体制内からの異論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:22 UTC 版)
「エストニアの独立回復」の記事における「体制内からの異論」の解説
これら非公認団体の活動が活発化する一方、1987年9月26日の『エタシ』には、哲学者エトカル・サヴィサール(エストニア語版)、教育学者のシーム・カッラスとティート・マテ(ロシア語版)、そして歴史家ミック・ティトマ (et) ら4人の共産党員による提案「経済的に自立するエストニア」(et, IME) が掲載された。IMEはハンガリーの自由市場改革や中国の経済特区を例に挙げ、エストニアの「自主管理経済区域」化を提案した。IME自体は、独立志向ではなく現実の経済水準低下からもたらされたものであり、共産党中央はこれを社会主義的でないとして否認した。 しかし、1988年初頭からエストニアでは、共和国外からの労働者を受け入れる企業には1人当たり1万6000ルーブルの罰金が科されるようになった。1月中旬には保守派の共産党イデオロギー担当書記レイン・リストラーン (et) が穏健派のインドレク・トーメ(英語版)およびティトマにすげ替えられ、2月19日には著名な作家・芸術家・アスリートなど40人が『ソビエツカヤ・エストニア』(ru) 紙上で、エストニアの「自主管理」と「自由で自治を持つ機構」の強化を訴える声明を発した。同月1日のタルトゥ条約締結記念日のデモは当局に妨害されたが、24日の独立記念日(エストニア語版)のデモは黙認された。 4月1日から2日にかけて開催された創作家諸同盟合同総会 (et) では、トーメも出席するなかで、タブーであった国内の民族構成問題について率直に議論が交わされた。その中には、新たに「共和国籍」を導入すべきとの提案も含まれていた。総会決議は、エストニアではエストニア語とエストニア文化が優先されるべきとの考えを強調し、その経済的・文化的独立を保障するために共和国の立法機関が指導的役割を果たすこと、連邦構成共和国の主権と平等というレーニン主義の原則に立ち戻ること、などを求めてエストニア指導部を強く批判した。
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