意味
言葉の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/05/11 19:25 UTC 版)
飛騨山脈、飛騨山地、両白山地など、2,000~3,000m以上の山がある、旧飛騨国の象徴“山”と、木曽川、長良川、揖斐川を中心とした木曽三川がある、旧美濃国の象徴“水”を掛け合わせた言葉である。 現在の岐阜県は、1876年(明治9年)、旧美濃国の岐阜県と筑摩県の旧飛騨国が合併して成立している。飛騨が山岳地帯、美濃が濃尾平野を中心とした水郷地帯ということから、飛騨の山、美濃の水から呼ばれ始めたという。 いつ頃からそう呼ばれ始めたかは不明である。少なくても、1876年以降である事は間違いない。 ある説では、県議会の予算の議論の中から出た言葉だという。旧飛騨国出身の議員が、「飛騨は山が多い為、交通が不便であり、また土砂災害や豪雪といった自然災害が多い地域である。その為に、これらの為に多くの予算が必要である。」と、飛騨に多くの予算を獲得しようとした。一方、旧美濃国出身の議員が、「美濃は木曽三川による輪中地帯であり、常に水害に悩まされている。岐阜県を豊かにするには、水害対策を重点に行なうべきである。」と、美濃に多くの予算を獲得しようとしたという。この対立の中で発生したという。 このように、当初は旧飛騨国と旧美濃国との対立を表す言葉であった。
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言葉の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/15 13:57 UTC 版)
「都・津(つ)」は、上代の格助詞「つ」に当てた万葉仮名で、「~の」の意味になる。「都」は、神官・氏子などを勤めた人の墓に使われる漢字で、「津」は一般信徒の墓に使われる。ただし、先祖に神官、氏子の役に従事した人がいる場合には「都」が使われることがある。またこれとは別に、地域により、どちらかの文字が広く用いられることもあり、一概ではない。 「奥(おく)」とは、奥深い意の「奥」や「置く」を意味するといわれる。「城(き)」は、古代の「胆沢城」の「城」の用例にみるように棚・壁などで四辺を取り囲んだ一郭の場所をいい、また「柩(ひつぎ)」の意味もあるとされる。全体の意味としては、「奥深い所にあって外部から遮られた境域」ということであり、また「柩を置く場所」の意となる。 文献上の例として、『万葉集』に「奥都城」、『日本書紀』神代巻に「奥津棄戸(おくつ すたへ)」と記されている。本来の意は、死体遺棄による葬法を表しているものであり、一般民衆の死体が遺棄されていた事による(考古学上においても、古代日本において一般人は墓を築いた形跡はなく、遺棄された状態である)。『伊呂波字類抄』、『秦山集』、『伊勢物語』、『古事記伝』などの文献中に葬式の事を「はふる」と記しているが、これも遺棄を意味するものであり、奥都城と同様の意味であるとされる(『古事記伝』での表記は「波夫里(はふり)」と記す)。神道墓の形成は、後世の神道家によって大成されたものである。なお、縄文時代に貝塚に遺骸を捨てる風習があるが、これは一説に、貝塚自体が全ての生物の霊魂を他界へ送り返すための祭の場であり、単なるゴミ捨て場ではなく、埋葬場として用いられたとするものがある。
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言葉の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:41 UTC 版)
「夜さり」は夜分や今夜という意味で、9世紀末から使われていた言葉である。「さらに夜さりこの寮(つかさ)にまうで来(こ)とのたまいて/竹取物語」。また「り」がとれた「夜さ」という形では1707年ごろから人形浄瑠璃に登場する。「夜さ来いと言う字を金糸で縫はせ裾に清十郎と寝たところ/心中重井筒・近松門左衛門」、「短い夏の一夜さに/鎌倉三代記・近松半二」。 なお、日本の各地で夜分のことを「夜さり」と言う方言が残っているようであるが、現在の土佐弁ではよさこいと言えば、よさこい節・よさこい祭りのことを指し、夜にいらっしゃいという意味では使われていない。
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