーヴェルは女官室で女官たちからサルトゥイコヴァによる農奴虐殺事件に関する噂が出回っていることを聞かされるが、事件を直接見聞きしたわけではないパーヴェルは全く関心を持とうとしなかった。そこで女官たちは話題をパーヴェルの愛妾となったソフィアの話に変えることにし、パーヴェルも同意するが、そこに当のソフィアが現れる。ソフィアのことしか頭にないパーヴェルは早速言い寄るがソフィアは人目を気にしてこれを断る。しかしパーヴェルは諦めずに再び言い寄る。「僕を悲しませないでくれ。人前だろうが関係ない。母上を始め、皆に見せつけてやる!」と。これにはさすがのソフィアも「後で参りますから待っていて下さい」と宥めるしかなかった。 それから数日後に開かれた御前会議の席上、エカテリーナはグリゴリーを海軍大将に、アレクセイを海軍中将に任命し、軍艦の建造を急ぐよう申し渡す。そして、パーニンに戦闘に必要な備品の調達、武器製造の独占権と「帝国で最も重要な職務」を与え、「重責の疲れを癒やす」という触れ込みでフォンタンカの宮殿、面積10万デシアティーネのポルタヴァ の荒野、2万人の農奴と50万ルーブルの給金を与えると申し渡す。突然の昇進通達に驚きを隠せなかったパーニンはエカテリーナの左手に感謝のキスを捧げ、「国母にして守り神」と涙を流して感謝の言葉を述べ、プロイセンとの協定(軍事同盟)について問うたエカテリーナに対し、「フリードリヒ大王は勝者が誰か分かるまでは交渉の席に着かない。もしも我が国が勝てば軍事同盟の締結を打診してくるだろう。だが負ければ・・・。そんなことはないと私は信じていますがね。負ければ裏切られる」と具申する。最終的にエカテリーナは「軍事同盟を締結する前に何か別の条件を提示しなければならない。また、国民の士気を高めるため、ピョートル大帝の像を作る。」と宣言し、会議はお開きとなる。こうして、宰相の地位に就いたパーニンはこれまで反オルロフで一致していた若手のレフ・アレクサンドロヴィチ・ナルイシキン伯爵(ロシア語版)らを裏切ってオルロフの側につく。 ある日、エカテリーナの元へ封印された報告書が届く。実は早くからオルロフの行動に疑念を抱いたエカテリーナがシェシコフスキーとオルスーフィエフに命じてオルロフの身辺調査をさせていたのだが、ここへ来てその報告書が出来上がったのだ。 エカテリーナから報告書を見せられたソフィアは調査にも協力しており、調査結果を見て衝撃を受けるであろうエカテリーナの立場を慮り、「見ないで燃やしてしまった方が良い」と忠告する。そこでエカテリーナはソフィアに与えた密命の進捗状況を問い質す。「パーヴェル・ペトロヴィチの子を妊娠したの?」と。ソフィアは「まだ妊娠の兆候はありません。もう少し時間が欲しいです」と答える。すかさずエカテリーナが畳み掛ける。「パーヴェル・ペトロヴィチに余計な事を言っていないわよね?」と。するとソフィアは「パーヴェル様には『どうか眠らせて下さい』と言っただけです。」と答えるのがやっとだった。 ソフィアの言葉から察するに、どうやらパーヴェルは寝る間を惜しんでソフィアとのセックスを楽しみ、彼女の体にのめり込んで倦むことを知らなかったのである。そして、この日の夜もソフィアはパーヴェルからセックスを求められたが、不眠不休でパーヴェルの欲望に応えてきたために心身共に疲れ切っていて、『眠らせて下さい』と訴える。しかし、自分の童貞を奪ったソフィアを我が物にした喜びに浸っていたパーヴェルはソフィアの嘆願を聞き入れるどころかますますセックスに熱中し、本気でソフィアを愛するようになっていた。その結果、パーヴェルから執拗にセックスを求められたソフィアは朝まで眠らせてもらえず、音を上げていたのだ。やがて、パーヴェルの欲求を持て余すようになったソフィアは一途な彼を欺きながらセックスに興じている自分に罪悪感さえ感じて、密かに涙していた。 一方、宰相となったパーニンは町外れの賭博場に現れ、エカテリーナから与えられた宰相としての給金50万ルーブルをそっくりそのままカード賭博の掛け金に投じるのであった。 エカテリーナは逡巡の末、報告書の封印を解く。そこには娼館に日参するオルロフの行動と、彼が医師ピンクスの元で何らかの治療を受けている事が記されていた。