第三篇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/15 19:55 UTC 版)
キリストの恩寵を受くる様式、およびその恩寵より我々のために生ずる結果、並びに其に随伴する効果に就いて 第1章 御霊の隠れたる働きによってキリストが我々の益と成り給うことに就いての所言 第2章 信仰に就いて。その定義を立て、且つ如何なる特質を有するかを説明する 第3章 信仰によって我々が更生せしめられること。また改悔に就て 第4章 詭弁者たちが彼らの学堂に於いて凡そ改悔に就いて饒舌していることは福音の純真より如何に遥かに遠ざかっているか。茲に告白と贖罪とに就いて論ぜらる 第5章 贖罪に彼らが附加する補足、即ち贖罪券と煉獄に就いて 第6章 キリスト教徒の生活に就いて、且つ第一に、此に関する聖書の論述と奨励 第7章 キリスト教的生活の活用。自己拒否について 第8章 克己の一部分であるところの、十字架を負うことに就いて 第9章 来世に就いての冥想 第10章 現世と其の効用とを如何に用ゆべきか 第11章 信仰の義認に就いて、而して第一に、其の名と事実との定義に就いて 第12章 恩恵的義認を真面目に我々が確信する為に、神の法廷に留意すべきである 第13章 恩恵的義認に於いて注意せらるべき二つの点 第14章 義認の始原と其の連続的信仰 第15章 行為の功績を揚言することは、義の附与に対しての神への讃美、並びに救いの確かさを覆すものである 第16章 此の教理に対して教皇派の者らが憎悪を負わせようとする誹謗に対する反駁 第18章 行為の義を報酬に基づいて断定するは不当である 第19章 キリスト教的自由に就いて 第20章 信者の主要な修練であり、また神の慈恵を日々我々が受ける道であるところの祈祷に就いて 第21章 神が或る者らを救いに、或る者らを亡滅に、予定し給うた永遠の選びに就いて 第22章 予定説の確証としての聖書の諸預言 第23章 此の教理に常に不当に加えられる誹謗に対する反駁 第24章 選びは神の召命によって准允される。然るに排斥された者らは、其の定められたる正当な亡滅を、彼ら自身に招致する。 第25章 最後の復活に就いて
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