kettle
「kettle」の意味・「kettle」とは
「kettle」は、英語で「やかん」を意味する単語である。主に、水を沸かすために使用される容器を指す。形状は、底部が広く、上部に取っ手と注ぎ口がついた形が一般的である。また、電気を利用して水を沸かす電気ケトルも「kettle」と呼ばれる。「kettle」の発音・読み方
「kettle」の発音は、IPA表記では /ˈkɛtl/ となる。IPAのカタカナ読みでは「ケトル」、日本人が発音するカタカナ英語では「ケトル」と読む。この単語は発音によって意味や品詞が変わる単語ではない。「kettle」の定義を英語で解説
A 'kettle' is a container or device in which water is boiled, having a lid, spout, and handle, or a small kitchen appliance of similar shape that functions in a self-contained manner. Kettles can be heated either by placing on a stove, or by their own internal electric heating element in the appliance versions.「kettle」の類語
「kettle」の類語としては、「teapot」がある。ただし、「teapot」は主に「ティーポット」を意味し、お茶を淹れるための容器である点が「kettle」とは異なる。「kettle」に関連する用語・表現
「kettle」に関連する表現として、「boil the kettle」がある。これは「やかんを沸かす」という意味で、お茶を入れる前の準備や、インスタントスープを作る際などに使われる。「kettle」の例文
1. Could you boil the kettle?(やかんを沸かしてもらえますか?)2. I bought a new kettle.(新しいやかんを買った。)
3. The kettle is whistling.(やかんが沸騰して鳴っている。)
4. The kettle is on the stove.(やかんがコンロの上にある。)
5. The electric kettle is more convenient.(電気ケトルの方が便利だ。)
6. The kettle is made of stainless steel.(そのやかんはステンレス製だ。)
7. The kettle is full of water.(やかんは水でいっぱいだ。)
8. The kettle is boiling.(やかんが沸いている。)
9. The kettle has a built-in thermometer.(そのやかんには温度計が内蔵されている。)
10. The kettle automatically turns off when the water boils.(水が沸くとやかんは自動的に電源が切れる。)
ケトル【kettle】
け‐ど・る【気取る】
ケトル
やかん
( ケトル から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 00:41 UTC 版)
やかん(薬缶、薬罐、薬鑵)は、湯沸かしに用いる道具で、主に土瓶形である。薬・茶などを湯で煮出す・煎じるため火にかける道具でもある。
注釈
出典
- ^ 社団法人全国調理師養成施設協会編『改訂調理用語辞典 カラー版』 1999年、1201頁
- ^ “雑貨工業品品質表示規程”. 消費者庁. 2013年5月23日閲覧。
- ^ a b “「日本人の知恵、漢方」”. 城西大学水田記念図書館. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 堀江皓. “南部鉄瓶雑学”. 2020年2月27日閲覧。
- ^ 消費者物価指数、品目見直し 除外…携帯型オーディオ 追加…タブレット端末:朝日新聞デジタル
- ^ “Kettle – 1891”. Magnet Academy. National High Magnetic Field Laboratory. 2023年9月16日閲覧。
- ^ “Austin Court: Engineering exhibits: The Atrium”. IET Birmingham. The Institution of Engineering and Technology. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b “後絶たないやけど事故 ティファール電気ケトル”. 中日新聞 (中日新聞社). (2013年6月6日). オリジナルの2013年6月15日時点におけるアーカイブ。 2013年6月14日閲覧。
- ^ “沸騰までの時間が業界最速の蒸気レス電気ケトル”. 家電Watch. インプレス (2014年9月18日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ “電気ケトル(CK-CH08型) 新発売”. ニュースリリース. 象印 (2016年10月13日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ 平湯宗人、中原大輝「電気ポットと電気ケトルの使い方と比較」『平成26年度 電気・情報関係学会九州支部連合大会論文集』、電気・情報関係学会、2014年9月16日、303頁、doi:10.11527/jceeek.2014.0_303、2017年11月12日閲覧。
- ^ “100Vと200Vの電気ケトル比較”. SuperTechsan. YouTube (2017年2月26日). 2017年11月21日閲覧。
ケトル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/23 16:52 UTC 版)
「陰陽探偵少女遊RANTO☆魔承録」の記事における「ケトル」の解説
野干と呼ばれる人語を理解する荼吉尼天の霊獣。天子の使い魔。通常一般人には見えない。
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ケトル
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「竹本織太夫 (6代目)」の記事における「ケトル」の解説
