日本帝國とは? わかりやすく解説

大日本帝国

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大日本帝国
大日本帝󠄁國
紀元前660年2月11日(明治5年太政官布告第342号) - [1][2]
国旗[3] 事実上の国章
国歌: 君が代[4](事実上)

準国歌:海行かば[5](非公式)

1942年の大日本帝国:
公用語 日本語(事実上)
首都 京都→(東京奠都)→
東京府東京都(事実上)
天皇
1867年 - 1912年 明治天皇
1912年 - 1926年 大正天皇
1926年 - 1947年 昭和天皇
内閣総理大臣
1885年 - 1888年 伊藤博文(初代)
1946年 - 1947年 吉田茂(第45代)
面積
昭和初期の領土 675,405.78 [6]km²
人口
1920年(大正9年)[7] 77,700,000人
1933年(昭和8年) 90,396,034人
1935年(昭和10年)国勢調査 97,700,000人
1940年(昭和15年)[7] 105,200,000人
変遷
明治維新 1868年明治元年)
大日本帝国憲法発布 1889年明治22年)2月11日
第一次世界大戦参戦 1914年大正2年)8月23日
第一次世界大戦終戦 1918年大正6年)11月11日
第二次世界大戦敗戦 1945年昭和20年)8月15日
日本国憲法施行 1947年昭和22年)5月3日
通貨 日本円
台湾銀行券
朝鮮銀行券
時間帯 UTC +8(西部標準時、1896 - 1937)
UTC+9(中央標準時)(DST: なし)
現在 日本
中華民国(台湾)
ロシア(南樺太・千島列島)
中華人民共和国(関東州)
 大韓民国(朝鮮)
 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)
ミクロネシア連邦(南洋諸島)
マーシャル諸島(南洋諸島)
パラオ(南洋諸島)
アメリカ合衆国(南洋諸島)
先代 次代
江戸幕府
蝦夷共和国
琉球王国
大韓帝国
清朝統治時代の台湾
ロシア帝国
ドイツ領ニューギニア
連合国軍占領下の日本
アメリカ施政権下の小笠原諸島
アメリカ合衆国による沖縄統治
在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁
ソビエト民政庁
中華民国
南サハリン州
太平洋諸島信託統治領
  1. ^ 紀元は神話の伝承による。なお明治5年太政官布告第342号の現在における効力については議論がある。たとえばレファレンス協同データベース管理番号 K111102123642[1]
  2. ^ 「大日本帝国」の国号が用いられたのは遅くとも1935年の外務省決定から1947年まで。
  3. ^ この旗が法令上の国旗と明記されたのは 1999年(平成11)8月9日の国旗・国歌法による。明治時代には太政官布告で定められた国旗は3つ存在し、政府は商船旗としてこの旗を推奨していた。
  4. ^ この歌が法令上の国歌と明記されたのは1999年(平成11)8月9日の国旗・国歌法による。
  5. ^ 海ゆかば」NHK放送史2024年11月22日
  6. ^ 大日本帝国統計年鑑第59回(内閣統計局、東京統計協会、昭和16(1941))[2]、国立国会図書館デジタルライブラリ
  7. ^ a b Taeuber, Irene B.; Beal, Edwin G. (January 1945). “The Demographic Heritage of the Japanese Empire”. Annals of the American Academy of Political and Social Science (Sage Publications) 237: 65. doi:10.1177/000271624523700108. ISSN 0002-7162. JSTOR 1025496. 

大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく、 旧字体大日本帝󠄁國英語: Empire of Japan)とは、大日本帝国憲法[1][2]で使用された日本国号である[3]

この国号は江戸時代末期(幕末)に外交文書に使用され始め、公式には1947年昭和22年)まで使用されていた。ただし、日本の正式な国号は過去から現在まで一貫して法的に確定しておらず、「大日本帝国」もまた法令上規定された正式な国号という位置づけではない(後述)。

大日本帝国憲法下における日本の領土は、北海道から沖縄県までの47道府県の他、南樺太千島列島朝鮮台湾を含み、また関東州南洋諸島などの幾つかの租借地委任統治が存在した。

