ロシアによる併合(1783年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:47 UTC 版)
「クリミアの歴史」の記事における「ロシアによる併合(1783年)」の解説
1682年、第二次ウィーン包囲により大トルコ戦争が開始されると、ロシアも参戦して露土戦争(1686年-1700年)を有利に進め、1700年にコンスタンティノープル条約が締結された。ロシアとオスマン帝国の間で直接結ばれたこの条約で、クリミア・ハン国は13世紀以来の伝統として要求してきたロシアからの貢納の取り立てを禁じられた。 1774年、露土戦争(1768年-1774年)に敗れたオスマン帝国は、キュチュク・カイナルジ条約でクリミア・ハン国の宗主権を放棄させられ、名目上独立したクリミア・ハン国はロシア帝国の影響下に入った:176。1778年にはロシアによって正教徒の住民がクリミアからアゾフ海北岸のマリウポリ周辺に強制移住させられた。そして1783年、ロシア帝国はキュチュク・カイナルジ条約を破棄してクリミア・ハン国を併合した:176。
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