驚愕したエカテリーナが呼び鈴を鳴らすや否や、控えの間にいたオルスーフィエフが入室し、エカテリーナから報告書の内容を詳しく説明せよと命じられる。オルスーフィエフは報告書の内容を事細かに説明するが、報告書の内容に物足りなさを感じたエカテリーナは報告書をシェシコフスキーに回し、ピンクスを初めとする関係者を尋問するよう命じる。 ピンクスはペトロパヴロフスク要塞に呼び出され、エカテリーナの命を受けたシェシコフスキーによる尋問を受けていた。ピンクスは当初、守秘義務を盾に証言を拒否していたが、シェシコフスキーに案内された拷問場で過酷な拷問を受ける囚人たちを目の当たりにした上、シェシコフスキーからヒポクラテスの誓いを暗唱するよう強要されて動揺し、遂にオルロフの秘密を明かす事になる。 お忍びでペトロパヴロフスク要塞を訪れたエカテリーナは尋問の一部始終を尋問室の壁に開けられた穴の外から聞いていた。部屋の外でエカテリーナが聞き耳を立てていることなど知る由もないピンクスはオルロフが密かに精力回復の手術を受けて生殖能力を失った事を自白し、供述調書に署名するのだった。エカテリーナは体が震える程の衝撃を受けると同時に、オルロフへの信頼も、彼と結婚してパーヴェルに代わる後継者を産むというかすかな望みが無残に砕け散ったことを知り、十字を切ってその場を立ち去るのだった。さらにシェシコフスキーはフョークラら関係者への尋問を行い、裏付け捜査を進めていく。一方、オルロフが受けた治療は性欲を急激に高めるものなのか、と問うエカテリーナにロジャーソンは頷き、その上「切除したのなら生殖能力は戻らない。ピンクスは詐欺師だ」と言う。オルロフのこれまでの不可解な行動、そして、先日味わった激しいセックスと全ての辻褄が合い、エカテリーナは更なる衝撃を受けるのだった。 パーヴェルとの荒々しいセックスの余韻が残るソフィアの寝室では、相思相愛の仲になったパーヴェルとソフィアがアレクセイとチェスを楽しんでいた。その時、ラズモフスキー兄弟が突然押しかけてくる。兄のピョートルは歩兵連隊少尉として、弟のアンドレイは海軍少将として出征することになり、挨拶に来たのだ。ピョートルはソフィアがパーヴェルの愛妾となったことに驚きながらも、ドレスに着替えて女官室にいたソフィアに自己紹介し、文通の申し込みをするのだった。 そしてある日、エカテリーナやパーヴェルの肖像画と並んで飾られていたアレクセイの肖像画がオルスーフィエフの指揮の下で撤去される。オルスーフィエフに理由を尋ねるパーニンだが、オルスーフィエフは「陛下の命令だ」の一点張りで詳しいことは知らないという。当然、これにはパーニンも何かが起きていると察知する。一方、エカテリーナは心の安寧を求め、お忍びでペトロパヴロフスキー大聖堂に足を運ぶが、出迎えたガブリエル大主教がオルロフとの結婚について、主教会議で承認を与える意向を伝えてきた。宰相パーニンの説得やこれまでのエカテリーナによる有形無形の圧力に耐えかねての苦渋の決断であったが、エカテリーナはあっさりと申し出を断り、主教会議の議題を変更して教会は農奴への残虐行為に声を上げるべきだと指摘する。これに対して大主教は修道院の閉鎖や修道院所有の農地を没収して国有化する政府の政策を見直せば教会は自主的に軍を支援できると答えるが、エカテリーナはピョートル大帝が教会の鐘を没収して大砲を作らせた故事 を引き合いに出し、教会に対する強硬措置は望まないと述べる一方、「農奴への残虐行為を行った者には礼拝を認めないよう勧告したにも関わらず、未だに礼拝を認めているトロイツク(ロシア語版、英語版)の主任司祭は地獄行きです。教会は教えに従わない信者を破門にする権限がある。それを行使すべきだ」と脅迫する。そして、戦争が近づいている今、民心を離反させないため、地主による農奴への暴虐が起こらぬよう、全国各地の教会に厳しく監視させるよう命令を下し、農奴虐殺事件を起こしたサルトゥイコヴァを終身禁固刑とし、貴族の称号を剥奪する裁きを下すのだった。 それから間もなく、エカテリーナはソフィアからパーヴェルの子を妊娠したという報告を受ける。「パーヴェル・ペトロヴィチの子ね?」と畳み掛けるエカテリーナに「そうです」と返事するソフィア。それは、パーヴェルに生殖能力があることが判明した瞬間だった。「私は今まで肉体関係を持ってきた殿方の子を妊娠したことがありません。