ロシアによる占領・実効支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 03:05 UTC 版)
「歯舞群島」の記事における「ロシアによる占領・実効支配」の解説
1945年(昭和20年)9月2日、太平洋戦争(大東亜戦争)が日本の降伏により終結し「一般命令第一号」が発令された。この命令により、千島列島の駐留日本軍はソ連極東軍に降伏することが規定されると、ソ連軍が上陸して、占領下に入った。9月27日には「マッカーサー・ライン」(MacArthur line)が規定され、歯舞群島近海における日本漁船の活動が禁止されたが、マッカーサー・ラインは「納沙布岬と水晶島の中間」とされたため、「貝殻島は日本の海域」とされた。しかし、1948年(昭和23年)12月にマッカーサー・ラインが納沙布岬と貝殻島の中間に引き直され、貝殻島周辺海域もソビエト連邦の実効支配下に入った。 翌1946年(昭和21年)1月29日、GHQの「指令第677号」により歯舞群島に対する日本の施政権が停止されると、2月20日にソ連政府が自国領編入を宣言した。以来、ソビエト連邦及び1991年(平成3年)以降は後継にあたるロシア連邦の実効支配下にある。戦前は対岸の花咲郡歯舞村に属していたが、1959年(昭和34年)に歯舞村が根室市と合併したため、現在は根室市に属している。しかし、2021年(令和三年)現在の時点においても日本の施政権は及んでいない。 歯舞群島がソ連の実効支配下に入ったことにより、周辺地域の漁民は窮乏し、拿捕の危険を冒してまで歯舞群島近海に出漁した。しかし、1961年(昭和36年)8月23日から28日にかけて33隻の漁船がソ連に拿捕されたため、歯舞群島近海での安全操業を求める声が強くなった。これを受けて、大日本水産会会長であった高碕達之助がソ連と交渉を行った結果、1963年(昭和38年)6月10日に日ソ貝殻島昆布採取協定が締結された。日ソ貝殻島昆布採取協定はあくまで民間協定とされ、ソ連側に入漁料を支払うことで、6月から9月にかけて貝殻島、オドケ島、萌茂尻島近海において、漁獲枠内の昆布漁が可能となる協定である。それでも1970年(昭和45年)11月28日には、花咲港所属の刺網漁船(6トン)がソ連の監視船に追い回された後、秋勇留島付近で体当たりされて沈没するといった状況は続いた。日ソ(日ロ)貝殻島昆布採取協定は、数年の中断期間はあったものの(2017年)現在も有効であり、2016年(平成28年)には241隻の漁船が出漁し、ロシア側に9026万8000円の入漁料を支払った。 日本政府の見解としては、「同島のロシアによる占領は日ソ中立条約に違反した違法行為であり、現在に至るまでロシアによる不法占拠下にあるもの」としている。過去、国会答弁において「ソ連による占拠が不法とは必ずしもいえない」との答弁がなされたことがあるが、これは答弁者によって時として表現の差異がありうるものと説明されている。いずれにせよ、「北方領土は日本固有の領土である」との見解が日本の一貫して主張するところであり、現在は「ロシアによる同島の占拠は不法占拠である」と明確に表明されている。また、歯舞群島は1956年(昭和31年)に締結された日ソ共同宣言において、「平和条約締結後には色丹島とともに日本に引き渡されること」が取り決められている。
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