ロシアによる敷設権獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 06:16 UTC 版)
「日清戦争」も参照 ロシア帝国は1891年2月にシベリア鉄道建設を正式決定し、5月よりその建設に着工した。ロシア帝国は、ドイツ帝国、フランス共和国と共に日清戦争(1894年7月 - 1895年4月)後に締結された下関条約により日本が領有することになった遼東半島の領有を三国干渉(1895年4月23日)によって阻止しており、その見返りとして清国の李鴻章より満洲北部の鉄道敷設権を得ることに成功していた(露清密約、1896年6月3日)。その中でロシアは、建設困難なアムール川沿いの路線ではなく、短絡線としてチタから満洲北部を横断しウラジオストクに至る鉄道の敷設権を獲得し、1896年12月、露清銀行によって「中国東方鉄道株式会社」(ロシア語:Китайская Восточная железная дорога、略称:КВЖД)、清国側の名称では「大清東省鉄路」という鉄道会社が設立された。経営の最高機関は、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに置かれた理事会で、ロシア大蔵省が理事を任命した。このように、表向きは露清合弁であったが、ロシアの発言権が強く、清国は経営に直接関与できなかった。この時、露清銀行から供与された資金は、フランスの投資家からロシア政府に貸し付けた4億ポンドからのもので、これによって露仏同盟が結ばれた。
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