なので、今回が初めての妊娠です。」と語ったソフィアを妊娠させ、男としての能力が備わったことが分かったパーヴェルによってロマノフ王朝を存続出来ると知ったエカテリーナは大いに安堵し、早速お妃探しに心を移す。「陛下、私はどうなりますか?」と不安げに訊くソフィアはもはやエカテリーナの眼中に無く、「ようやく我がロマノフ王朝に若くして子孫を残せる男(パーヴェル)ができたのは喜ばしいことよ。腰幅の広いドイツ人女性を娶る。子供をたくさん産んでもらうわ。そして生まれる孫(パーヴェルの嫡子)を立派な皇帝に育てて見せる。パーヴェル・ペトロヴィチは立派な皇帝になれない定め。孫が皇帝になるまで私は死ねないわ」と将来の夢を嬉々として語るのだった。こうしてエカテリーナはまだ辛うじて子供を産むことができたにも関わらず、新たな嫡子を自ら産む計画を諦め、生殖能力を見せつけたパーヴェルに嫡子作りを託すことにする。 エカテリーナの命でソフィアは侍医ロジャーソンの診察を受け、妊娠8週目に入ったことが判明する。しかし、エカテリーナにしてみれば、パーヴェルに生殖能力があると分かった以上、ソフィアの役目はとうに終わったのでパーヴェルの子を堕胎するようロジャーソンに命じる。ところがロジャーソンは堕胎処置を拒み、先に詐欺師呼ばわりしたピンクスの診察を受けるべきだと進言する。数日後、ソフィアは人目を忍ぶようにピンクスの屋敷を訪れて診察を受けるが、「子供を一度しか産めない体だ。この子を産もうが堕胎しようが、次の子は出来ない。妊娠しても早い段階で流産する」と診断され、産むことを薦められる。去り際にソフィアは診察代の支払いを申し出るが、「ピンクスは女性の検査の金は受け取らない」と言って診察代の受け取りを拒否した。結局、ソフィアはこの診断結果を受けて苦悩を抱えることになる。 エカテリーナはベツコイを呼び出し、パーヴェルに与える新たな称号について相談する。ベツコイはピョートル大帝がツェサレーヴィチの称号を忌み嫌っていた故事を引き合いに出した上で、先帝エリザヴェータがピョートル3世にツェサレーヴィチの称号を与えず、「偉大な継承者」というぼかした称号しか与えなかったことを説明する。エカテリーナは「愚かな甥には荷が重すぎたから」だと推理した上でツェサレーヴィチの称号をパーヴェルに与えることにする。そしてエカテリーナはパーヴェルに「これからはあなたが唯一の帝位継承者よ」と告げ、ソフィアがパーヴェルの子を妊娠したことには触れぬまま、ソフィアと即刻別れるよう命じるが、パーヴェルはそれを拒絶する。 その後、久しぶりに会ったポチョムキンはそうした事情を知る由もなく音沙汰のない事に臍を曲げていたが、エカテリーナは「二人きりで話したいことが沢山ある」と打ち明け、恋心を仄めかす手紙を書くのだった。 宮殿ではフランスから招かれた彫刻家エティエンヌ・モーリス・ファルコネ(ロシア語版) により、ピョートル大帝の騎馬像の雛形が制作されていた。ポチョムキンがエカテリーナに計画の進捗状況を報告しているところに、台座となる巨大な花崗岩が見つかったとベツコイが報告にやって来る。早速エカテリーナはベツコイとファルコネを伴い、岩のあるフィンランド湾のラフタ海岸へ視察に出掛ける。"雷の石"と呼ばれていたその巨岩は2,300トンもあり、騎馬像の設置予定地となる元老院広場まで運ぶには3年を要し、造船と基盤整備も伴う大事業になることから、ポチョムキンの能力を見込んでいたベツコイはこれを彼に任せるようエカテリーナに進言する。 オスマン帝国との戦争に備え、海軍造船所では最新鋭の軍艦が建造されていた。ある日、エカテリーナは軍艦の視察に訪れる。相手は世界最強のオスマン帝国艦隊とあって、細心の注意を払った軍艦の出来栄えにエカテリーナは満足して引き上げていく。 そして事件は起こる。エカテリーナが実はポチョムキンに心を奪われている事を察知したパーニンは手下を使ってポチョムキンの屋敷を襲い、ポチョムキンの下僕に口止め料を支払ってエカテリーナの手紙を違法に持ち出し、オルロフ兄弟に渡してしまう。数日後、パーニンに唆されたオルロフ兄弟はビリヤードに招いたポチョムキンに因縁をつけてリンチし、肋骨の骨折と片目を失明する重傷を負わせたのだ。