構成・内容
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「光学 (アイザック・ニュートン)」の記事における「構成・内容」の解説
序文の冒頭でニュートンは次のように語る。 「光に関する以下の議論は、一部は1675年に王立協会の諸氏の希望に応じて書き、やがて王立協会書記のもとに送られ、協会の会合の席上で発表されたものであり、残りの部分は12年ほどのちに書き加えられたのであった。」 第一篇は、1672年に王立協会で読み上げられた「光と色についての新理論」と内容的には一致しており、そこで提唱されていることは、白色光はあらゆる色の光が混ざったものである、ということや、色彩が異なると屈折率も異なる、ということである。これは、当時の常識「光は本来白色である」「屈折されることで色を帯びる」を覆すものである。 第二篇は、1675年に王立協会に送られた「観測を含む論述」をおおむね再録したものである。色彩現象を扱う。凸レンズを用いた巧みな実験によって、膜の厚みと現れる色とが関係していることを数量的に示した。(この色彩現象は現在では「Newton's ring ニュートン・リング」と呼ばれるようになっている)。 第三篇は回折現象を扱っている。 そして第三篇の末尾にQueries という章(queryを複数集めたもの)がある。このqueryは初版では16個であったが、版を重ねるごとにその数が増え、最終的には31個にまで増え、70ページほどにも及ぶ。
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『倭玉篇』は部首引きの漢和辞典である。室町時代の写本では部首は300ほどに分かれ、部首の数や順序は本によって大きく異なる。慶長15年(1610年)刊本では『大広益会玉篇』の部首の順序を採用し(ただし65部首少ない477部首)、江戸時代の本は多くこれにならった。 単漢字を主とするが、熟語も載せられている。原則として音を漢字の右に、訓を下にカタカナで記す。慶長15年本は5496の訓が付され、濁点を省略せずに詳しくつける傾向があるため、清濁を知るための資料として重要である。 成立年は明らかでないが、古い写本として長享3年(1489年)や延徳3年(1491年)の書写年を持った本がある。うち長享3年本は関東大震災で焼失したが、副本が残る。慶長以前の古い抄本は30種ほど、刊本は9種を数える。江戸時代の刊本としては慶長中古活字版をはじめ40種以上のものがある。 室町時代から江戸時代にかけてもっとも普通の部首引き漢和辞典として流行し、寛文4-5年ごろには部首画数引きのものも出現した。ほかに真草二行本や絵入り本など、さまざまな工夫を施した本が作られた。明治時代に至るまで「倭玉篇」の名前は漢和辞典の別称として用いられた。
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全22巻で、巻1が仙台領の総説と府城(仙台)、巻2が府城(仙台)、巻3から巻22までが郡である。原則として1郡につき1巻をあてるが、宮城郡・栗原郡・磐井郡が上下に分かれ、亘理郡と宇多郡は2郡で1巻となる。上下分冊を別々に数えれば、実質25巻となる。 仙台を府城として別扱いにするが、郡部の構成・内容は一定の書式による。初めに郡の概観を示し、邑の項目の集計を掲げてから、郡内の各邑について説明する。『封内風土記』は、藩主の名に含まれる「村」の字を避けて邑と書いた。記載事項は定型的で、邑においては戸口、邑の名の由来、神社、仏宇、寺、道、山、川、橋、孝子など様々な人文・社会に関わる項目を立て、邑内に該当するものがあれば列挙し、解説を付けた。特に記すことがない項目は略した。村では戸口の数しかないが、郡では戸数と人口が別々に集計された。また、郡においては在郷の士卒の数もまとめられた。府城の書式は邑に準じるが、人口では町人の宅地と市人のみ、末尾にまとめられ、武士人口は記されないなど、異なる点もある。 全22巻で領内全村を網羅した大著ではあるが、内容的には産業、租税関係に不足があり、希文が意図した「治具之要典」は十分に達成されていない。それは例えば(『会津風土記』を受け継いだ)『新編会津風土記』全120巻に及ばないところである。しかしながら統治参考資料としての価値は当時も存したと思われる。後世の歴史研究もまた本書に多くを負う。 封域・封侯・風俗・土産・府城 府城 宮城郡(上下) 名取郡 柴田郡 刈田郡 伊具郡 亘理郡・宇多郡 黒川郡 加美郡 玉造郡 桃生郡 牡鹿郡 本吉郡 登米郡 志田郡 遠田郡 栗原郡(上下) 胆沢郡 磐井郡(上下) 気仙郡 江刺郡
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序文と第1条「アチェ州の統治」、第2条「人権」、第3条「恩赦および社会復帰」、第4条「治安の回復」、第5条「アチェ監視団の設置」、第6条「意見対立の解決」の全6条で構成されている。 序文では両者がアチェ紛争の平和的・包括的な解決で合意した。第1条「アチェ州の統治」では第1項「アチェ統治法」で2006年3月31日までにアチェの統治に関する新法を公布・施行することなどが定められた。また第2項「政治参加」では2006年4月以降アチェで地方首相、議会選挙が実施されることになり、またアチェで地方政党を設立することが認められ、第3条「恩赦および社会復帰」ではGAM関係者に対する大赦を調印後15日以内に実施することが記載され、加えて恩赦対象者には政治参加を含む政治的、社会的、経済的な権利が認められGAMの政治参加が認められる形となった。第5条「アチェ監視団の設置」ではEUとASEAN構成国によるアチェ監視団 (AMM) を設置する旨が記載され、AMMがGAMの武装解除や軍・警察の撤退など、両者が正しく和平合意で定められた責務を果たしているか監視することが定められた。
