アチェ紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/18 03:35 UTC 版)
1959年、首相決定によりアチェ州は「特別州」に指定され、教育、宗教、伝統文化に関する特別な自治が認められたが、この自治権は有名無実化した。1970年代には独立運動が活発になり、その背景には石油と天然ガス採掘の利権があった。1976年、アチェ州の分離独立を目的として自由アチェ運動 (GAM) が結成された。1989年、スハルト政権はアチェ州を「軍事作戦地域(Daerah Operasi Milite、略称DOM)」に指定した。スハルト政権中はDOM指定は解除されず、次のユスフ・ハビビ政権に移った後の1998年8月に解除された。メガワティ大統領が就任した翌月の2001年8月、アチェ州特別自治法が制定され翌年1月に施行された。これによりアチェ州の自治は保証されたが、紛争は継続した。遠藤聡はこの理由として、特別自治法で認められたのはあくまでも「特別州」としての「特別自治」であり、GAMは分離独立または連邦制への移行を視野に入れて「自治政府」の樹立を求めていたことをあげている。2003年6月にメガワティ大統領がアチェ州への外国人、NGO、ジャーナリストの立ち入りを禁止する大統領令を発令し、同年8月にはアチェ州に対し軍事非常事態宣言を布告、インドネシア国軍はGAM掃討のため軍事作戦を開始した。2004年5月には宣言は解除されて民間非常事態へと移行したが、国軍とGAMは抗争を継続していた。
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