第3歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:00 UTC 版)
テーレマコスはまずイタケー島を出てピュロスに着き、同じアカイア人で武勇の名高いネストール王に会う。王はおりしも海神ポセイドーンへ生贄を捧げる祭祀の途中であったが、訪れてきた旅の若者を快く迎え儀礼に加えて歓待してくれた。古代ギリシアではゼウスは旅人の守護神でもあり、自身も艱難を経てトロイア戦争から帰国出来たネストール王は儀礼を尽くしてテーレマコスを歓待し、またテーレマコスも儀礼をもって王に答えた。この礼儀を弁えた若者に対して、王はトロイア戦争が9年の長きに及び多くの英雄たちさえも失った事を語りだす。そしてこのトロイア戦争に戦況を打開して戦に終止符を打ったのが知略の人・オデュッセウスであったと讃嘆し、戦争が終結しアカイア人の武将たちの多くが帰郷の際に亡くなった事告げる。が、肝心のオデュッセウスの行方はネストール王にも判らず、ネストール王が帰郷の際に神々への祭祀を怠りさまざまな海難に有った事をテーレマコスに語る(だからこそ祭祀を怠らず、テーレマコスを歓待している故を旅の話で語る)。オデュッセウスの生死については自分は判らないが海神の翁(ポセイドーンとは別の海神)に助けられた際に、この翁が言うには「オデュッセウスはカリュプソーの島に囚われているらしい」との伝聞をネストール王に語ってくれた。こうしてネストール王の帰国の艱難の帰路と、王の中の王「アガメムノーン王」がアイギストスに謀殺されたことを話し、漂流の間にアガメムノーンの仇を討つことを誓うが、帰国が叶ったおりに、アガメムノーン王の息子オレステースが父の仇アイギストスを見事討ち果たし後世に名を残す勇名を得た事をテーレマコスに語る。これはテーレマコスに対してもこれを見習い青年よ大義を成せとの激励の示唆なのであるが、テーレマコスは礼儀を持って返答しつつ「私にはそのような大事を成せる自信がない」と弱音を漏らす。ここで女神アテーナーはメントス王の姿を借りて弱音を吐くテーレマコスを叱責する。このような話の流れから、ネストール王は戦友オデュッセウスの息子に力を貸し、彼の息子たちにテーレマコスに助力する事を命じ、ネストール王の子息と壮麗な車を従わせスパルタのメネラーオス王に送った。
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第3歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 16:57 UTC 版)
第2歌から2年後が経った。エル・シッドの娘婿となったカリオンの公子たちは、いずれも勇敢とは言いがたく、エル・シッドが飼っていた獅子が逃げ出したさい、真っ先に逃げ出してしまう。逃げ出した獅子についてはエル・シッドが睨むだけで大人しくさせたものの、このようにエル・シッドが武勇を示せば示すほど、娘婿たちの臆病さは際立つことになる。ついに、娘婿たちはエル・シッドの娘たちに辱めを与え、故国に帰っていってしまう。これに対しエル・シッドは復讐を決意し、裁判で正当性を証明する。また、エル・シッドの娘たちもそれぞれナバーラ王とアラゴン王と再婚を果たすのであった。
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