谷崎潤一郎『陰影礼賛』-ケトル No.00 井上ひさし『たいこどんどん』-ケトル No.01 〈空気は無料ではなかった。土も水も森も林もそして光も決して無料ではなかった。いまその勘定書が回ってきており、人間たちがこの付けを決済しないかぎり、大自然は地球の上に人間たちが住むことを許さないだろう。〉 2010年4月9日、ご逝去された井上ひさしさんの言葉である。この言葉はまるで、東日本大震災と原発事故を予知していたかのようだ。(略)猥雑なエネルギーと饒舌な笑いで庶民をいきおいきと描きながら「日本とは」「日本人とは」を鋭く見据えた井上ひさしさんのまなざしを、しっかりと受け止めたい。 歌川国芳「没後150年 歌川国芳」-ケトル No.02 東寺「空海の立体曼荼羅」-ケトル No.03 唐で学んだ密教は凡人には難しいものだった。空海もそれをわかっていて、絵で伝えることが望ましいと思い、曼茶羅を持ち帰り密教の世界を紹介した。しかし、それだけでは満足しなかった。絵よりも、よりわかりやすく人々に悟りの世界を見せるために、3D化して曼茶羅をつくることにしたのだ。今でいうならバーチャル・リアリティの極致で、イメージをヴィジュアル化、アコースティック化、空間化した。 空海が立体曼茶羅を構想した精神が示すのは、いわば悟りのための美術、あるいは人を救うアート。宗教美術の生き生きとした力の源泉は、美を人間のために役立てようとする姿勢にあるのでしょう。仏教では、自利利他ということがよくいわれます。自利とは自分のために、利他は他者の利益のためにおこなう修行です。そして、大乗仏教ではとくに利他行が重視されます。それこそ、人々を幸せにしたい社会福祉の父でもあった空海の願いであろう。 坂本龍一「commmons : schola」-ケトル No.04 現在、インターネットの普及により誰もがあらゆる音楽情報に簡単にアクセスできるようになりました。それによって、音楽はいい意味でも悪い意味でも優劣をつけられることなく、並列化されつつあります。旧来の型にはまった音楽観―西洋クラシック音楽を優れたものとし、伝統音楽やポピュラーを劣ったものと見る―が、相対化されたことは歓迎すべきことです。 「commmons : schola」が企てるのは、ほどよい一般性をもった文化の教科書を作り出すのではなく、圧倒的に突出した音楽を拾いつつ、そこから普遍性をもった標準を作り出そうという、きわめて野心的なブロジエクトなのです。そのような標準の選定は、たんに広くバランスのとれた知識だけによっては不可能でしょう。場合によっては、選者が個人的なこだわりから特殊な音楽を選ぶことがあってもいい。そういう特異性からこそ、普遍性に通ずる標準は生み出されるのです。文化の規則性からはみ出した例外であるからこそ、いつでもどこでも新しく響く、それこそが本当の「古典」と言うべきではないでしょうか。 手塚治虫『ブッダ』-ケトル No.05 フェルメール「真珠の首飾りの少女」-ケトル No.06 河合隼雄『明恵 夢を生きる』-ケトル No.07 宗教とは本来個人の心の救済の問題であるはずなのだが、人が集まると政治がらみとなる。あげくの果てが僧兵を備えて戦争までしようということになる。明恵の遺訓にも次のようなものがある。〈凡そ仏道修行には何の具足もいらぬなり。松風に唾をさまし、朗月を友として究め来たり究め去るよりの事なし〉 「栂尾明恵上人遺訓」に次のような一節がある。〈人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)の七文字を持つべきものなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあないしるべき様なり。乃至帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり〉。そして、まさに、明恵は僧としてあるべきように生きぬいた。現世においてまず「あるべきように」あろうとした。修行すべきように修行し、振舞うくべきように振舞まう。人は常に浄玻璃の鏡に日夜自分の振舞いが映っていると思いなさい、と。これは人に知られないだろうから、ごまかしてもいいやなどと思っても、その鏡にはしっかりと映っているのである。 現世のことはどうであっても後生だけ助かればいいなどと説いている経典はない、と明恵は言い切っているのである。今を生きるあなたの「あるべきようわ」は何か?と、時代の向こう側から問いかけられているようだ。 松岡正剛『日本という方法』-ケトル No.08 九鬼(周造)が留学中に考えたことは「寂しさ」とか「恋しさ」という感情を生むものは何かというものでした。九鬼によると、この「寂しさ」とは他者との同一性が得られないという感覚で、「恋しさ」は対象の欠如によって生まれる根源的なものへの思慕なのです。九鬼はこれらの感情や感覚は「失って知る異質性」への憧れを孕んでいると考えます。そして、人間という存在がすでに何かを失ってこの世界に生をうけているという「被投性」をもっているのではないか、ということに深い関心を寄せました。 茶の湯や浄瑠璃や文人画として見いだされた上質の日本文化は、つねに「無」や「無常」とは表裏一体なものとなっているはずなのです。水を感じたいから、そこから水を抜く枯山水になっていることがあるのです。そこに「被投性」があり、それゆえ「失って知る異質性」との出会いの暗示があるのです。これを不思議がってはいけない。その不思議こそが「日本という方法」の正体なのだと考えた九鬼の見方が、何かを失ってわかる本来の感覚というものなのです。 千宗屋『茶 利休を今をつなぐ』(「伝統と伝燈」)-ケトル No.09 「伝統」という言葉自体が、明治以降に新しく作られたものです。「伝えて統(す)べる」という熟語は本来存在せず、それまでは「伝燈」と書かれていました。これは仏教の教えで、釈尊が亡くなるときに弟子が嘆きかなしんで、「私たちはあなたが亡くなった後、何を支えにして生きていけばよいのか」と尋ねたところ、釈尊の「自燈明・法燈明」つまり「私を支えにしてはならない。真理と、あなた方が正しい真理を追究したいと思う志を燈にしなさい」という答えに由来するものだそうです。仏教では迷いを闇にたとえますから、真理=法を燈として歩みなさいという釈尊のことばから、真理を教え伝えることを「伝燈」と言うようになりました。ですから師から弟子へ教えを伝えることを「伝燈」と言うのです。ところが明治の廃仏毅釈によって、神道が国教に据えられ、もともと外来宗教である仏教が排撃された時、伝燈という言葉は仏教色が強いから「燈」をやめて「統」という字を当てることになったのです。 