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第1章「研究問題と方法」 本書における序論であるとともに、本書の基本的立場と著者が考えているところのものの要約を含んでいる。 第2章「ピアジェの心理学における子どもの言語と思考の問題」 ヴィゴツキーは、ピアジェの当時の学説の中核の一つであった「自己中心性」の概念をきびしく批判している。ピアジェ自身、実際、のちにはこの概念をかなり改めてきており、かれのその後の研究には、そのことが明瞭に反映している。それとともに、ヴィゴツキーの展開した理論は、ソビエトのその後の多くの心理学研究の基本的源泉となった。子どもの言語的思考の発達段階の分析、内言の研究、人間の行動調整における言語の役割の研究などは、後続の研究を生んだ。 第3章「シュテルンの心理学における言語発達の問題」 シュテルンの「児童の精神発達」および「子どもの言語」の研究も、ピアジェの学説とともに、長いあいだ世界の児童心理学界を支配した。ヴィゴツキーは、ここでシュテルンの観念論的学説を批判するが、それは単なる理論的批判ではなく、かれ自身の観察や実験に基礎をおいている。 第4章「思考と言語の発生的根源」 ヴィゴツキーは、ここで思考と言語の統一という観点に基本的には立ちながら、それぞれの異なる生物学的発生的根源を研究しようとする。ヴィゴツキーは、思考と言語の統一は、一定の発達の結果としてのみあらわれるものであり、またそれこそが人間の知的活動を特徴づけるものだと主張している。 第5章「概念の発達の実験的研究」 本章の基礎となる資料は、1928年に死んだエリ・エス・サハロフとの共同執筆によるもの。かれらの実験方法ヴィゴツキー=サハロフ・テストは、その後、知的障害児の研究や統合失調症患者の研究などに広く適用された。その方法やそこで得られた結果は、英語でも紹介され、イギリスやアメリカの心理学者や精神病学者のあいだにも広く知れわたるようになった。この実験の優れた点は、それにより被験者における一般化の形成の動態をあとづけることができ、それによって貴重な診断資料が得られることにある。だが、その短所は、ヴィゴツキー自身も指摘しているように、この方法の人為性にあり、子どもの現実の実践からかけ離れていることにある。なお、このことについては、次章のなかでも、子どもの「生活的」概念と「科学的」概念の発達を分析するなかで述べられている。 第6章「子どもにおける科学的概念の発達の研究」 本章にくわしく展開されている科学的概念と生活的概念との比較研究、両者の発達の相互関係にかんする理論は、ヴィゴツキーの独創的な見解である。ヴィゴツキーは、心理学者の実験的研究、本書の第5章でかれ自身がおこなってきたような研究の限界を自覚し、子どもが実際生活のなかで、あるいは学校教育のなかで獲得する実際的概念の発達の研究に真剣に取り組んだ。かれの研究は、学校教育の問題に深い関連をもつことになった。 (1)概念の発達やそれと結びついた思考形式の発達は、知識の体系の習得の過程でおこなわれる。 (2)科学的概念と生活的概念あるいは自然発生的概念との深い相互関係。ヴィゴツキーは、ここでは両者が、外国語と母語、書きコトバと話しコトバの例でもみられるように、ある意味で反対方向に発達するものであること、これら両者はふつうに考えられているように同じ様な発達路線を歩むものではなく、またそれだからこそ相互に作用しあう緊密な相互関係が両者のあいだに生ずるのであるということ、そしてその相互関係は、より一般的には「発達の最近接領域の法則」として定式化されるものであるということを明らかにした。この法則は、同時に、教育と発達との相互関係にかんするヴィゴツキーの思想の中心概念となるものであった。 (3)概念構造の解明。概念相互の関係は、それぞれの概念が実在の一般化である限り、その「一般性の関係」を基本とする。この関係は、概念の「緯度・経度」によっても示される。このような概念相互の関係は、論理学の中心的問題であると同時に、心理学の問題ともならねばならない。ヴィゴツキーが取り組んだのは、概念相互の発生論的―心理学的関係の研究であった。そこで、第5章で明らかにされた概念発達の諸段階(混合、複合、前概念、概念という一般化の構造の水準)との関連において、この概念相互の一般性の関係を追求することが、本章の中心的課題の一つとなっている。ヴィゴツキーは、一般性の関係と一般化の構造とな直接的には一致しないが、相互に複雑な関係をもち、一般化の各段階(すなわち、概念発達の各段階)は、それぞれに独自の一般性の体系をもつということ、そして、ここに子どもの概念における一般的なものと特殊的なものとの発生論的―心理学的関係を研究する鍵があると述べている。この「概念発達における自己運動」の研究は、ヴィゴツキーのきわめて独自な研究であり、大きな意義をもつ。それは、ヴィゴツキー自身が認めているように、まだ「一般的にすぎる」研究にとどまり、十分完成されてはいないが、各教科によって異なる概念体系のこの運動法則を明らかにすることは、われわれが今日、教科教育あるいは学習心理学の領域で当面しているもっとも重要な課題であり、われわれがそれを受けつぐべき大切な教育学的・心理学的課題といえよう。 第7章「思想とコトバ」 思考活動におけるコトバの意味の機能的役割の解明が、本章の中心的課題である。ヴィゴツキーは言語学や芸術心理学に早くから関心をもっていたが、それらの資料がここでの研究の基礎になっている。本章でもっとも重要な意味をもつのは、内言の構造とその発生ならびにその思考過程における意義にかんする研究であろう。思考と言語との相互関係を解明するうえで内言の研究が重要な意味をもつことは、指摘するまでもない。ソビエト心理学における内言の体系的研究の先鞭をつけたのはヴィゴツキーであり、これはかれの心理学研究におけるもっとも大きな貢献の一つとされている。 附録1「学令期における子どもの知能の発達と教育の問題」 附録2「就学前期の教育と発達」 附録3「統合失調症における概念の破壊」
