自由市場改革 (1990年 - 95年)
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「アルゼンチン経済の歴史」の記事における「自由市場改革 (1990年 - 95年)」の解説
1989年5月にペロニストであるカルロス・メネムが大統領に当選した。GDPの16パーセントに達した政府債務を見据えて、メネムは就任直後から財政再建を推し進めるショック療法的政策を打ち出した。189年11月にはIMFとの新たな非常時の融資計画について合意に達したものの、やはり中途半端に終わり、続けざまに年に12,000パーセントに及ぶハイパーインフレーションがこの国を襲った。 1980年代の後半に公営企業の破綻が相次いで以降、民営化が強力に推進された。メネムは2つの銀行を残して、国有になっているあらゆる事業をほぼ民営化したが、サービスについていえば向上したという事に議論の余地はない。例えば、通信事業の民営化以前には、新たに電話回線を引くのに10年以上待たされることも珍しくなく、電話が使える住宅は流通市場ではたいへんな付加価値を持っていた。それが民営化されると、待機期間は1週間を切るまで短くなった。投資が進んで農場や工場、港湾は近代化し、生産性も向上した。しかし例外なく、労働者の大幅な解雇が待っていた。さらに民営化の過程で、汚職が行われた形跡も多々見受けられた。極端な言い方をすれば、民営化された会社は(公ではなく)私による寡占企業になっただけだった。料金はアメリカのインフレに歩調を合わせて、アルゼンチンの物価が下落している最中にも上昇した。 1991年に、経済大臣のドミンゴ・カバロはアルゼンチン経済の下降を跳ね返すために、貿易の自由化に代表される自由市場改革に着手した。1992年1月1日には通貨改革によって、アウストラルが10,000対1でペソに置き換えられた。この改革を進めるうえで重要だったのがカレンシーボードで、法律も整備されてペソは同じ額面のドルに相場が固定され、供給量はハードカレンシーであるドルの準備高と同水準に抑えられた。これは後から切り下げができないという意味でアルゼンチンにとってはリスクのある政策であった。施行からしばらくして、インフレはおさまりをみせた。切り下げのリスクも少なくなったように思われたことから、国外からの投資も進んだ。GDP成長率は大幅に上がり、雇用総数も1993年半ばまで着実に増大した。しかし1994年の後半には、経済はスローダウンし、失業率も10パーセントから12.2パーセントに上がった。 この時点でアルゼンチン経済はすでに軽い不況を迎えていたが、1994年12月にメキシコが通貨危機に陥ってメキシコ・ペソが切り下げされると、経済状態の悪化は著しいものになった。経済活動は4パーセント収縮し、多くの銀行が破綻した。労働人口は増加を続けていたが、総需要の減退とともに就業者数は大幅に減少し、失業率は6ヵ月で6パーセント以上も上昇した。しかし政府の対応は悪くなかった。所要自己資本など銀行に対する規制を強化して引き締めを行い、海外銀行が体力の劣る地方銀行を買収することを促した。景気はすぐに回復し、1996年から1998年に経済生産高と雇用は急激に改善して、失業者数も顕著に減少した。しかし、1999年の初めにはブラジルが通貨危機を迎えて。レアルが大幅に下落した。アルゼンチンの経済は1999年に4パーセントの収縮をみせ、失業者数は再び増加した。 輸出額は1991年の120億ドルから2001年の270億ドルと増加したが、特にブラジルの通貨危機以降に、海外で競争のできる産業は多くなかった。強力に通貨を管理するカレンシーボード制のもとで、貿易収支は1992年から1999年までに220億米ドルの累積赤字になっていた。切り下げはできないため、アルゼンチンにできることは物価が下落した時に国際競争力に恵まれることだけだった。不景気にともなってデフレが起こり、賃金は下落して失業者数は増加した。金利は高止まりし、銀行のドル建て融資の利率は25パーセントにも達した。 GDPに占める政府支出は1995年の27パーセントから2000年の30パーセントに増加した。貧しい地方によっては公共事業か砂糖のような生産性の低い産業に依存しており、貿易を自由化しても競争力などなかった。社会不安を抑えるために、知事たちは人件費を吊り上げた。年金の未納率が上昇していたため、1994年から政府は年金制度改革に取り組み賦課方式から個人口座への積立方式に移行していたが、その費用は2000年の時点でGDPの3パーセントに達していた。
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