では、この燈を伝えるための具体的な工夫はというと、日々、油を差すことに尽きます。だから油を絶やすことが「油断」なのです。常に新しい「油」、つまり新しいエネルギーを注がなければ、燈は維持できません。その新しい油が、変化する生活に対応するための工夫であったり、時代に添った意識であったりするのでしょう。この本では利休茶の秘伝書である『山上宗二記』を繙き、茶の湯で一番大事なことは「工夫」することだと記されています。古い法を学んだ上で自分の創意工夫こそがお茶なのだと。茶の湯は、繰り返し新しい工夫を加え、更新し続けて擦り切れることのない、強靭な枠組みをもっている、とあります。人形浄瑠璃文楽も次の工夫を探ることで、新しい生命が吹き込まれます。私は、この芸能の核心には、いまなお赤々と燈が絶えることなく燃えていることを、現代のお客様に感じていただける舞台を務めたいと思います。 ロラン・バルト『表徴の帝国』-ケトル No.10 バルトはその純粋なエクリチュールを、たとえば枯山水庭園に感じる。「どんな花もない、どんな足跡もない。人間はどこにいるのか?岩石の搬入のなかに、箒の掃き目のなかに、つまり表現体の働きのなかに、いる。」 さらには、文楽についても書かれている。「動作と声の統一が、表現する人間を生み出す」と考えられている西洋の演劇と違って、「《文楽〉は、舞台の三個所から、同時によみとってもらうようにと別々に表出される三つの表現体(エクリチュール)を用いる。すなわち、繰り人形、人形遣い、声師、である。」「ここでは声が、あそこでは目が、もう一つ向こうでは身のこなしが、それぞれ肉体の一つ一つであるかのように、しかもそれぞれが呪物(フェティッシュ)の一つ一つであるかのように、別々の行動原理(エロス)の性格を与えられて存在する」というのだ。 『ZENSHIN 柴田是真の漆工・漆絵・絵画』-ケトル No.11 是真は、「西洋の油絵は久しきに耐えるといっても数十年。けれども、わが漆器は、古物を見ても剥落摩滅したものはない。漆を絵画同様に表現できれば、すばらしいではないか」と考えていました。たとえば、和紙に漆絵を描くというのは、ほとんど誰もやったことのない試みでした。ただ線をひくだけでも絵の具と違って漆は自由が利きませんが、耐久性では遙かに優る。そういう漆の性質を最大限にいかす材料を求めて、和紙などを含めてとことん研究し、描く技術を磨きました。さりけなく描かれているように見える絵が、実は誰も絶対真似できることができない技術に裏打ちされています。 『白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ』-ケトル No.12 白隠は職業画家でもなけれは、風雅に遊ぶ日曜画家でもない、それら全ての作品は、大名から庶民に至るまで、あらゆる階層の人々に惜しみなく与えられたものであると言われています。ただ禅の教えを伝えたい菩提心と、ただただ描くことが好きな絵心とが合致して生まれた作品は、ユーモアに包まれ、頭でっかちではない禅の教えがストレートに伝わってきます。 面白くて笑えるのに深い思想をたたえた白隠禅画を見ていると、禅とは難しいものではなく、いまの私たちでも日常に活かすことができる思想なのだということを教えてくれる気がしました。 みうらじゅん『マイ仏教』(「比較三原則」「自分なくし」)-ケトル No.13 言葉があるから基準もでき、基準があると、人はつい他人と比較してしまう。むしろ常に他人と比較しながら生きているのが人間でしょう。おもしろいかおもしろくないか、幸せか不幸せか。他人がいて、それを比較する言葉があって、はじめて自分の立っている位置を認識します。比較ができるから人類は進化したのかもしれないし、比較こそが苦しみを生む原因なのかもしれません。これを著者は「比較三原則」と呼んでいて、"他人と過去と親"、この三つと自分を比較してはいけないと説きます。でも、上手に「比較三原則」を意識すれば、気が楽になることもあると、その技術を教えてくれます。 また、"「自分なくし」は生きるテクニック"の章では、人間は他人の機嫌を取り過ぎると「なんで俺は他人のことをばかり考えているんだろう」と落ち込むこともあり、結局「自分探し」が行き着く先もここだとあります。必死になって自分を探した結果が、「たいしたことない」では浮かばれません。だから、早く「自分をなくす」方法を身につけたほうが得だ、と書きます。その例として、みうらさんが昔から好きだという、ものまね芸人が取り上げられます。彼らの芸は「自分をなくす」ということと、「ご機嫌を取る」ということが、同時にできている「自分なくし芸」であると。それに比べ、素人の中途半端なものまねは目も当てられない。なぜならそれは、「自分をまだキープしたままの今ものまね丘だからです。この指摘は、私のように芸を継承することを業にする者にとってもひとつの極意です。「自分探し」よりも「自分なくし」。これこそが、生きる上で、芸を極める上でも、大事な心構えであることに、改めて気づかされました。 映画『華麗なるギャツビー』-ケトル No.14 クリストファー・ボナノス『ポロライド伝説』-ケトル No.15 印象的だったのは、ランド博士がマーケティング幹部を執行役員に昇進させた時に与えた職務内容。それはたった4単語で「Keeper of the Language(言葉の管理者)」だったそうです。科学的な厳密性と同じくらい言葉にも気を遣っていたことがわかるエピソードです。 『セレンディップの三人の王子たち』(「セレンディピティ」)-ケトル No.16 「セレンディピティ」とは、ウォルポールによると、「偶然と才気によって、さがしてもいなかったものを発見する」ことを意味します。この言葉は、次第に広まり多くの人びとが口にするようになるとともに、「幸せな偶然」の意味で使われるようになってきましたが、たんに「幸せな偶然」であれば、わざわざ「セレンディピティ」のような言葉を作る必要はありません。 ウォルポールは、セレンディピティ的発見の鍵は、「幸せな偶然」を待つだけではなく、その偶然を生かすことができるかどうかだといいます。つまり、実験や観察をする人たちの心がまえ次第であり、何事にも集中する意識があって、周囲の出来事を注意深く観察し、それに瞬間的に、かつ無心に反応する心が常にそなわっていることが必要で、先入観は禁物だともいっています。ただ、セレンディピティ的発見は科学の分野のみで、注目されているかのような印象をうけますが、そうではありません。このおとぎ話のように日常生活にも起こりうることであり、ウォルポールのいう条件さえ身につければ、誰でもセレンディビティを体験することできるのです。 