自由州の住民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/26 20:41 UTC 版)
カンザス・ネブラスカ法が成立する前の長い議論の間に、北部の者は、カンザス準州を奴隷制度擁護派の手に落ちないようにするために唯一残されている手段は、その領域内に自由の制度を打ち立ててしまうに足る数の自由州の移民で即座に占有し定住することだという意見に落着してきた。カンザス準州を植民地化してしまうという望みは、法案がまだアメリカ合衆国議会で議論されている間に形を取ってきた。この目的のために作られた最大の組織はイーライ・タイアーによって作られたニューイングランド移民援護会社であった。 ニューイングランド、アイオワ州、およびオハイオ州など中西部の自由州からの移民は1854年初めに準州内に雪崩れ込んできた。これらの移民は自由州人と呼ばれた。ミズーリ州住人が境界近くの土地を抑えていたので、自由州人はカンザス準州の奥深く、ローレンス、トピカおよびマンハッタンなどの開拓地まで入らざるを得なかった。 非住民からの浸食にたいして防衛するために「カンザス準州の実在の開拓者協会」が結成された。この協会は1854年8月12日に集会を開き、東部境界地域の奴隷制度擁護無断入植者によって採択されたものとは異なる法の下に、自由州の開拓者を守るための規則採択を目的とした。
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