駆け付けたベツコイからオルロフ兄弟が無実の罪を着せて命を狙っていると知らされたポチョムキンはオルロフ兄弟との決闘を望むが、ベツコイは「今すぐペテルブルクを離れろ。(秘密警察長官の)シェシコフスキーには通報してある」と言う。ポチョムキンはベツコイの指示に従い、戦場に向かう途中の町・ルーツィクからエカテリーナに手紙を送る。そこには、リンチ事件には触れず、国境守備隊への異動は自らの希望であり、「あなたと過ごしたひとときは永遠に私の胸に刻まれた」と、別れの言葉だけが記されていた。 突然届いた別れの手紙にエカテリーナは動揺するが、間もなく全てを理解したのだろう。パーニンの目論見通り、オルロフはエカテリーナから個人的に会うことを拒絶され、手紙の受け取りにも応じなくなった。また、アレクセイも後顧の憂いを断つべく、海外留学を口実にイギリスに追放されることになった。イギリス行きを知ったアレクセイはパーニンに向かって「もし僕が泣きながら『ママ、愛してる』と言ったなら、母上は引き留めてくれるのかな?」と言った。そして、アレクセイがイギリスに発つ日。パーヴェルとソフィアが見送りに来たものの、エカテリーナは遂に姿を見せなかった。アレクセイはパーヴェルにとってただ一人心を許せた肉親だっただけに、我が子である弟でさえも利用価値なしと見なせば容赦なく切り捨てるエカテリーナの冷酷さに怒りは深まるばかりだった。 エカテリーナはポーランド国王・ポニャトフスキから「反乱の鎮圧に手こずっているのでロシア軍を援軍として派兵して欲しい」と要請されたのを利用し、オルロフ兄弟に対する懲罰人事を発令する。オルロフは海軍大将を罷免されてポーランドの反乱を鎮圧する部隊への異動を命じられ、アレクセイは海軍大将に任命される。リンチ事件の顛末をエカテリーナに察知されて追い詰められたオルロフは大主教の力を借りてエカテリーナと結婚しようと12棟の学院館を訪れる。12棟の学院館ではちょうど、主教会議が開かれており、オルロフは大主教に結婚式はいつ行われるのかと問い質すが、逆に大主教から「結婚は一人では出来ない。陛下が結婚式を行うお考えはない」と、エカテリーナにはもはやオルロフと結婚する意志がない事を示される。大主教が立ち去った後、鼻を拭ったその手には多量の血液が付いているのだった。 一方、ソフィアはエカテリーナに目通りするが、開口一番、「なぜ堕胎の約束を守っていないの?」と厳しく叱責される。ピンクスから「堕胎すればもう二度と妊娠できない」と診断されていたソフィアは自身が幼くして両親と死別し、兄弟もいない孤独さから解放されたいという思いもあり、主君であるエカテリーナの意に逆らってでもパーヴェルの子を産むことを決意したのだ。しかし、オルロフに裏切られたことから猜疑心が芽生えると共に、アレクセイを皇族に列したことを後悔していたエカテリーナは「パーヴェルに伝えるのは許さないわ。あの子はまだ子供。父親の自覚なんてない。(中略)それと、アレクセイには普通の人生を歩ませる。あの子に帝位を継がせなくてよかった。アレクセイは『ドイツの皇女とロシアの伯爵の息子』でしかない。だが、そなたが産もうとしている子はいつか、私に取って代わろうとするだろう。なぜだか分かるか?それはそなたが宿している子が『ロマノフ家の血を引く息子』だからだ!」と怒りを爆発させる。ソフィアは「なぜ『息子』だと?」と畳み掛けるが、エカテリーナは「関係ない!」と怒鳴り散らしてその場から立ち去ろうとする。そこでソフィアはエカテリーナのドレスの裾を掴み、涙ながらに直訴する。「どうかお許し下さい、陛下!どんな処罰も甘んじて受け入れますが、その代わりに子供を産ませて下さい!」と。これにはさしものエカテリーナも冷酷にはなり切れず、「そこまで言うのなら好きにするがいい。その代わり、パーヴェルとは今日中に別れるのよ!」と命じるのだった。 ソフィアから「もう私たちの関係は終わり。パーヴェル様は皇位継承者、私は一介の女官。結ばれるべきではなかったの」と別れを告げられたパーヴェルは動揺を隠せずにいたが、妊娠を告げられて態度が一変する。我が子が息づいているソフィアの腹を撫で、胎動を感じ取ったパーヴェルは「妊娠は知っていた。分かっていた。きっと男の子だ。こうなったからには一刻も早く関係を宣言し、結婚しよう。ピョートル大帝の先例もある。ピョートル大帝は身分の低い女性(エカテリーナ1世)と結婚したが、生まれた子(エリザヴェータ)は帝位を継いだ。」