ドラマ「鑑定士と顔のない依頼人」-ケトル No.17 都築響一『大阪万博―Instant FUTURE』-ケトル No.18 今や、人々はどんどん物を持たなくなっています。自宅に大きな冷蔵庫を置くより、近くのコンビニに行くほうが便利だし、たくさんの書籍やCDを所有するより、ネット上に大量のデータを保存するクラウドサービスを利用して必要な時に端末を通じて取り出すほうがいい。大阪万博が未来予測を外した原因の一つは、日々の暮らしへの愛情の欠落かもしれない。モノに頼りすぎたあまり、テクノロジーの発達によって、暮らしがどう変わるのが望ましいのかを真剣に考えることを忘れてしまった。でも、都築響一さんの序文にもあったように、大阪万博の映像は、なぜか脳内の最深部を駆け巡る。何かとてつもなく古くて新しい感覚、信じるままに突っ走ってしまうチカラそのもの。疑い、ためらうことばかり覚えてしまった、世紀末の子供である私にとっては、だからこそ大阪万博は、何よりも新鮮なのです。 内沼晋太郎『本の逆襲』-ケトル No.19 電子書籍が一般化した現在、もはや「本とは何か」という定義ができなくなっているとも言っています。本の歴史は、手書きの写本を起源として始まります。本が現在のような冊子状になったのは、羊皮紙という素材が生まれて以降のこと。続いて印刷という複製技術が生まれて、手書きの必要がなくなり、その後デジタル技術が生まれて、印刷が不要になった。同時に冊子ではなく、まるで石板や樹の皮のような、1枚のタブレット状にまた戻ったとも言えるのが現代です。そう考えると、商品カタログやパンフレットもiPadで見たら、本でないとは言えません。博物館に収蔵されている写本が本であるなら、Evernote上に収集された論文も本です。つまり、どこからどこまでが本なのかは、人によっても時期によっても変わっていくわけです。 「本とは編集されたコンテンツである」とか「本とは印刷された冊子である」とか定義しないと落ち着かない人もいるでしょうが、枠にとらわれずに本を守りつつ、活動する内沼さんの姿はとても魅力的です。出版社も取次も書店も図書館も、本を読む習慣がすでにある人に「この本の面白さ」を伝えるのに精一杯で、誰もその手前にいる人に「本というものの面白さ」を伝えることをしていないのではないかと。 「本の逆襲」という本のタイトルは、書店や出版社の売り上げが減少している原因を読者のせいにし、努力や工夫もせずに飲み屋で「出版業界は斜陽産業だ」とつぶやいてきた大人たちへの強烈なアンチテーゼです。なにより、「出版業界の未来」に、「本の未来」まで巻き込まないでくれ!という内沼さんの切実な怒りです。なぜなら本は形を変えながら人生を豊かにしてくれる存在であり続けるという確信が内沼さんにはあるからです。 しかし、この問題は私にとっても他人事ではありません。文楽の入場者数減少問題や後継者問題に置換えて、改めてじっくり考えなければならないことを痛感しました。 エーリッヒ・フロム『愛するということ』-ケトル No.20 原題は"The Art of Loving"(愛の技術)、Artには「芸術」という意味もありますが、ここでのArtは「技術」という意味で使われています。つまり、愛とは心の技術であり稽古をしないとできるようにならないものなのです。でも、その「技術」は、どんな行動を心がけ、どういうファッションをすれば異性に愛されるかといった「愛される」ための「恋愛マニュアル」ではありません。逆に「愛される」ことより「愛する」ことが重要だと強調します。 フロムによれば愛の技術を習得するための前提条件は「規律・集中・忍耐」。まるで道場の壁に毛筆で書かれている言葉のようです。例えば水泳やテニスが上手になるには練習が必要ですが、愛になると、人は生まれながらにできると思っています。しかも、水泳やテニスはスクールがありますが、愛にはありません。つまり、自習が必要なのです。ではどうやって自習するか?まずは、愛するようになりたいと思うことが大事だとフロムは説きます。またフロムは、愛を与えることは自分の生命を与えることだとも述べています。ここで言っている生命とは、人形浄瑠璃に出てくる主君や愛する人へ命を捧げる「命」のことではなく〈自分のなかに息づいているもの〉のことで、相手に対して〈自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与える〉ことが愛だとフロムは言っているのです。愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということでもあります。私はフロムの言う、愛に関して重要なのは自分自身の愛にたいする信念で、つまり自分の愛は信頼に値するものとであり、他人のなかに愛を生むことができると「信じる」ことである、という言葉を、勇気を持って信じてみようと思いました。 バルテュス『MITSOU』-ケトル No.21 三味線弾きの家に生まれた私は、ずっと猫を飼っていた。三味線の胴の表側は犬革が通常だが、繊細な音を表現するには、やはり猫革には敵わない。猫への感謝と敬意をこめて、私の家では、猫を家族同然として一緒に生活していた。私自身の幼少時代に飼っていた虎猫(ベンツ)も、私の誕生日のあと突然に姿を消し、喪失感から愛猫の絵を描いていたことを思い出す。 バルテュスは、自分の作品を理解しようとしたことは一度もないそうだ。作品には、何か意味がなくてはならないのか、そう思ったからバルテュスは自分のことを話さなかった。生真面目な職人として筆をとり、自分の信じる美を追求し続けた画家。私もバルテュスのような勤勉さで戯曲に向かい合い、舞台を務めたいと思う。 Tony Bennett & Lady GaGa「Cheek to Cheek」-ケトル No.22 フィリップ・チェスターフィールド『わが息子よ、君はどう生きるか』-ケトル No.23 たとえばチェスターフィールドは、すべての人はうぬぼれ(自尊心)を持っており、他人に何かを頼む場合などには、それに訴えるのがよいと言っています。いかにも彼らしい言い方であり、この点をとりあげて彼やこの本を非難する人もいます。しかしその非難は当たっていません。他人にものを頼むために急に「おべっか」を使っても、他人がこの本を読んでいたら、その「おべっか」にはだまされたりはしないからです。つまりこの本は「おべっかを使え」と教える本ではなく「おべっかにだまされるな」と教えてくれる本なのです。結局のところ人にものを頼んで成功するための最善の方法は、それに先立つその人との長い交際によって、信用を得ることです。その信用をどうしたら得られるかをこの本は教えてくれる。