バルテュスとは? わかりやすく解説

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バルテュス【Balthus】

読み方:ばるてゅす

[1908〜2001フランス画家本名バルタザールクロソウスキー=ド=ローラBalthazar Klossowski de Rola)。シュールレアリスム傾向の強い作風で、少女像や街路室内光景などを描く。「コメルス‐サンタンドレの横丁」「アリス」「通り「山」など。バルチュス

バルテュスの画像
1996年写真撮影Damian Pettigrew[CC BY-SA 3.0]/http://bit.ly/2ZCwaW5
バルテュスの画像
アリスポンピドゥー・センター撮影・Gautier Poupeau[CC BY 2.0]/http://bit.ly/2ZEPAcT
バルテュスの画像 バルテュスの画像
山/メトロポリタン美術館撮影・Gautier Poupeau/http://bit.ly/2YGOnof

バルテュス

名前 Balthus

バルテュス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 23:36 UTC 版)

バルテュス
Balthus
バルテュス , 1996.6月,
本名 バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ
Balthasar Michel Klossowski de Rola
誕生日 (1908-02-29) 1908年2月29日
出生地 フランス パリ
死没年 2001年2月18日(2001-02-18)(92歳)
死没地 スイス ロシニエール
国籍 フランス
芸術分野 絵画(油彩画)
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バルテュス(Balthus, 1908年2月29日 - 2001年2月18日)は、フランス画家。本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ (Balthasar Michel Klossowski de Rola)。

ピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称えられた。

経歴

父親・ローラ紋章のエリク・クウォソフスキ(ドイツ語: Erich Klossowski, von Rola-Kłossowski, ポーランド語: Eryk Kłossowski h(erbu). Rola)は東プロイセンラグニットシュラフタ(ポーランド貴族)で、母親エリーザベト・シュピーロ(Elisabeth Dorothea Spiro)はノヴゴロドに起源をもつブレスラウ(ヴロツワフ)生まれのロシア・ユダヤ人。実兄のピエール・クロソウスキーマルキ・ド・サドフリードリヒ・ニーチェの研究者として著名な作家である[1]

ほとんど独学で絵を描いたバルテュスは、ルーヴル美術館で古典絵画の巨匠たちの作品を模写したが、なかでもピエロ・デラ・フランチェスカの影響が大きいとされる。古典を消化した、堅固な構成と繊細な描法でモニュメンタルな女性や少女像を多く描いたが、活動当初はシュルレアリスムや表現主義の全盛期であったため、作品の売り込みに苦労したバルテュスは一時衝撃的な題材を描き、話題集めに苦心した。

1937年にアントワネット・ド・ワットヴィル (Antoinette de Watteville) と最初の結婚をし、息子スタニスラス・クロソウスキー・ド・ローラドイツ語版 (Stanislas Klossowski de Rola) をもうける。離婚後もこの先妻とは生涯友人であり続けた。スタニスラスは、後にバルテュスの作品集出版に当たって執筆を担当している。1941年にはピカソが、バルテュスの「ブランシャール家の子どもたち」を購入している(バルテュスは生存中にルーブル美術館に展示された数少ない画家の一人だったが、この作品が展示されている)。1944年11月には、バルテュスがパリにピカソを訪問した。

1962年、パリでの日本美術展の選定のために訪れた東京で、当時20歳だった出田節子(いでたせつこ)と運命的な出会いをした。当時、離婚していなかったし、フランス中部・シャシー村の城館で8年間も生活をともにしてモデルを務めた義理の姪フレデリック・ティゾン(Frédérique Tison)もいた。節子とは1967年に結婚した。節子夫人も画家であり、2人の間には1973年に誕生した娘春美(ハルミ・クロソフスカ=ド=ローラ、ジュエリーデザイナー)がいる。バルテュスの生前、本人の意志により夫人は基本的に和服であった。

バルテュスと節子

1964年、作家で当時は文化大臣だったアンドレ・マルローによって、ローマヴィラ・メディチ(芸術のためのフランス大使館の役割をもっていた)の館長に就任、文化交流とともに館の再生にあたる。

晩年はスイスヴォー州ペイダンオー地方のロシニエールにある歴史的な山荘「グランシャレー」に暮らした。葬儀には大統領や首相ほかボノU2などのロックスターも出席した。

人物

日本の書籍も愛読していてリルケの薦めで岡倉天心の『茶の本』を読んだ。他に『源氏物語アーサー・ウェイリー訳(ドイツ語版)や、『雨月物語』、『五輪書』 を読んでいた[2]

勝新太郎はバルテュスの山荘に招かれ、居合抜き三味線演奏を行なったことがある(ドキュメンタリー映画『バルテュス』(〈原題:Balthus the Painter、監督:マーク・カイデル英語版〉より)。

リチャード・ギアデビッド・ボウイとの親交もあった[3]

オークション

2019年5月13日、バルテュスがテレーズ・ブランシャールをモデルに描いた絵画の一枚『ベンチシート上のテレーズ』がニューヨーククリスティーズでオークションに出品され、バルテュスの作品として過去最高額である1900万2500ドル(約21億円)で落札された[4]

代表作

脚注

  1. ^ en:Balthus#Ancestry
  2. ^ 節子著書『バルテュス、猫とアトリエ』56頁参照
  3. ^ バルテュスが過ごしたスイスで最大の木造建築物「グラン・シャレ」”. swissinfo.ch (2009年6月29日). 2018年8月14日閲覧。
  4. ^ バルテュスが21億円で記録更新。クリスティーズ・ニューヨークのイヴニング・セール、総売上は約437億円に”. 美術手帖 (2019年5月14日). 2019年5月18日閲覧。

参考文献

  • クロード・ロワ『バルテュス―生涯と作品』 與謝野文子訳、河出書房新社、1997年、新版2014年 ISBN 4309255531
  • 『バルテュス』 阿部良雄、與謝野文子編、白水社、1986年、新版2001年 ISBN 4560038848
  • スタニスラス・クロソフスキー・ド・ローラ『バルテュス』 野村幸弘訳、岩崎美術社、2001年
  • 『バルテュスとの対話』 コスタンツォ・コスタンティーニ編、北代美和子訳、白水社、2003年
  • 『バルテュス、自身を語る』 聞き手アラン・ヴィルコンドレ、鳥取絹子訳、河出書房新社、2011年、新版2022年 ISBN 430925683X
  • 『ミツ-バルテュスによる四十枚の絵』 阿部良雄訳、泰流社、1994年/河出書房新社、2011年 ISBN 4309255361
  • 『バルテュスの優雅な生活』 新潮社とんぼの本」、2005年 ISBN 4106021358
    • 節子・クロソフスカ・ド・ローラ夫人ほかエッセイ、編:夏目典子、芸術新潮編集部
  • 『ド・ローラ節子が語るバルテュス 猫とアトリエ』 NHK出版、2014年 ISBN 414081635X

関連項目

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