国境侵犯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:10 UTC 版)
「レバノン侵攻 (2006年)」の記事における「国境侵犯」の解説
2006年7月12日午前9時、ヒズボラは国境付近のイスラエルの町々へ迫撃砲及びカチューシャ・ロケットを撃ち込み始め、イスラエル側に11名の死者を出した。これは、国境侵犯攻撃作戦を可能にする為の陽動作戦であった。 5分後、ヒズボラはイスラエル国境を侵犯。偵察中の部隊に向かって対戦車ミサイルを撃ち込んだ。この時IDF兵士3名が戦死、2名を捕虜にしたが、その時点で兵士達が生きていたかどうかは定かでない(ザルイート事件)。しかし、イスラエル情報当局は、彼らの生死について確実な情報を入手することができなかったため、イスラエル政府は2年間にわたって捕虜奪還の姿勢を取らざるを得なかった。これはヒズボラ側との交渉に利用され、また拉致将兵の家族達を混乱させた。 IDFは戦車部隊を出してヒズボラを追い、レバノン領内に侵入したが、対戦車地雷を踏み戦車兵4名が戦死。さらに脱出した1人が狙撃された。損害を拡大したIDFはヒズボラとの開戦を決断、ここに戦争が開始された。
※この「国境侵犯」の解説は、「レバノン侵攻 (2006年)」の解説の一部です。
「国境侵犯」を含む「レバノン侵攻 (2006年)」の記事については、「レバノン侵攻 (2006年)」の概要を参照ください。
- 国境侵犯のページへのリンク