この点だけでも、長い間この本がイギリスの上流社会でのジエントルマンシップの教科書として使われた理由を物語ります。 本日は千秋楽。ジェントルマンシップに則って、チェスターフィールドの子孫、第6代チエスターフィールド伯爵が着用したことにちなむ、チェスターフィールドコートで楽屋入りするとしましょう。 小川知子『文楽 吉田玉男』(「かわる」ことを考える)-ケトル No.24 「かわる」とは何か。「かわる」という漢字には、前と異なる状態、変化、変更の「変」。全く別のものと交換する、換金、交換の「換」。また同種・同等のものと交換する、前の物事をやめて別の物事をする意味の「替」。そして今回の襲名で二代目(吉田玉男)に「かわる」は、交代の「代」、別のもの・人がその役をするの意味です。 古代中国の易の理論をまとめた繋辞伝(けいじでん)には、日本でも有名なこんな洞察がある。「窮スレバ則チ変ズ。変ズレバ則チ通ズ。通ズレバ則チ久シ」。つまり「窮した時には変化せざるをえなくなり、それが新たな展開を生み、永続性につながる」という天の法則。 一方で、「変わらないために変わる」という逆説もある。ヒトの細胞にはもとのものと同じものを作るプログラムが組み込まれている。人体は細胞レベルでは数カ月でそっくり入れ替わる。同様の事象を読み解いた随筆が『方丈記』だ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。鴨長明は、変わらないように見える京の都の街並みも、実は住まいも住民も時の流れとともに入れ替わっており、「昔ありし家は稀なり」とも記す。 鴨長明は下鴨神社の神官の子として生まれ、その下鴨神社では、21年ごとに社殿の修繕や建て替えをする式年遷宮があり、今年は34回目(災害被害の修繕など臨時を含めると59回目)の遷宮に向けて儀式が始まっている。伊勢神宮も行なう式年遷宮は祭神の宿る建築とその技術を後世にそのまま伝えるためのもので、存続のための古くからの知恵だ。鴨長明も幼少期の式年遷宮の経験が『方丈記』につながっているかもしれない。 歌舞伎や人形浄瑠璃には、「早変わり」という演出がある。去年AKB48のコンサートに招待してもらいましたが、舞台の両端から幕がサッと横切ると、再びメンバーが現れた時には衣装が変わっていた。一瞬にして局面を変える「早変わり」という演出は、古今東西、時代を超えて共通する摂理なのかもしれない。 中村明一『倍音』-ケトル No.25 フラメンコにおける歌手・ギター・ダンサーとの関係と、文楽における三業(太夫・三味線・人形)の関係は、似ているのではないか。勝手にそう思った僕は、作曲家であり尺八奏者でもある中村明一さんの「倍音」を手に取りました。本のなかに「整数次倍音・非整数次倍音比較表」があり、周波数・波形・言語・聴感上の特徴・効果・例が一覧になっています。その表には、気になった通り、非整数次倍音の代表に義太夫節が書かれていました。 さらに三味線にも触れられており、たとえば三味線は二つの非整数次倍音を出すための工夫がされているそうです。もうひとつは「サワリ」を持っているということ。一の糸だけが、上駒にのっておらず、棹に弦がじかに触れています。その弦を弾く、あるいはその弦と共鳴する音を弾いた場合、弦を支える部分の面積が広いために整数次倍音だけでなく、非整数次倍音が出る仕組みになっていて、これを「サワリが付く」と言い、同じ旋律でも、調弦の選び方でサワリの付く音を変えることができるそうです。 この本は、私たちの芸能のなかなか言葉で説明しにくいことをわかりやすく解明しています。倍音は、古代からの脳を受け継ぐものだそうです。古代からの言葉の意味を超えた大切なものに気づき、それを未来に伝える。これら古代からの無意識の遺産を継承してこそ、芸能の道は開けていくのではないでしょうか。 円山応挙「氷図屏風」(Eテレ「日曜美術館 夢の応挙 傑作10選」)-ケトル No.26 もっとも興味を持ったのは番組の最後に紹介された、1780年に描かれた大英博物館秘蔵の「氷図屏風」です。氷の割れたヒビを墨の線で描いたものですが、一見抽象絵画のようでもあり、現代の絵画作品のようにも見えます。下の半分に鋭く長めの墨の線が何本か引かれただけですが、氷のひび割れの瞬間の音やその冷気まで伝わってくる、その鋭く走る線が見るものを氷の世界に誘います。奥行きを感じさせる微妙な墨の濃淡、即興で描いたかのように見えながら計算し尽くされた表現は見るものを圧倒します。 氷を描く応挙の筆は、アイススケートの4回転ジャンプのように華麗で美しい。しかし4回転が高い技術と飛ぶ勇気、スケートに懸ける人格や思想に裏打ちされているからこそ美しいように、自然を写生し描く応挙の作品も、総合力に裏打ちされたがゆえの品格を感じました。 宮元健次『月と日本建築』-ケトル No.27 「約物」(NIKKEI ART REVIEW「この記号、打てますか?」)-ケトル No.28 現在のような約物の歴史はまだ浅いといえるが、〃や々などは紀元前の中国・殷の金文に由来するという説もあるそうだ。私のような職業では上演台本の詞章の書き出しには庵点 〽が付いている。これは歌の記号として使われ、すでに中世の謡曲本に見られるそうだ。決して発音されることはなくても、約物は文や語を区切り、文章に意味を付け加え、文章にはなくてはならない存在、いわば無言の脇役ということを知った。 司馬遼太郎『この国のかたち』-ケトル No.29 「浄瑠璃記」の冒頭には「江戸期の人達にもし会えるなら高田屋嘉兵衛に会いたい」と書かれています。嘉兵術は北前船の交易で成功したものの、その絶頂期に千島列島沖でロシア船に掌捕されてしまいます。緊迫する日露関係のなか、結果的には頼まれもしないのに日露の和平に尽力することに。満足に初等教育もうけていなかった嘉兵術がロシアと堂々と交渉できたのは、浄瑠璃ずきのおかげで、魅力的な表現ができたことも功を奏したそうです。英語圏でいえば、無学な船乗りながらシェイクスピアは全部暗講していて適時引用する感じでしょうか。彼がカムチャッカ半島に連行されるとき、嘉兵衛は数冊の浄瑠璃本を持っていったそうです。浄瑠璃から学んだ気迫が嘉兵衛を支えたのかもしれません。 江戸時代、嘉兵衛がそうだったように、大坂の商家などに丁稚に入った子供たちは休みのたびに、文楽を観たり、浄瑠璃を聴いたりしていました。それは娯楽であると同時に言葉を磨く場所でもあったのです。たとえば丁稚から手代に昇格すれば、きちんとした敬語や、掛け合いをする際の相手を説き伏せる物言いも必要でしょう。司馬遼太郎は、浄瑠璃は町人階級の日本語を正しく教育するなど、娯楽以上の意味があったのだと指摘します。