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木版・和綴、一部に多色刷りのページがある。全8冊の構成は、以下の通り。 初編上 詞の巻 初編下 詞の巻 二編上 万国尽の巻 二編下 詞の巻 三編上 大日本国尽の巻 三編下 詞の巻 四編上 名所の巻 四編下 詞の巻 このうち、初編の上下2冊は、絵を中心にして詞(単語)を添えたものである。上巻では、いろはによる平仮名の表、にごり(濁音)の表、変体仮名の表を示したあとで、最初の字がいろは順になる詞を「いぬ」「ろ」「はち」「にはとり」「ほたる」「へび」等々と並べて挿絵を掲げ、それぞれに平仮名と漢字の名を付けた。その後は天地、春夏秋冬など基本的な詞を教えていく。下巻では片仮名の表を掲げ、上巻と同じように絵に言葉を添えて示してから、様々な詞を漢字と平仮名で記す。続けて、なことば(名詞ともいう)、かえことば(代名詞ともいう)、さまことば(形容詞ともいう)など、文法用語を見出しにして、さらに多くの言葉を並べていく。 江戸時代からの手習いの本には、絵と並べることで子供に文字に親しませようとする発想はなかった。『絵入智慧の環』初編は、現代ある知識絵本の祖となるもので、「近代日本の絵本史の起点」と説かれるのはこの2冊である。しかし、制作者に絵本を作るという意識はなく、体系だって簡単なことから学ばせようとする教育上の配慮が同じ形式をとらせたものと言える。 言葉の知識と、文法の説明という二本立ては二編以降も踏襲する。明治3年という時代にあって、「蒸気船」「晴雨計」「ずぼん」のような科学知識や西洋の知識に関わる単語を多く採録し学ばせようとしたのは、作者の近代性・近代化への意欲を示すものであろう。文法事項は巻を重ねると内容高度になり、人称、格(第3編下)や自動詞・他動詞(第4編下)の解説に及ぶ。
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商法総則には、以下の規定がおかれている。 第1章「通則」(1条〜3条) 第2章「商人」(4条〜7条) 第3章「商業登記」(8条〜10条) 第4章「商号」(11条〜18条) 第5章「商業帳簿」(19条) 第6章「商業使用人」(20条〜26条) 第7章「代理商」(27条〜31条、形式的には500条までであるが、32条は平成30年の改正により、33条から500条までは会社法制定に伴う改正により削除された条文である。)
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『埤雅』は、釈魚(2巻)、釈獣(3巻)、釈鳥(4巻)、釈虫(2巻)、釈馬(1巻)、釈木(2巻)、釈艸(4巻)、釈天(2巻)の8篇20巻からなる。総目の巻20の末に「後欠」とあることから、これが完全なものではないのかもしれない。釈馬以外の各篇は『爾雅』にも同じ分類が見える。 項目数は297にすぎないが、『爾雅』と異なり、百科事典的な長大な説明を施している。 『埤雅』の内容は雑駁であるが、現在は見られない多くの書物を引いていることは評価される。
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『元和郡県志』では全国を十道に分け、首都の京兆府から順に各地の府・州・県の戸数・地理・貢賦などを記す。また各節度使が支配している領域を記す。最後の隴右道は当時吐蕃の支配下にあった。 戸数については8世紀はじめの開元戸と9世紀はじめの元和戸の両方を記しているため、時代による人口の変遷を知ることができる。 関内道(巻1-4) 河南道(巻5-11) 河東道(巻12-15) 河北道(巻16-19)巻19欠 山南道(巻20-23)巻20・23欠 淮南道(巻24) 欠 江南道(巻25-30)巻26欠 剣南道(巻31-33) 嶺南道(巻34-38)巻36欠 隴右道(巻39-40)
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『春秋繁露』は17巻82篇からなるが、うち39・40・54の3篇は現行本に欠けており、実質79篇である。 巻1:楚荘王、玉杯 巻2:竹林 巻3:玉英、精華 巻4:王道 巻5:滅国上、滅国下、随本消息、盟会要、正貫、十指、重政 巻6:服制象、二端、符瑞、兪序、離合根、立元神、保位権 巻7:考功名、通国身、三代改制質文、官制象天、堯舜不擅移湯武不専殺、服制 巻8:度制、爵国、仁義法、必仁且知 巻9:身之養重於義、対膠西王越大夫不得為仁、観徳、奉本 巻10:深察名号、実性、諸侯、五行対、(欠)、(欠) 巻11:為人者天、五行之義、陽尊陰卑、王道通、天容、天辨在人、陰陽位 巻12:陰陽終始、陰陽義、陰陽出入上下、天道無二、煖燠孰多、基義、(欠) 巻13:四時之副、人副天数、同類相動、五行相勝、五行相生、五行逆順、治水五行 巻14:治乱五行、五行変救、五行五事、郊語 巻15:郊義、郊祭、四祭、郊祀、順命、郊事対 巻16:執贄、山川頌、求雨、止雨、祭義、循天之道 巻17:天地之行、威徳所生、如天之為、天地陰陽、天道施 全体に公羊説の立場から儒教の理念を説いているが、陰陽五行説を利用している箇所も多い。本文の形式はかならずしも統一されておらず、五行対は河間献王の問に董仲舒が答えるという形式を取っており、また対膠西王越大夫不得為仁と郊事対は董仲舒の上奏文の形式を取る。 基義では陰陽と君臣・父子・夫婦の関係を同様のものと考えており、これは後の『白虎通』の三綱六紀につながる考えであるという。 巻6の離合根、立元神、保位権の3篇は道家・法家の色彩が濃く、他と異なっている。田中麻紗巳は董仲舒が若いころの作かとする。
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北宋では997年に全国を路に分けたが、『太平寰宇記』ではそれ以前の制度である道に従っている。全国を十三道に分けたうえで、各道に属する州・府・県および宋の特殊な行政区である軍・監について記している。まず首都である河南道の東京開封府からはじめて周辺地域に及んでいる。最初の171巻で各州の戸数・風俗・人物・土産、各県の沿革など十三道の地理を記し、残り29巻は周辺の四夷について記している。 河南道 (巻1-24) 関西道 (巻25-39) 河東道 (巻40-51) 河北道 (巻52-71) 剣南西道 (巻72-82) 剣南東道 (巻82-88) 江南東道 (巻89-102) 江南西道 (巻103-122) 淮南道 (巻123-132) 山南西道 (巻133-141) 山南東道 (巻142-149) 隴右道 (巻150-156) 嶺南道 (巻157-171) 四夷 (巻172-200)
