体制の転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:00 UTC 版)
経営破綻が危ぶまれていた最中の2004年6月、近鉄がオリックス・ブルーウェーブとの球団合併計画を発表しドーム経営の先行きはさらに不透明となっていく。結局2004年11月に大阪シティドームは特定調停を申請、事実上の経営破綻に陥った。 合併したオリックスは大阪ドームを本拠地に選択し、初年度は旧オリックスの本拠地であるスカイマークスタジアム(現:ほっともっとフィールド神戸)と主催試合をほぼ半数に振り分け(大阪:34試合、神戸:32試合)、最終的には神戸での試合数を削減する方針であった(大阪ドームでの主催公式戦、当初案は2006年:42試合→2007年:54試合→2008年:60試合)。またこれに伴ってオリックスと阪神の保護地域は2007年までの3シーズンの間、大阪府と兵庫県の2府県とする暫定措置が採られた(ダブルフランチャイズ制)。 ところが2005年10月、大阪シティドームはさらなる負担を避けようとする大阪市の求めに応じて特定調停を取り下げ、会社更生法の適用を申請した。その後のドームの運営体制が不確定な事態となった影響から、オリックスは2006年シーズンの専用球場の登録をスカイマークスタジアムに変更し、主催公式戦を半数ずつ開催する措置を採った。 2006年4月、オリックス(直接はオリックス子会社のオリックス・リアルエステート、現在のオリックス不動産)が大阪ドームの施設買収と大阪シティドーム社の株式取得に乗り出し、6月になって5-10年後に大阪市へ寄付することを視野に入れてシティドーム社から施設を90億で買収、シティドーム社を100%減資した上で新たな募集株式をオリックスが取得した(詳細は大阪シティドーム参照)。これを受けてオリックスは2007年、再びドームを専用球場として登録。同年はオリックス主催公式戦のうち48試合が大阪で開催された。2008年に前述の暫定措置が延長されなかったものの、オリックスは本拠地の一本化を取りやめて試合数は2007年のままとした。この件とは別に施設命名権の売却が行われ、2006年7月から「京セラドーム大阪」を名乗ることとなった(後述)。
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