江戸時代は浄瑠璃本で言葉を磨き、男を磨き、女を磨く時代でもあったのです。 ウルフルズ「たった今!」(アルバム「ええねん」)-ケトル No.30 齋藤孝『こども孫氏の兵法』-ケトル No.31 「勝ちを見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり」ということばが引用されていた。 これに対して、「目立ちたいとか、ほめられたいとか、もしきみがそんなふうに思ったときは、このことばを思い出してほしい。孫子せんせいは、だれにでもわかる目立つ勝ち方も、もっともよい勝ち方ではないといっているよ。それよりも、しっかり準備をして確実に勝つほうがすごいことだと考えているからなんだ。人前で派手にがんばる姿は目立つし、ほめられることも多い。そのいっぽうで、冷静にコツコツと努力する姿はあまり目立たないし、ほめられることも少ない。でも、じつはそれこそが、孫子せんせいのいう「善の善なる者」つまり本当にすごいことなんだ。だってその人は、人には知られない地道な努力をつみ重ねてきたということだからね。そして、努力はだれかにアピールするためではなく、自分のためにするものだということを知っている人なんだ」とわかりやすく書かれている。 私は息子に、この本を自由に読んで楽しんでもらい、この世の中を「強くしなやかなこころ」で生き抜くヒントを手に入れてもらいたい。 岡倉天心『茶の本』-ケトル No.32 天心は自然と人間を対等に扱うという日本の茶人のもつ自然観についてこう述べています。茶人は、花を選びさえすれば責任は果たしたとしてあとは、花が花自身の物語を語るのにまかせる。暑さでうんざりするような夏の日、昼の茶会に呼ばれて行ってみると、ほの暗く、涼しげにととのえられた床の間に一輪の百合が釣り花瓶に生けられているのに出会うかもしれない。露に濡れたその花の様子は人生の愚かしさに微笑んでいるかのようだと、天心は語ります。人間の営みの有限性、相対性、儚さを、ここでは一輪の花が「ほほ笑んで」許し、受け入れてくれるのです。 『一谷嫰軍記』は源氏方の熊谷直実が平敦盛を討ち、世の無常を感じて仏門に入ったという『平家物語』などでも名高い史実を踏まえ、「直実が討ったのは敦盛ではなく、身替りの我が子だった」という大胆な創作が加わる戯曲です。「熊谷陣屋の段」の舞台には桜の木。そこには立て札があり「一枝を切らば一指を切るべし」と書いてあります。枝を一本切った者は、罰として指一本を切るという警告ですが、これには「裏の意味」があり、その立て札を直実は深い想いで見つめます。「一枝」「一指」とは、「一子」でもあり、つまり「一子を斬れ」という、主(あるじ)源義経が直実に下した命令であると。 天心は、茶人の死を利休の最期を語ることで締めくくります。「美しく生きてきた者だけが美しく死ぬことができる」と。死は生の完成であり、至高の芸術であると言っていいのかもしれません。 九鬼周造『「いき」の構造』-ケトル No.33 「元祖天才バカボンの春」(元祖天才バカボンED)-ケトル No.34 「これでいい」だと自分だけで受け入れているようにどうしても感じてしまいますが、「のだ」を付けて「これでいいのだ!」にすることによって、自分の考えや思想を相手に受け入れさせ、ママやバカボン、ハジメちゃんもパパを中心とした世界の中に取り込んでしまいます。それをみんながあたたかく受け入れるという、このマンガの全体像を象徴している言葉だと思います。また自分の世界を「のだ!」を入れることで、構築するという高度な技でもあります。「のだ!」には、ソフトに相手を服従させる働きがあると言語学者の先生がいっていましたが、バカボンのパパは豊富な語彙と言葉の創造性を兼ね備え、「これでいいのだ!」ですべてを受け入れさせる驚くべき話術の持ち主だともいえます。 自分も含めて、一般に父親は子どもと意味のあるコミュニケーションをしなければと思いすぎて、かえって煙たがられます。バカボンのパパのナンセンスさは、父親の手本になると思います。 磯田道史『武士の家計簿』-ケトル No.35 「歴史とは過去と現在のキャッチボールである。いまを生きる我々が自分の問題を過去に投げかけ、過去が投げ返してくる反射球を受け止める対話の連続。歴史は決まった史実を覚える「暗記物」ではないのだ」 「歴史はあるのではない、生まれるのだ」私が生業にしている浄瑠璃も過去の歴史上の人物の人生を生き生きと描き、人形浄瑠璃として上演することで、現代のお客様に過去の問題を投げかけている。ここ数年、自分のルーツが断片的にしか伝わっていなかったことに気がつき、それを徹底的に調べ、繋がり与えることで本にしたいと考えています。磯田さんのように文献的な知識や無機質な歴史の記述を生き生きとよみがえらせ、供養にしたいと思います。 『ラ・ラ・ランド』(瀧廉太郎「荒城の月」)-ケトル No.36 (劇中で流れた)「Japanese Folk Song」こそ、瀧廉太郎の「荒城の月」を元にモンクがビバップしたものであった。この瀧廉太郎は、四代目竹本織太夫(後の八代目竹本綱太夫)と従兄弟ということもあり、よりこの曲に興味を持つことになった。 この映画の美しい心理は、人は人生において、自分を変えてくれ、なりたい人物になる道筋を作ってくれる人と出会うけれど、最終的にはその道をひとりで歩まねばならないということだ。人は、残りの人生を決定づける人と結びつくことはできるが、その結びつきは残りの人生までは続かない。そのことはすごく美しくて、切なくて、驚くべきことだ、ということを監督は描いていると思う。 齋藤孝『こども君主論』-ケトル No.37 リーダーに求められるのは「覚悟」を持って決断し、周りの「仲間」から信頼され、困難に負けず「努力」し、「運命」さえも乗りこえる力であり、それはまさに、きびしい社会を生き抜くために、どんな人でも必要な力だからです。 「仲間」や「努力」はともかく、「覚悟」や「運命」は、大人でもドキッとしてしまうテーマかもしれません。でも、こどもを取り巻く環境は、大人と同じように、きびしさに溢れています。また、こどもが大人の社会に出てゆく、そう遠くない日に向けて、早い段階から「本当に役立つこと」を伝えていくのも、必要なのではないでしょうか。それに、こどもは大人が思っている以上に、たくましく、しなやかで、自分らしくあろうとする心を、いつの間にか自分で育てています。だから大人はもっとこどもを信じて「世の中のホント」を知らせてもいい。この本を手にした全てのこどもが、そして大人も「きびしい社会を生き抜く人」になれますように。 『維摩経』 (100分 de 名著) -ケトル No.38 興味を惹かれたのは、維摩経の第九章「入不二法門品(にゅうふにほうもんぼん)」でした。