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構成・内容
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作者の口述を養女の禅尼(春華門院右衛門督)に筆記させ、それを作者自身がまとめたものが主体である。その後、作者が採用しなかった反故を弟の藤原定家がまとめて筆記したものが伝わる。 便宜上、前者を第一部(本編)、後者を第二部(遺文あるいは付編)として分類される。 第一部(本編) 序 建春門院の御所の時代 八条院の御所の時代・春華門院の思い出 奥書 (※ここまでが作者の編) 識語 (※定家の追記) 第二部(遺文あるいは付編) (※定家の編)
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張昌亮・張自烈(中国語版)・余颺(中国語版)・掲暄(中国語版)・方以智の五人が序文を寄せている。序文の後に、「古今天学家」「天経或問引用書目」と題して、中国の科学技術史を構成する人物やイエズス会士の人名、および書名を羅列している。その後に、十数個の図版(序図)を載せている。 本文は、題名通り「或問」形式、すなわち問答体・Q&A形式で書かれている。「天巻」と「地巻」の二部構成からなり、「地巻」の序盤までは天文学を、以降は気象学や地学を主に扱う。 天文学では、アリストテレス=プトレマイオス型の宇宙観(主宰者・天動説・天球・地球球体説)や、七曜の運行、日食と月食などを、数値を交えて述べる。周転円や離心円などでティコ・ブラーエの説にも触れる。ガリレオも登場するが、望遠鏡の製作者、木星・土星の衛星(環)発見者としてであり、地動説には一切触れない。 本文や序文において、方以智の術語の「質測・通幾」が用いられている。特に「西学は質測に優れるが通幾に劣る」として、『乾坤弁説』や新井白石以来の「東洋道徳・西洋芸術」「和魂洋才」、あるいは「中体西用」に近い立場を取っていた。そのような事情から、内容も西学の単純な紹介ではなく、宋学的な咀嚼・翻案が施されている。
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巻頭口絵、こよみ、データ、附録により構成される。こよみは、1年間の主な天文現象のデータや、1年間の太陽・月の出没時刻、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星の位置・動き、流星、小惑星、彗星、連星、変光星の予報を中心としたデータが掲載されている。データは、天文定数、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星に関するもの、最近の太陽面現象、発見された小惑星・彗星、観測された流星・火球・星食・接食・人工衛星・静止衛星について、周期彗星の軌道要素、星座、恒星、星雲・星団、月面図を中心にデータが掲載されている。付録には全天星図がある。
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現行の『越絶書』は15巻19篇からなる。内経・内伝・外伝・外伝記の区別をしているが、内容は多様である。『崇文総目』によると古くは内紀8篇・外伝17篇の25篇があったという。 越絶外伝・本事第一 - 解題 越絶荊平王内伝第二 - 伍子胥が楚から逃亡して諸国を放浪した後に闔廬(闔閭)に用いられ、楚を破って平王の墓を笞うつまでを記す。 越絶外伝記・呉地伝第三 - 呉の地誌 越絶呉内伝第四 - 伍子胥や范蠡が時節を見定めてから戦いを行ったことを言っているようだが、『春秋公羊伝』に似た文章で難解。 越絶計倪内経第五 - 越王勾践に計倪が富国のための政策を授ける。 越絶請糴内伝第六 - 大夫種(文種)の策によって越が呉の穀物を購入することを求め、呉王(夫差)はこれを許す。また太宰嚭の策で呉は斉を討伐する。伍子胥は諫めるが、かえって死を賜わる。その後、越に敗れた呉王は伍子胥を殺したことを咎められて自殺する。 越絶外伝・紀策考第七 - 楚の出身で呉・越の大夫となった四人の人物(伍子胥・太宰嚭・文種・范蠡)について。 越絶外伝記・范伯第八 - 范蠡と文種に関する逸話。 越絶内伝・陳成恒第九 - 子貢が斉・呉・越・晋諸国を遊説する話。題の陳成恒とは斉の田恒のこと。 越絶外伝記・地伝第十 - 禹から秦末までの越の略史と越の地誌。 越絶外伝・計倪第十一 - 勾践が計倪の諫めによく従ったことと、呉が越に勝ったときに夫差が伍子胥の言葉に従わなかったことを記す。 越絶外伝記・呉王占夢第十二 - 夫差の見た不思議な夢を公孫聖が解いて殺されるが、後に公孫聖の言うとおりになる。 越絶外伝記・宝剣第十三 - 勾践、闔廬、楚王(昭王)の宝剣に関する不思議な話。 越絶内経・九術第十四 - 呉に勝つための九種類の方策を文種が授け、勾践はそれに従って呉に財宝を贈って姑胥(姑蘇)台を造らせたり、美女の西施・鄭旦を贈ったりする。 越絶外伝記・軍気第十五 - 伍子胥が気の色や二十八宿を見て兵を動かしたことを言う。 越絶外伝・枕中第十六 - 勾践が范蠡の言葉を重んじ、それを記したものを枕中に入れて国宝としたことを記す。 越絶外伝・春申君第十七 - 李園の妹の李環が計略によって楚の考烈王の相であった春申君と交わり、後に考烈王の側室となる。子(幽王)が即位すると春申君は呉に封ぜられたとする。 越絶徳序外伝記第十八 - まとめ 越絶篇叙外伝記第十九 - 問答体のまとめ
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構成・内容
