体制の終焉から本格的な内戦へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 03:24 UTC 版)
「サンクム」の記事における「体制の終焉から本格的な内戦へ」の解説
1970年3月18日、首相に復帰していたロン・ノルが親米派のシリク・マタク副首相(シハヌークの従兄弟)らと、ソ連・モスクワと中国・北京へ外遊中だったシハヌークを国家元首から解任するクーデターを起こし、引き続きアメリカ軍のカンボジアへの大規模な軍事介入を(公式に)許可、カンボジア内戦が開始された。10月には王制を廃止しクメール共和国の成立を宣言。これらの動きに対してシハヌークは北京からロン・ノルへの抵抗を訴え、これまで敵対していたクメール・ルージュと一転して手を結ぶこととなった(カンプチア王国民族連合政府)。こうした情勢の急変のなかサンクムも国内での存在価値を失い、公式には1971年2月18日に解散した。その後の内戦とクメール・ルージュの支配による大虐殺によりカンボジアの経済は徹底的に破壊されたが、そのなかでシハヌークを支持する独自の勢力は穏健派として基盤を維持・温存することに成功し、民主カンプチア政権(クメール・ルージュ政権)期の1978年におけるフンシンペック結成へと結びつくこととなる。
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