とプロポーズする。しかしソフィアは「私たちは陛下(エカテリーナ)に利用されただけ。この子を産めば、私たちには未来なんてないのよ!」とエカテリーナの策略で近づいたことを暴露し、「あなたのような子供にこの私が本気になるとでも思った?パーヴェル様が子孫を残せるかどうか、陛下はそれを知りたかっただけ。首尾よく私がパーヴェル様の子を妊娠して陛下は大喜び。パーヴェル様はこの後、ドイツの皇女と結婚するの。この子を産むことは罪。違法な出産になってしまう。陛下の頭の中にあるのは国家のことだけよ」と心にも無いむごい言葉でパーヴェルを突き放し、自身も傷つくのだった。一方、自分とソフィアがエカテリーナに弄ばれたことを知ったパーヴェルだが、彼の気持ちは変わらず、「そなたを愛している!だから母上に結婚の許可を求める!」と言い張るが、「今は堪え忍ぶことを学ぶべきよ!」とソフィアに諭され、泣く泣く別れることに同意するのだった。 南方では再びオスマン帝国との戦争が勃発。御前会議ではパーニンが宣戦布告文の草稿を読み上げていたが、エカテリーナはかつてパーヴェルから「母上は即位から6年たってもまだ『エカテリーナ2世』のままだ」と言われたことを思い出し、「『エカテリーナ2世』の名では不足であり、何か妙案はないか?」と重臣たちに問う。数多くの案が出される中、ベツコイが提案した「大帝(ヴェリーカヤ)」という称号を気に入ったエカテリーナは宣戦布告を「エカテリーナ大帝(エカテリーナ・ヴェリーカヤ)」の名のもとに行うことにする。そしてパーニンは「陛下はピョートル大帝の真の後継者である!」とエカテリーナを称賛する発言を行う。一方で戦場のポチョムキンの身を密かに案じて手紙を送り続け、ポチョムキンも過酷な野戦の日々の中で手紙を書き、互いの心は深い絆で結ばれてゆく。 1768年10月、ソフィアはエカテリーナに目通りし、パーヴェルが泣く泣く別れることに同意したことを報告する。また、パーヴェルは父親となった手前、生まれてくる我が子に称号を与えることを約束し、男子なら「ヴェリーキー」、女子なら「ヴェリーカヤ」という称号を与えることになった。報告を聞いたエカテリーナはソフィアに堕胎を迫っていたこれまでの態度を一変させ、「パーヴェルが私の名前をつけたら面白いわ!」と高笑いするが、ソフィアは「『大公』の子の名前には『大帝』がふさわしい」というパーヴェルの考えを伝えた上で「出産した後も宮廷に残りたい」と嘆願する。エカテリーナは「パーヴェルの子を妊娠して女官の職を退職した以上、宮廷に残るのは無理。生まれたら子供も渡して頂戴!」と拒絶するが、ソフィアへの餞別として手厚い退職手当と邸宅、数人の侍女と乳母を与えて送り出すのだった。愛する女性と強引に引き裂かれたパーヴェルは、やがて生まれた息子のシメオンにも一度しか会わせて貰えず、エカテリーナへの憎悪をますます深めてゆく。 オスマン帝国との全面戦争に突入したロシアは緒戦で敗退を重ね、芳しくない戦況に民心は動揺、ペテルブルクや南方ではピョートル3世の僭称者による農民の反乱が発生していた。そうした事から、パーニンの提案でアレクサンドル・ネフスキー大修道院に埋葬されていたピョートル3世の遺骸を掘り返した上で歴代皇帝の霊廟となっているペトロパヴロフスキー大聖堂に再埋葬すると同時に戴冠式を執り行って生存説を払拭することが計画される。エカテリーナやベツコイは反対するのだが、最終的には民心の動揺を抑えるのが先決とのパーニンの上奏を受け入れる。父を敬愛してきたパーヴェルもこの再埋葬計画を討議する会議にエカテリーナの特命で出席するなど、準備に意欲的に参加しようとする。しかし、アレクサンドル・ネフスキー大修道院を訪れたベツコイが墓の様子を報告して強硬に反対したこともあり、計画は土壇場で頓挫する。 何も知らないパーヴェルは父が作曲したバイオリンの曲を再埋葬式で演奏させようと楽譜を書き写していたのだが、侍従のルカから再埋葬式が中止になるようだと報告を受ける。今まで積もりに積もっていた母への怒りが爆発した彼は庭園にいたエカテリーナの下に押しかけて拳銃を向け、口汚く罵ってしまう。しかし、拳銃を突き付けられても泰然として動じず、「私は決して逃げないわ。撃ちたければ撃ちなさい!」