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『釈名』は単語を内容によって釈天、釈地、釈山、釈水、釈丘、釈道、釈州国、釈形体、釈姿容、釈長幼、釈親属、釈言語、釈飲食、釈綵帛、釈首飾、釈衣服、釈宮室、釈床帳、釈書契、釈典芸、釈用器、釈楽器、釈兵、釈車、釈船、釈疾病、釈喪制の27篇に分けている。 各項目は単語を類似の音の字によって解釈し(これを声訓と呼ぶ)、その後ろに補足説明を加える、という形式になっている。たとえば釈天篇の「日」と「月」の項目は、 日、実也。光明盛実也。 月、闕也。満則闕也。 のように、「日(ジツ)」を「実(ジツ、ただし中国語では頭子音が異なる)」で、「月(ゲツ)」を「闕(ケツ)」で解釈している。実際には『説文解字』でもまったく同じ説明をしており、劉熙が必ずしも思いつきで解釈を加えたわけではない。 同じ釈天篇の 歳、越也。越故限也。 では、「歳(サイ)」と「越(エツ)」で音が似ていないように見えるが、劉熙の時代には音が近かっただろうと推測することができ、ある程度『釈名』を後漢代の音韻を推定するための資料として使うことができる。 実際にはもっと複雑な例もある。釈天篇冒頭の「天」の項目は以下のようになっており、 天、豫・司・兗・冀以舌腹言之。天、顕也。在上高顕也。青・徐以舌頭言之。天、坦也。坦然高而遠也。(後略) 方言による「天」の発音の違いを説明し、現在の河南省・陝西省・山西省・河北省の周辺では「顕」、山東省の周辺では「坦」のように発音すると記述している。 また、釈車篇の「車」の項目では 車、古者曰車声如「居」。言行所以居人也。今曰車声近「舎」。車、舎也。行者所処若居舎也。 とあり、昔と今で「車」の音が異なっていたとして、それぞれについて解釈を行っている。
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構成・内容
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11歌438行 からなる。 1,2,3,4,7歌は主にエメサル(女言葉)で書かれており、そのうち3,4,7歌は女神ニンガルの言葉と見なされる。 第1歌 1-38行 女言葉の語り手。 シュメールの諸都市は神々に見捨てられた。 彼(エンリル)は彼の牛小屋を見捨てた。彼の羊小屋は空になってしまった。 (1行) 第2歌 39-75行 女言葉の語り手。 破壊された町と神殿を嘆く。 ああ、町よ、お前を嘆く哀歌が激しい。 (39行) 第3歌 76-135行 ニンガルの嘆き。 ニンガルは夫ナンナルに向かって泣く。 私は叫んだ。「荒野へ、暴風よ、戻れ!」と。(しかし)暴風は立ち上がろうともしなかった。 (110行) 第4歌 136-171行 ニンガルの嘆き。 ニンガルはエンリルやアンにウルを破壊しないよう懇願した。 「私の町は破壊されるようなことがあってはなりません」と、私は彼ら(アンとエンリル)に言ったのに。 (146行) 第5歌 172-206行 語り手の歌。 エンリルの嵐がウルを破壊した。 あらゆるものの上を吹きすさぶ暴風は国土を打ち震わせた。(197行) 第6歌 207-253行 語り手の歌。 嵐と戦闘後の描写。 この日、嵐は町から過ぎ去った。その町は廃墟に(なっていた)。 (207行) (以前は人々が)通過していったそれの壮大な大門にはいくつも死体が横たわっている。 (212行) 第7歌 254-330行 再びニンガルの嘆き。 私の町の耕地は大麦を全然産しなくなってしまった。それの農夫が去ってしまったのだ。 (271行) 第8歌 331-389行 語り手の歌。 ニンガルへ町に戻るように呼びかける。 いつまであなたは、まるで敵みたいに、あなたの町の外にとどまっているのですか。 (374行) 第9歌 390-401行 語り手の歌。 暴風が国土を打ちのめした。 ああ、暴風たちが国土をいっしょになって打ちのめしてしまった。 (390行) 第10歌 402-419行 語り手の歌。 暴風が二度と来ないようにナンナルへ願う。 父なるナンナルよ、その暴風があなたの町に(二度と)<腰をすえ>ませんように。 (409行) 第11歌 420-438行 語り手の歌。 ナンナルに再建を願う。 ナンナルよ、もしあなたが町を再建するならば、(町は)あなたを(永遠に)誉め称えることでしょう。 (437行)
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構成・内容
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『下学集』は「天地・時節・神祇・人倫・官位・人名・家屋・気形・支体・態芸・絹布・飲食・器財・草木・彩色・数量・言辞・畳字」の18の門からなる。この分類は鎌倉時代に編纂された日本の代表的な韻書『聚分韻略』に似る。 元和三年版の単語の総数は3083で、漢字で記され、その右に(左に書くこともある)片仮名で読みを記す。すべての語ではないが、多くは漢文の説明を付す。語数は門によって大きく異なり、器財は470語あるのに対して神祇は35語に過ぎない。
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構成・内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 09:28 UTC 版)
原刻本には宋濂序・曹睿序および自序、孫作による陶宗儀の伝記、鄭真による跋が附属している。 9巻のうち最終巻以外の8巻は三皇五帝から元代までの書家400人以上についておおむね時代順に記している。正史に載らないような無名の人物が多く、この書によらねば伝記を得ることのできない人物も多い。 巻7のパスパ文字に関する記述は重要な資料である。また、巻8の「外域」では天竺(ランツァ文字)・畏吾児(ウイグル文字)・回回(アラビア文字)・日本などの漢字以外の文字について記している。日本の仮名を漢字でつけた音とともに記しているが、これは外国人が日本語を記した資料としては『鶴林玉露』とならんで時代の早いもののひとつで、日本語学上重視される。 巻9ではさまざまな書法について記す。 巻1 三皇五帝から秦まで 巻2 漢・三国 巻3 晋 巻4 南北朝・隋 巻5 唐・五代 巻6 宋 巻7 元 巻8 遼・金・外域 巻9 書法 補遺
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構成・内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 07:44 UTC 版)