「不二」は「二つではない」という意味で、善と悪、美と醜などの二項対立を解体する、相反するものすら平等になる世界のこと。ですから「不二の法門」とは、悟りの世界へと入る道のことです。 まず、維摩は、この「不二の法門」とは何か、並み居る30人以上の菩薩に対して質問します。例えば、「生じる」ことと「減する」ことが一つであれば、「死」があるのは「生じた」からと考えることができます。そうすると生と死は連続していることになります。ではどうして二項対立を否定する必要があるのでしょうか。通常、何が「善」で、何が「悪」で、何が素晴らしくて、何がダメかがわからないと、社会に適応できません。しかし、「不二」は、そういう二項対立の罠に引っかかってはいけないという教えです。 最後に、維摩は、文殊菩薩に意見を求めます。文殊菩薩は「言葉も思考も絶えた世界」に入ることだと「不二の法門」を語ります。そして今度は文殊菩薩が維摩に意見を求めます。維摩は何も答えません。「維摩の一黙(いちもく)、雷(らい)の如し」という維摩経のいちばん有名な、シーンです。維摩の「だんまり」によって皆が雷に打たれたように「不二の法門」について悟るわけです。「自」と「他」という二項対立。維摩経は自分という枠が強いほど、人は苦しむと教えます。自分を守るためのバリアを外すためにも、人の世話をしたり、されたりしようと思い、お世話上手、お世話され上手になりたいと思います。 永六輔『職人』-ケトル No.39 今回の特集は「TBSラジオが大好き!」。師匠(咲太夫)が「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」の常連ゲストとして20年以上出演されていたご縁もあり、師匠の鞄持ちでTBSラジオによくご一緒させていただいたものでした。 「豊竹咲甫太夫の會」を初めて勤めたときにも、永さんは番組にゲストで呼んでくださり、その後もたびたびあたたかいエールをいただきました。体調を崩され、毎週月曜夕方の番組「六輔七転八倒九十分」に出演されなくなっても、テレビや舞台で私を聴いた感想をFAXしてくださり、「咲甫太夫の芸が良くなった!」と、こちらが恐縮するほど御心にかけていただき可愛がってくださいました。 ラッセル『幸福論』-ケトル No.40 私が興味深く感じたのは、ラッセル自身が自分の体験から導き出した幸福になるための「究極のポジティブシンキング」でした。①自分が一番望んでいるものが何であるかを発見して、徐々にこれらのものを数多く獲得する。②望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨てる。③自分の欠点に無関心になることを学び、だんだん注意を自分から外界の事物に集中させる。また、ラッセルは、不幸の最大の原因を自己没頭、つまり自分の考えに引きこもってしまう状態になることだといいます。 最後に世評に対するおびえについては、生死に関わる問題でなければ無視しろ!と明解です。更にこの害悪に対する究極的な治療法は、ただ一つ、一般大衆が一段と寛容になることである。寛容さを増やす最善の方法は、真の幸福を享受しているがゆえに、仲間の人間に苦痛を与えることを主な楽しみとしていない個人の数を増やすことであると。まさにこの本は現代SNS時代にも通じる幸福論です。「いいね!」と炎上しかない不健康で不寛容な社会に対しても、数学者であるラッセルは万人に当てはまる公式を提示してくれています。私もこの本から幸福の答えを出したいと思います。 西郷隆盛『南洲翁遺訓』-ケトル No.41 西郷は「みな自分を甘やかす心がもとにあるからで、決して自分を甘やかす心を持ってはならない」(『遺訓』26条 現代語訳)と説きます。 本来の儒教を取り戻すために注目されたのが陽明学です。陽明学は、宇宙、万物の根拠であり、根本原理である「理」と自己の「行動」を合致させよ、という「知行合一」。そして「致良知」人が本来持っている道徳性を実践せよと説きます。まさに、天の使命を受けて行動し、自分を甘やかすことを戒めた西郷には陽明学の教えが貫かれていました。その古い儒教の思想が結果的に日本を近代化しました。そして、現代、今度は西郷の言葉が改めて私たちの生きる哲学として、浮上してきています。私も西郷のように邪なものを無くして「理」に合致すれば清く正しい行いができると信じて、これからも日本の時間の風雪に耐えてきた古典を大切にしたいと思います。 「変わりゆくものと変わらないもの」(オーデコロンと百貨店の紙袋)-ケトル No.42 齋藤孝『こども武士道』-ケトル No.43 「文楽はおはぎである」-ケトル No.44 私は「おはぎ」に目が無い。素朴な餡子と粒々の残ったお餅が食べごたえ満点。イチ推しは地元、大阪日本橋の国立文楽劇場近くの「玉製家」の「おはぎ」ですが、地方公演で立ち寄る街の食堂やスーパー、移動中の道の駅など様々な場所で売られているものも捨てがたい魅力があります。地域ごとに大きさや硬さや餡のタイプ、甘さも様々で、どれを食べても美味しくはずれることがありません。餡子を使ったお菓子は数々ありますが、毎日でも食べられるものをと考えたら「おはぎ」に敵うものはありません。見た目がちょっとだらしない感じもよく、一息つきたい時に自然と選んでいました。おはぎは、おやつなのか、ご飯なのかそれさえも定かではなく、また和菓子屋さんではなく専門店や餅屋さんや食堂の店先で販売していることが多いというのも面白い。 また、お彼岸には付き物の「おはぎ」ですが、呼ばれ方が季節によって変わるのもいい。ご存知の方も多いかと思いますが、「おはぎ」は秋の花「萩(はぎ)」、「ぼたもち」は春の花「牡丹(ぼたん)」からきています。ところがまだまだ異名があります。おはぎの真ん中の餅生地は、通常のお餅と違い、臼と杵でつかないことから呼ばれるようになった「つき知らず」。その「つき知らず」を「着き知らず」とかけて、夜に到着する船、と解きます。そのココロは、いつ着いたかわからない「夜船」。さらに、「月知らず」とかけて、北向きの窓、と解く、そのココロは月が昇らない窓「北窓」など、なんとも面白い食べ物ではないでしょうか。さらに、おはぎの餅生地には、もち米とうるち米の両方を使います。このどっちつかずの性質は作り方もそうです。「つき知らず」の名でもわかるように、すりこぎの弱い力でつぶし、米粒の形であるような、ないような、つまり「半殺し」な状態で完成させるのです。この中途半端さこそ、おはぎ的で、独自の個性としかいいようがありません。 最近、『文楽のすゝめ」という入門書を出版しましたが、その取材で文楽を「おはぎ」に喩えたところ、反響が多くありました。