と言うエカテリーナの気迫に圧倒されたパーヴェルは怖じ気づいて拳銃を取り落とす。直ちにパーヴェルは部屋に連れ戻され、シェシコフスキーはその場に居合わせたエカテリーナ付きの女官や侍従、庭師に箝口令を敷くのだった。 一方、パーヴェルの乱心に衝撃を受けたエカテリーナはパーヴェルが何故それほどまで自分を憎むのか理解できず、パーヴェルの公式行事への出席を差し止めるとともに、「ワインの匂いがした」というシェシコフスキーの証言を受けて食事中の飲酒も禁じると申し渡す。また、解決策としてパーヴェルの結婚相手を探すよう、オルスーフィエフに命ずる。 1770年、アレクセイ・オルロフ伯爵が率いるロシア帝国艦隊はイギリス海峡や地中海を通過する大航海の末、オスマン帝国の大艦隊が待ち受けるエーゲ海に到達。オスマン帝国海軍との小規模な戦闘を繰り返した後、チェスマの海戦で火船を用いた奇襲作戦を展開。圧倒的な戦艦の数を誇るオスマン帝国艦隊に壊滅的な打撃を与え、奇跡的ともいえる勝利を収める。宮廷にはチェスマの海戦での勝利と、ムスタファ3世がオスマン帝国海軍に黒海からの退却を指示した後、天然痘で急死したとの報告が届く。エカテリーナは好敵手の死を悼んで十字を切り、冥福を祈るのだった。 宮廷ではエカテリーナの指示で盛大な戦勝祝いの宴が行われることになり、パーヴェルも1年に及ぶ謹慎を解かれて参加することになった。出征していたパーヴェルの友人・ラズモフスキー兄弟も特別休暇を与えられて帰還し、パーヴェルとの再会を喜び合う。兄のピョートルは歩兵連隊大佐、弟のアンドレイは海軍中将への昇進が決まったほか、エカテリーナからは褒美として国庫の鍵を与えられ、宮廷への自由な出入りを許されることになった。 一方、パーヴェルの息子・シメオンを産んだソフィアはエカテリーナが餞別として与えたペテルブルク市内の邸宅で数人の侍女や乳母と共に子育てに専念していた。そこにピョートルが現れ、求婚される。かねてからソフィアを熱愛し、「あなたを決して一人にはしない。あなたの息子を我が子同然に育てていきたい」というピョートルの熱意を告げられたソフィアだが、「年上で子連れの女に惚れるなんて後悔するわよ。それに、私はもう二度と妊娠できない体になってしまったの。だから諦めて。今は手元で育てることを許されているけど、シメオンもいつかは陛下(エカテリーナ)に奪われる定めだから」と拒む。しかし、「それなら今のうちに結婚しよう。僕はあなたを孤独死させたくない!」というピョートルの真摯な言葉に涙して求婚を受け入れ、婚約指輪を右手の薬指にはめてもらうのだった。 1773年、アレクサンドル・スヴォーロフ将軍率いる地上軍も反転攻勢に出、守備隊3000人が立て籠る要塞を撃破、十倍の兵力だったオスマン帝国軍を敗退させる。宮廷では戦勝記念の叙勲式典が開かれ、5年の長きに渡り囚われの身であったオブレスコフ伯爵が聖アレクサンドル・ネフスキー勲章を授与される。オルロフも表彰され、エカテリーナからガッチナ宮殿とその周辺の領地を贈られた。すぐに居住出来るよう準備万端整えてあり、三日以内に移れと言う。それは褒美を口実にした宮廷からの追放命令も同然で、驚愕したオルロフはエカテリーナに翻意を求めるが、エカテリーナは聞き入れなかった。クーデターの立役者にしてエカテリーナの愛人、第二皇子・アレクセイの父親として絶大な権勢を誇り、一時は皇帝の座を狙った男はこうしてエカテリーナの前から姿を消すのだった。 やがてある日、ポチョムキンの夢を見たエカテリーナは耐えられなくなり、彼を戦場から呼び戻してプレオブラジェンスキー近衛連隊の中佐に任命する決意をする。宮廷ではパーヴェルの見合い話が進み、花嫁候補の三姉妹をアンドレイ・ラズモフスキーがハンブルクまで迎えに行くことになった。ところが彼は航海中に長姉のヴィルヘルミナに誘惑されてしまう。アンドレイは良心が咎めるが、ヴィルヘルミナの方はまるで意に介さなかった。そしてこの関係は結婚後も続き、やがては宮廷を揺るがす大事件に発展する事となる。 一方、宮廷ではラズモフスキー兄弟の父・キリル・ラズモフスキー伯爵が血相を変えてエカテリーナに目通りを求めてきた。