全35巻から成る。引用書目は総計320部に及ぶ。 邑里(村落)は、概要(位置、特徴、村名の由来)、田畝、歳額(石高)、戸口(世帯、人口)、畜(牛、馬)、溝渠、池塘、堤閘、橋彴、山渓、廟墓、塔寺(寺院、憩亭)、古蹟の順に整理されている。また人物は偉人傑士のほか、在野の知識人・文化人、一般庶民からも孝義節婦が紹介されている。 備後福山藩地治下には既に『備陽六郡志』や『西備名区』が存在し、両書は『福山志料』編纂に際しても最も貴重な資料として用いられたとされる。『西備名区』著者である馬屋原重帯が「其比菅先生、福山府志を選まれしかは、此拙稿をも乞い申されし故、申しおきぬ」と述べたように、『西備名区』の寄与するところは大きく、ところによっては『西備名区』の原文がそのまま引用されている。 郷土史家の村上正名は、藩主の権威を以って編纂しただけに資料も余すところがなく得難いものも数多いと評価した。また、引用書目の中に郷土史書の類が多い点につき、江戸時代中期以降学問が一般に普及し、しかも尚古的な傾向が流行した時代背景を指摘している。
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構成・内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 07:42 UTC 版)
90巻34冊(完備)、清書本89巻89冊(初巻欠,第27巻後補)からなる。引用書目は240部に及び、加えて俚語俚諺、家々の言い伝えの類いまで広く収集している。俚語俚諺など、著者自身が疑わしいと思うものであっても蛇足を厭わずに掲載し、読者に委ねるという姿勢をとっている。 以下の目次は、得能正通編『備後叢書』掲載のものであるため、原本に無いものも含まれる。
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構成・内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 08:16 UTC 版)
『文子』は『漢書』芸文志では9篇、『隋書』経籍志では12巻とする。現行本は「道原・精誠・九守・符言・道徳・上徳・微明・自然・下徳・上仁・上義・上礼」の12篇から構成される。 内容は『老子道徳経』を敷衍したものだが、文章の大部分が『淮南子』と共通する。
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構成・内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/27 22:06 UTC 版)
『読史余論』は3巻から成る。第1巻の最初に総論を置き、日本における「天下の大勢」が藤原政権成立後、「九変」して武家の時代となり、さらに「五変」して徳川政権の成立を見たという全体の構想、すなわち「天下九変五変説」を述べる。摂関政治の開始を境界線とし、「上古」とそれ以後の時代に区分する方法は『神皇正統記』を援用したと考えられる。 白石は歴史の発展を「大勢」と考え、この体制の転換を「変」と表現した。この変をうながす原動力として徳・不徳という儒教観念を用い、政治実権が天皇から摂関家・上皇・源氏・北条氏へと移っていった経緯を述べる。白石は中世日本の政治史を、公家勢力と武家勢力の対立ととらえ、その上に儀礼的存在として天皇があるものと考えた。第1巻では公家が次第に衰退する過程を中心とし、第2巻では上古にさかのぼって武家の成立と勃興の大勢を述べ、第1巻の6・7・8・9の「変」は第2巻の1・2の「変」と時代的に重複する。これは日本の天皇・公家・武家の三重の政治体制に由来する盛衰交替を叙述するために白石が編み出した方法である。 本文のあらゆるところで「按ずるに」として重要事件や人物に批評を加え、将軍家宣の施政への参考として提供し、政治的な戒めとしているところもこの書の特徴である。
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構成、内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/08 05:41 UTC 版)
「大学通信教育設置基準」の記事における「構成、内容」の解説
第1条 趣旨 大学(短期大学を除く)の通信教育に係わる、最低の基準を定める。この基準より下回ってはならず、水準の向上を図るよう務めなければならない。 第2条 通信教育を行い得る専攻分野 通信教育により十分な教育成果が得られるものに限り、大学通信教育を行うことができる。 第3条 授業の方法等 印刷教材等による授業(印刷授業)、放送授業、面接授業、メディアを利用して行う授業(メディア授業)により行う。外国での履修も可能とする。 第4条 授業は定期試験等を含め年間を通じて適切に行う。 第5条 単位の計算方法 1単位あたり45時間の学修が必要な内容とし、各授業の方法ごとに具体的な授業の量を定める。 第6条 卒業の要件 大学に4年以上在籍、124単位以上の修得により卒業とする(大学設置基準第32条第1項の準用)。ただし30単位以上は面接授業またはメディア授業により修得することなど。 第7条 大学以外の教育施設等における学修 あらかじめ大学もしくは文部科学大臣が定めた基準に従い、当該大学以外での学修について単位を与えることができる。 第8条 (削除) 第9条 専任教員数 規模に応じて必要な専任教員の数を定める。 第10条 校舎等の施設 大学設置基準第36条第1項に定める一般に大学に必要とされる施設のほか、特に添削等の指導や印刷教材の保管および発送を行う施設を教育に支障のないように設置すること。 第11条 通信教育学部の校地 通信教育学部のみを置く大学は、運動場を設けないことができる。これは大学が認めれば、他大学の体育授業や地域の施設で行う運動教室等を単位として認めることができることから。 第12条 添削等のための組織等 添削等による指導及び教育相談を行うための適切な組織を設ける。 第13条 その他の基準 その他については大学設置基準の定めによる。ただし同基準第23条(各授業科目の授業期間)は準用しない。これは通信教育の特性上、一律に学習期間を定めることが適切でないことから。 附則