もともと庶民の芸能として、大阪で誕生した文楽は、いつの間にか芸術として神棚に上げられているように思います。人形浄瑠璃を偉大な先人たちが芸術にまで高めてくださいました。現在の文楽はユネスコの無形文化遺産に登録されていることもあり、喩えていえば、神棚に供えてある「ぼたもち」のようだと感じています。遠慮から手を出しずらく、「棚ぼた」でもなければ観に行かない、という方もいらっしゃるのではないかと。私は文楽の敷居を下げることなく、皆さんの手の届きやすいところに戻したいとの思いから本を作りました。「神棚に上がっている文楽をもう一度ちゃぶ台に戻したい」。これからも「おはぎ」のように愛される文楽でありたいと思います。 六本木ヒルズ・森美術館15周年記念展『建築の日本展』-ケトル No.45 岸見一郎『三木清『人生論ノート』を読む』-ケトル No.46 大阪歴史博物館『木村蒹葭堂―なにわ知の巨人』-ケトル No.47 江戸時代の大坂観光の訪問先ベスト3は、四天王寺、大坂城、阿弥陀池で、明和年間に竹本座の劇団が分裂したとき、初代竹本綱太夫が「竹本義太夫座再興座本」を名乗って興行したのも阿弥陀池、和光寺門前でした。私は木村蒹葭堂の江戸期大坂を中心に一大サロンと文人ネットワークを築いた彼の足跡を辿り、知の交流のあり方を探りたいと思いました。 特筆すべきは、日々彼のもとに集まる知識や情報が、けっして一方的なものではなく、相手の希望に応え、相手のために自分ができることを提供しあう関係であったことです。つまり彼のコレクションは、互いの信頼に基づく互恵のあり方のなかで蓄積されたものであり、18世紀後半の知識人たちは個人としての活動以上に「横のつながり」を大切にしていることがわかります。交友によって結ばれたネットワークは互恵の特徴を持ちつつ、常に情報のやりとりがなされていて、それによって更に強いつながりが生まれて、専門、立場、年齢、そうしたものを超えて、人々が結びつく。だからこそ、新しい知の発展の可能性が生まれるのではないかと、私は気づかされました。 「火垂るの墓」「糸井重里×芦田愛菜」(SWITHCHインタビュー)-ケトル No.48 糸井さんが若者言葉の「エモい」という言葉をわかりやすく説明した。糸井さんによると、いつだって言葉は時代とともに変化していて、江戸時代の流行語「粋」「鯔背」も当時新しく生まれてきた言葉であり、それまであった言葉では俺の気持ちは表せないと思うから、俺の服を着るように俺に似合う言葉を生み出すのだと。ただし、新しい言葉は活きのいいピッチピチな感情をすくうのにいい網。でも、いつも同じ網だと人は飽きてしまう。 その言葉を聞いた人に、意味以上の何かが見えてくる。そうやって伝わるメッセージは意味だけとは限らないところがおもしろく、歌と同じだと。この指摘は、太夫という語りで表現する者として、とても参考になった。 糸井さんは、こうした抽象度の高さはじれったくて、今の時代には受けないかもしれないともいう。「もっと具体的に」の時代では、本当に伝えたいのは言葉では伝えきれない気持ちなのに、「わからせてください」と言われてしまうと、どうしようもない。たとえば海を見たときに「これが海ですよ」と、簡単には言いたくないと思ったときこそが言葉が生まれる瞬間なのだと。 芦田さんも、日本人には空気を読むとか行間を読むとか、表せないものを感じ取る文化があり、言葉じゃない言葉、言葉にならないところの言葉をどう伝えるかが、俳優にとって一番大切だと言う。この二人の言葉は、私に言葉と向き合うことの大切さを教えてくれました。 姜尚美『あんこの本』-ケトル No.49 姜尚美さんの『何度でも食べたい。あんこの本』との出会いは、本屋さんでのジャケ買いである。その表紙の、あんこを牡丹の花びらに見立てた中将堂本舗の「中将餅」。この写真に誘われ、本を手に取ると、贔屓の玉製家さんのおはぎや中村製餡所さんの「あんこ屋さんのもなかセット」や出町ふたばの豆餅など、私の大好物ばかりが紹介されていてすぐに購入しました。著者の姜さんが25歳の頃まであんこが苦手だったということを知り、私自身も文楽に入座してからあんこに開眼したことを思い出しました。 あんこは和菓子の命と言われながら、その発祥や歴史について不明な点が多く、文献もあんこに特化した本は圧倒的に少ないことを知りました。また製法についても「習うより盗め」という世界で、門外不出の風潮が強く、なぜその作業をするのかについても、「祖父の代からこうしているから」という場合も多く、Aの店ではこうしているがBの店ではこうしている。だからこんなに味が違う、という比較を読むにつけ、これは伝統芸能の修業と同じだということに気づかされました。そもそも、あんこの起源は羊肉スープと肉饅頭だそうだ。「あんこ」とは、いわゆる「餡」のこと。本来、「餡」とは、米や麦で作った食物に穴をあけて、その中に詰めるもの全般を指す。つまり、肉でも野菜でも、穴を満たす具はすべて「餡」。日本でその餡をいつから小豆で作るようになったのか、正確なことはわかっていない。今のところ通説とされるのが、「鎌倉時代、宋から帰った禅僧たちが伝えた点心がルーツ」というものだ。「点心」は「てんしん」ではなく「てんじん」と読む。意味は現在と同じで、食事と食事の間に食べる軽食および習慣のこと。この頃に伝えられた数々の点心の中に、あんこが生まれるきっかけとなる羊羹と饅頭があった。 羊羹の「雲」は訓読みで「あつもの」。つまり羊羹はもとは羊肉のスープのことだったのだ。これを中国で見聞きした日本の禅僧たちは帰国後、肉食禁止のため小豆や米、小麦などを粉にして成形して蒸したものに汁をかけて食した。いわゆる精進料理が、長い時間をかけて今の蒸し羊雲のようなものに変わっていき、室町時代には「小豆を煮て皮を取ったもの」に葛粉と砂糖を入れて蒸し上げ、今でいう、こしあんの原型になったと説明がある。姜さんも記しているように、眉ツバなものも含めて、伝説の多さはあんこの歴史の長さ、そしてどれだけ人々に愛されてきたかを物語るバロメーターだ。 この本には、素晴らしい自家製あんを作る店、古くから続く製餡所、吟味した生餡を加工する店、小豆以外の豆を使う店、和菓子屋さん、パン屋さん、雑穀屋さんまでが、等身大の日本のあんこの現在の姿として組み入れている。そして、あんこが苦手だったひとりの人間が、どんどんあんこを好きになっていく未完成の成長記録でもある。私はこの本を読んで、伝統芸能が苦手な人のために、この本のような文楽を紹介する本を作ってみたくなりました。
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