息子のピョートルが「男を手玉に取る"ペテルブルク一のふしだら女"」として知られ、エカテリーナの計略でパーヴェルとの間に息子を儲けたソフィアと結婚する事を阻止して欲しいというのだが、エカテリーナは「結婚はやめさせられるが恋心は止められない」と言って意に介さなかった。そこでラズモフスキーは「ソフィアに(パーヴェルとの)不道徳を唆し、見返りとしてソフィアに大金や領地を与えたのはあなただ、誰もが知っていますよ。(ソフィアに)孫を産ませたのだから」と畳み掛けるのだが、エカテリーナはソフィアが裕福になったのは彼女がパーヴェルの子を身籠って退職する際に餞別として退職手当を与えたに過ぎないと切り返す。目的を果たせなかったラズモフスキーは「今日は私の人生で最悪の日だ」と述べて退出しようとしたところをエカテリーナに止められ、科学芸術アカデミーの長官でありながら、ロシアの科学分野の発展に何の寄与もしていなかった職務怠慢ぶりと、フランス一のシェフを招いて毎晩牛1頭・羊12匹・鶏100羽を料理させる奢侈な生活を送っていることを穏やかな口調で厳しく咎められる。ラズモフスキーは「科学芸術アカデミーの長官は科学者ではなく管理者であり、料理は客人が多いので」と弁明するが、エカテリーナから「3年以内に100万ルーブルを投資して『大学1校・専門大学(単科大学)12校・学校100校』を設立し、国家に貢献せよ。事業が完成するまで贅沢な晩餐は無し!」と命じられるのだった。 花嫁候補を乗せた帆船がペテルブルクへと向かう中、ポチョムキンがエカテリーナの元へ帰って来た。5年ぶりの再会に言葉を失う2人だったが、エカテリーナはフョードロヴィチとの結婚以降の全てをポチョムキンに告白する。結婚後7年間処女であったこと、夫を愛そうと努力し愛される日を待ち続けたこと、そして、もし愛し合えていたなら愛人など持たなかった、と。さらに、ポチョムキンに夢中であったのにオルロフと別れられなかったと打ち明ける。ポチョムキンはエカテリーナの懺悔のような告白に何度か口を開こうとするが、エカテリーナに制止された上、「皇帝と臣下という立場は忘れて欲しい」と求愛される。ポチョムキンは早すぎると言い一瞬躊躇うが、「心の中ではもう何年も一緒にいた。あなたと過ごした時が私にとってどんなに素晴らしく、幸せな時だったかをあなたは知らないわ」と訴えるエカテリーナの求愛を受け入れ、白夜の中でついに二人は結ばれる。エカテリーナは「誰にも捧げなかった魂をあなたに」とポチョムキンに愛を誓い、後にはポチョムキンとの子供を産むことを望む発言さえするのだった。 三姉妹がペテルブルクに到着し、早速面談したエカテリーナは積極的な性格のヴィルヘルミナを気に入り、彼女の正体を見抜けず「あなたを信じる」と、侍医による処女検査を免除してしまう。ポチョムキンと結ばれて幸福の絶頂にいたエカテリーナは冷徹な判断力を失っていたのだった。当のパーヴェルは、どうせ自分の意志など踏みにじられて母上の選ぶ相手に決まるだろうから好きに決めてくれれば良い、と投げやりになっており、皇太子妃はナタリアと改名したヴィルヘルミナに決定する。果たして結婚生活は早々に破綻、ナタリアは同時に8人の男と関係を持ち、あろう事か皇帝の座を狙って各方面に根回しをしていた事が明らかになる。また、アンドレイがナタリアやナタリアの乳母にまで手を出していたことも発覚する。激怒したエカテリーナは大主教に結婚の無効を申し立ててナタリアを国外追放しようとするが、妊娠している事を盾に妃の座に居座った。半年後、醜聞にまみれた妃は難産で命を落とす。 ナタリアの死から数週間後、エカテリーナはシェシコフスキーから緊急の報告を受ける。ガッチナ宮殿で失意の日々を過ごしていたオルロフがいとこの少女カーチャ・ジノヴィエヴィ(12歳)に対する性的暴行事件を起こしたというのだ。激昂したエカテリーナは宮殿にオルロフを召喚し、最後の対面をする。しかしエカテリーナが再会したオルロフは認知症が疑われるような行動、つまりはエカテリーナの顔も判らず、言葉も喋れず、ただひたすら大理石の胸像に縋り付くのだった。侍従たちに両脇を抱えられ、修道院送りにされるために連れ去られるオルロフの後ろ姿を見送るエカテリーナの胸を、皇太子妃と中尉だった頃の美しい思い出がよぎるのであった。 パーヴェルの後妻探しが始まり、候補はゾフィー・ドロテア一人に絞られるが、ナタリアの醜聞に辟易としたパーヴェルはまた痛い目に遭うのかと警戒し、おいそれと承諾しようとはしなかった。