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構成内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 06:00 UTC 版)
1990年代に分布が精査された、川田ソウ山支群・川田七ノ宮支群について構成内容を記す。ただし墳丘状隆起は除く。 前方後方墳1基 円墳60基 塚5基 墳丘状隆起18基
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構成内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/07 03:12 UTC 版)
『石川県遺跡地図』・『石川考古学研究会々誌』と旧鹿西町・中能登町作成の資料に古墳の総数・構成内容に食い違いがある。旧鹿西町・中能登町作成の資料には36基の古墳があるとしているが、その36基の具体的構成を明示していない。本項では便宜上、『雨の宮古墳群の調査』石川考古学研究会々誌』記載分を母体とし、『史跡雨の宮古墳群』記載でナンバリングが重複している古墳をR○○号墳と記述する。 なお付近にある森の宮古墳群・西馬場古墳群は、『石川考古学研究会々誌』で雨の宮古墳群の支群扱いとされているが、本項では触れない。 前方後方墳1基 前方後円墳1基 円墳36基 方墳2基 方台形?1基 名称墳形径(辺)(m)高さ(m)備考1号墳 前方後方墳 規模は本文参照 2号墳 前方後円墳 規模は本文参照 3号墳 円墳 30 4.5 通称愛宕塚 4号墳 円墳 20 2.5 墳央部に攪乱穴あり 5号墳 円墳 13 2 5~7号墳連結形状 6号墳 円墳 12.5 1.5~2 5~7号墳連結形状 7号墳 円墳 8 2 5~7号墳連結形状 8号墳 円墳 12 1.5 9号墳 円墳 10 1.5 やや不整形、自然隆起の可能性あり 10号墳 円墳 14 1.8 11号墳 円墳 12 1.5 12号墳 円墳 8 1.5 やや不整形、自然隆起の可能性あり 13号墳 円墳 17 2.8 14号墳 円墳 10 1.0 15号墳 円墳 6 0.8 低墳丘、自然隆起の可能性あり 16号墳 円墳 8 1.0 墳央部に山道が横切る 17号墳 円墳 16 1.5 石室 18号墳 円墳 不明 不明 裾のみを残存 19号墳 円墳 不明 不明 裾のみを残存 20号墳 円墳 22 2.2 低墳丘、座布団状を呈する 21号墳 円墳 12 1.5 やや不整形、自然隆起の可能性あり 22号墳 円墳 13 1.8 平野側のみ整形 23号墳 円墳 11 2.0 平野側のみ整形 24号墳 円墳 18 2.5 平野側のみ整形 25号墳 円墳 不明 不明 裾のみを残存 26号墳 円墳 20 2.5~3 墳丘の大半を失う 27号墳 円墳 15 1 方台状を呈する。方墳か 28号墳 円墳 12 1.2 群よりやや離れる。自然隆起の可能性あり 29号墳 円墳 12 1.2 群よりやや離れる。自然隆起の可能性あり 30号墳 円墳 10 1.2 群よりやや離れる。自然隆起の可能性あり 31号墳 円墳 12 2 群よりやや離れる。自然隆起の可能性あり 32号墳 長円(長方) 9.0×14.0 1.3~1.0 低墳丘 33号墳 円墳 7.0 0.5~0.0 低墳丘 34号墳 円墳 9.0 1.0~0.0 低墳丘 35号墳 円墳 21 2.0~1.0 林道で西側破壊 36号墳 円墳 7.0 0.5 林道で西側破壊 37号墳 円墳 10.0 0.5 低墳丘 38号墳 方墳 8.5×10.0 0.5 低墳丘 39号墳 円墳 13.0 2.5~1.0 小径により南側破壊 R35号墳 方台? 10~5 0.5 1号墳築造時の残丘か。古墳と確定できず R36号墳 方 11 0.5 盛土、鉄製品、玉類 祭祀遺跡の可能性あり
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構成内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:04 UTC 版)
各節の題は、岩波文庫版による。 禅宗無門関(序文) 透得此關 乾坤獨歩(此の関を透得せば 乾坤に独歩す)の頌曰で結んでいる。 10 趙州狗子 纔渉有無 喪身失命(わずかに有無に渉れば 喪身失命す)の頌曰で結んでいる。 20 百丈野狐 30 倶胝堅指 40 胡子無鬚 痴人面前 不可説夢 胡人無鬚 惺惺添懵(痴人に面前して夢を説くべからず。胡人に鬚無く惺惺がぼんやりと添う)の頌曰で結んでいる。 ※痴人=胡人だが禅宗一般で胡人は達磨を指し、ここでは釈迦とする説もある。公案では己れの事も考慮する。 50 香厳上樹 60 世尊拈花 70 趙州洗鉢 80 奚仲造車 機輪轉處 達者猶迷 四維上下 南北東西(機輪の転ずる処、達者猶お迷う。四維上下 東西南北)の頌曰で結んでいる。 90 大通智勝 10 清税孤貧 11 州勘庵主 12 巌喚主人 13 徳山托鉢 14 南泉斬猫 15 洞山三頓 16 鐘聲七條 會則事同一家 不會萬別千差 不會事同一家 會則萬別千差 の頌曰で結んでいる。 ※同一群と万別千差は相対的といった意味合い。 17 国師三喚 18 洞山三斤 19 平常是道 20 大力量人 21 雲門屎橛 22 迦葉刹竿 23 不思善悪 24 離却語言 進歩口喃喃 知君大罔措(歩を進めて口なんなんと 君の大いに措くこと罔きを知る)の頌曰で結んでいる。 25 三座説法 26 二僧巻簾 27 不是心仏 28 久嚮竜潭 29 非風非幡 30 即心即仏 31 趙州勘婆 32 外道問仏 不渉階梯 懸崖撒手(階梯に渉らず 懸崖に撒手す)の頌曰で結んでいる。 33 非心非仏 逢人且説三分 未可全施一片(人に逢うてはしばらく三分を説く。未だ全く一片を施すべからず)の頌曰で結んでいる。 34 智不是道 盡情都説了 只恐信不及(情を尽してすべて説了するも 只だ恐る信不及なることを)の頌曰で結んでいる。 ※南泉斬猫で知られる南泉の言動を絡めて評したもの。 35 倩女離魂 雲月是同 渓山各異 萬福萬福 是一是二(雲月是れ同じ 渓山各々異る 萬福萬福 是一是二)の頌曰で結んでいる。 ※「変成男子」参照。 