そこでパーヴェルは相手となるゾフィーに対する一方的な要求を書き連ねた「指示書」を作成し、エカテリーナの裁可を求めるなど精一杯の抵抗を試みるが、エカテリーナの命でプロイセンのシュテッティンまで自ら足を運んで会いに行ったゾフィーとは、少し変わり者という点で共通点があり、初対面でも心が通じ合った。パーヴェルが示した「指示書」を一読して「言葉のつづりに間違いがある」と問題点を臆することなく指摘した。ゾフィーはマリア・フョードロヴナと改名して、2番目のロシア皇太子妃となった。 1777年12月7日、マリアは皇室待望の男児・アレクサンドル(後の皇帝アレクサンドル1世)を産む。エカテリーナは長らく待ち望んでいたアレクサンドルに自ら帝王教育を施すため、パーヴェル夫妻から赤子を取り上げて手ずから育てようとする。かつて、エリザヴェータがエカテリーナからパーヴェルを取り上げ、養育すら許さなかった時のように。 放心状態のマリアは宮廷を抜け出し、大きな騒動となるのだが、ペテルブルク郊外のヴィーデンスキー修道院に匿われていたことが発覚。エカテリーナは引き渡しを要求するが、修道院側に拒絶されて激昂。12棟の学院館を訪れ、ガブリエル大主教に仲裁を依頼するが、逆に大主教から「陛下は『許しを乞うべきだ』と仰せられますが、それならばまずは陛下が手本を示すべきです!陛下は重荷を背負い過ぎた。そろそろ重荷を下ろして楽になるべきです。今からでも遅くはありません。陛下、ご自身が過去に犯してこられた罪の許しを神に乞うべき時が来たのです。そして、皇太子夫妻への束縛もおやめ下さい。」と諭される。 ほどなくマリアは宮廷に連れ戻され、パーヴェルは自分の無力さを涙を流さんばかりにして詫びるが、茫然としているところにエカテリーナが現れて赤ん坊を返してくれる。大主教に諭されて自らの苦痛を思い出したエカテリーナが、「文字を教える時期になるまで」という条件付きながらも、両親の元で育てる事を許したのだ。この一件によってエカテリーナは今までに自分が犯してきた多くの罪、葬り去った命を強く意識させられる。 明くる1778年5月、エカテリーナはイヴァン6世の弟妹にあたる4人の遺児たちに恩赦を与え、デンマークへの出国を許可する。なお、父親のアントン・ウルリヒ公は1774年に亡くなっていたという。彼らが不満分子に担がれて新たなクーデターを起こす危険性は依然として残っていたのだが。しかし、大主教から「懺悔だけでは足りない罪がある」と言われたため、エカテリーナはホルモゴルイへ向かう。そこで新任の修道院長から罪の償いとして3日間、囚人の暮らしを体験するよう要求され、神の許しと救いを得るために承諾。獄死したアントン・ウルリヒ公夫妻の墓 の前で心からの懺悔をする。 神の許しを乞うために囚人の暮らしを体験した数日後、エカテリーナはポチョムキンと二人だけでひっそりと結婚式を挙げる。それは幸福を求めて遠いロシアに来た14歳の少女が長い道のりを経て叶えた夢、愛する人との結婚だった。 劇中ではここで、エカテリーナの功績について述べている。 エカテリーナは啓蒙思想を信じ、実行に移した。 病院、避難所、孤児院を開設し、ロシア・アカデミーとスモーリヌイ女学院も設立。辞典が出版された。 さらに、画家、音楽家、作家、詩人、科学者を支援。 エカテリーナの在位期間中には全国で新たに144の都市が作られた。 帝国の人口は2倍に成長。 ロシアは黒海とアゾフ海に進出し、帝国の権力はかつてないほど強大化した。 かくして、エカテリーナ2世はロシア史上、最も英明な支配者となり、初代・ピョートル1世にも引けをとらない大帝となった。 そして、1782年8月18日(ユリウス暦)、エカテリーナの即位20周年とピョートル大帝の即位100周年(1682年)を記念して、ペテルブルクの元老院広場ではパーヴェルの構想をもとにエカテリーナが作らせたピョートル大帝の騎馬像の除幕式が盛大に執り行われる。エカテリーナやパーヴェル夫妻、パーニンやポチョムキン、シェシコフスキーやベツコイを始め、参列した人々はロシア帝国の礎を築いたピョートル大帝の偉大な生涯に思いを馳せるのだった・・・。
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