36 路逢達道 攔腮劈面拳 直下會便會(下骸を遮り割砕して挙し 直下に会すこと便会なり)の頌曰で結んでいる。 ※攔=遮る、阻むの意。 腮=顎(あご)の意。 劈=さく、ひきさくの意。便會=~できる、するなどの意。 37 庭前栢樹 言無展事 語不投機 承言者喪 滞句者迷(言展じる事なく 語機に投ぜず。言承る者なく 句滞る者迷う)の頌曰で結んでいる。 ※趙州庭前柏樹の問答両者の言辞を絡めて評したもの(無門は評釈で「前無釋迦後無彌勒」と術している)。 38 牛過窓櫺 39 雲門話堕 40 趯倒浄瓶 脚尖趯出佛如麻(つま先おどって麻ほぐ如く仏を出だす)の頌曰で結んでいる。 ※死装束に経帷子を着せるのではなく、白い亜麻布を巻く風習が世界各地にあった。 41 達磨安心 西來直指 事因囑起 撓聒叢林 元來是你(西来の直指 事は嘱するに因って起る。叢林かまびすしくみだすは 元来是れなんじ)の頌曰で結んでいる。 42 女子出定 43 首山竹箆 44 芭蕉拄杖 45 他是阿誰 46 竿頭進歩 47 兜率三関 48 乾峰一路 直饒著著在機先 更須知有向上竅(たとえ著著と機先に在るも 更に向上の竅有るを知るべし)の頌曰で結んでいる。
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構成内容
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「東映100大ヒーロー スーパーファイト」の記事における「構成内容」の解説
本作のコーナーは大きく分けて6パートに分類される。ここでは便宜上、各パートを「(アルファベット)パート」として表記する。 まず、Aパートでは映画『月光仮面』から始まり、劇場映画作品や時代劇作品など、おもに1950~60年代のモノクロ時代のヒーローを紹介(カラー作品である『大忍術映画 ワタリ』は除く)。 続いて、Bパートでは怪獣・妖怪ブーム全盛期である1960年代後期の作品群を紹介。『悪魔くん』から『仮面の忍者 赤影』『キャプテンウルトラ』『ジャイアントロボ』などの映像が流れる。 Cパートでは、歴代仮面ライダーを当時の最新ヒーローであったZXまで全員紹介。それに続いて、1970年代前期の変身ヒーロー系の作品の変身シーンが個別で紹介され、その後に各作品のヒーローの戦闘シーンが混在して流れる。ただし、『人造人間キカイダー』『ロボット刑事』といった等身大ロボットヒーローは、コーナー最後に個別の映像として収録されている。 Dパートでは、『秘密戦隊ゴレンジャー』など、1970年代後半期の作品をおもに紹介。こちらは作品あるいはシリーズごとに個別の紹介となっている。ゴレンジャーの5人の紹介後、『ジャッカー電撃隊』の名乗りシーンが挿入され、続けて劇場映画『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』の映像で両戦隊の共闘シーンが収録されている。その後70年代後期のヒーロー作品が立て続けに紹介される。 Eパートでは、集団ヒーローと巨大ロボットの要素を合体させた『バトルフィーバーJ』以降のスーパー戦隊シリーズを紹介。バトルフィーバーの映像が流れたあと、『電子戦隊デンジマン』から『超電子バイオマン』までの5作品のロボが静止画で紹介され、続いてデンジマンからバイオマンまでの戦士とロボの活躍が映像で収録されている。なお、ゴレンジャーやジャッカーのメンバーは個人単位で紹介されているのに対して、バトルフィーバー以降はロボ側のほうが優先されている。ただし、同じ巨大ロボに乗って戦うヒーロー作品の『スパイダーマン』『巨獣特捜ジャスピオン』はヒーロー側のほうが優先されている。 最終コーナーとなるFパートでは、宇宙刑事シリーズを中心にしたSFヒーロー作品を紹介。『宇宙刑事シャイダー』の最終回スペシャルの映像で3人の宇宙刑事が集合して変身するシーンが流れ、そこから作品順に個別の紹介となる。このビデオ発売の前年(1985年)に放送された特番ドラマ『ゲゲゲの鬼太郎』の映像も収録されている。 そしてEDでは、当時の最新作『時空戦士スピルバン』の映像に続けて静止画で歴代ヒーローの活躍場面がワンカット挿入され、最後に再び『月光仮面』のラストシーンで、月光仮面が群衆に見送られて去っていき、「終」マークが表示される映像がそのまま挿入される。 なお、当時の最新作『フラッシュマン』と『スピルバン』の2作品は、番組放送中の発売であったため、それぞれの番組後期に登場したフラッシュマンの2号ロボ、タイタンボーイ(グレートタイタン)や、スピルバンの姉の女性戦士、ヘレンレディに関しては紹介されていない。
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構成内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 06:45 UTC 版)
「明治二十七八年役陸軍衛生事蹟」の記事における「構成内容」の解説
脚気を伝染病と同じ巻に扱っており、当時の医務局が脚気という病気を伝染病・中毒説の面から捉えている姿がうかがわれる。 第一巻 戦時衛生勤務・第一編 台湾匪徒討伐軍/第二編 占領地及び韓国守備隊 第二巻 傷病者一般の景況及び統計 第三巻 伝染病及び脚気・第一編 腸窒扶斯/第二編 赤痢/第三編 虎列拉/第四編 流行性脳脊髄膜炎/第五編 麻剌里亜/第六編 脚気 第四巻 戦傷・第一編 戦傷統計/第二編 銃創/第三編 砲創 附録・其一 凍傷及び凍死/其二 破傷風
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構成内容
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「キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区」の記事における「構成内容」の解説
キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区は、エリアAからNまでの13の地区に構成される。
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