以下は国号としての大日本帝国を解説し、また大日本帝国憲法下の日本について記述する。

大日本帝國という国号

経緯

憲法原本での国名

大和王権成立後、漢字文化が取り入れられると初め中国朝鮮側の呼称である「」を自国の表記として使用することが多かったが、やがて自国を「日本」、あるいは「倭」を「和」と表記することが増え、701年(大宝元年)の大宝律令では日本の国号が使用された[4]。「倭」や「日本」に「大」を冠する慣習は古代から国内向けの美称として存在するが、対外文書においては江戸時代末期(幕末)まで見られなかった[5]。「帝」と言う文字は説文解字に依れば「」と同義であり、天下の王(諦)と同義であるとある。角川新字源改訂版によれば「帝」の文字は象形であり、地上に降りた神が寄りかかるための机の形をかたどったものであり、宇宙の最高神の意を表すとする[6]。この意味では西欧の「empire」の語源であるインペラトル(諸民族・諸軍団に対する命令権)よりも、ポンティフェクス・マクシムス最高神祇官)のほうが語義に近い。「帝國」という文字そのものは代『文中子・問易』や日本書紀など古典にも散見される表現であったが、いずれも「徳をもって治める国」あるいは天皇の所在を意味する語であり、近代国家の語義としての国家の政体を表示するものではなかった[7]。後者の語義としての「帝国」の語は江戸時代後期にオランダ語Keizerdomの翻訳のために採用された造語であり[注釈 1]、それ以前の時代に漢語として定着した言葉ではなかった[8]。国学系統では「皇国」という語が比較的早期から使われているものの「帝国」という語は幕末まで見られなかった[8]

対外的な国号に「大」を冠したり「帝國」を使用するようになったのはいずれも幕末のことであり、1854年(嘉永7年)にアメリカ合衆国と批准し、開国の皮切りとなった日米和親条約では、前文において「帝國日本」(英文では"Empire of Japan")の国号が初めて使われた(各条文では「日本國 Japan」表記)[9]。また、同年にイギリスと批准した日英和親条約では、条約の正式名称では「日本國(日本国大不列顛国約定)」としたが[10]、本文の「日本大君」を英文では"His Imperial Highness the Emperor of Japan"と表記し[11]、日本側の約文(概要)では江戸幕府を「大日本帝國政府」と表記した[12]

さらに、1858年7月29日(安政5年6月19日)米国と調印した日米修好通商条約では、本文に「帝國大日本」の国号が使われた[13]ほか、脇坂中務大輔は肩書きを「大日本帝國外國事務老中」とした[14]。同様に、10月9日(安政5年9月3日)フランスと調印した日仏修好通商条約でも、本文は「日本國」だったが[15]間部下総守と脇坂中務大輔はやはり「大日本帝國外国事務老中」の肩書で花押を残している[16]万延元年遣米使節の正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順1860年(万延元年)、日米修好通商条約を批准した安政五年条約批准条約交換証書[17]上で、日本側を「大日本帝國 大君の全権」と記した。

このように、江戸幕府は開国後に「大日本帝國」の国号を使い始めたが、国号表記は条約によってまちまちであり「日ノ本」「日本」「日本國」「帝國日本」「帝國大日本」「日本帝國」「大日本皇御國」などの表記も使用され、一定しなかった[18][19]

明治天皇1868年1月3日慶応3年12月9日)、王政復古を宣言。1871年(明治4年)に鋳造された国璽には「大日本國璽」と刻まれ、1874年(明治7年)の改鋳に際しても印文は変更されず、今日に至るまで使用されている。1873年(明治6年)6月30日に在日本オランダ公使からの来翰文邦訳で「大日本帝國天皇陛下ニ祝辞ヲ陳述ス(大日本帝国天皇陛下に祝辞を陳述す)」と記述され[20]、1889年(明治22年)2月11日には大日本帝国憲法(明治憲法、帝国憲法)が発布され、1890年(明治23年)11月29日、この憲法が施行されるにあたり大日本帝國という国号を称した[21]。初め伊藤博文が明治天皇に提出した憲法案では日本帝國であったが、憲法案を審議する枢密院会議の席上、寺島宗則副議長が、皇室典範案に日本とあるので文体を統一するために憲法も日本に改めることを提案。これに対して憲法起草者の井上毅書記官長は、国名に大の字を冠するのは自ら尊大にする嫌いがあり、内外に発表する憲法に大の字を書くべきでないとして反対した。結局、枢密院議長であった伊藤博文の裁定により「大日本帝國」に決められた[22]。しかし憲法18条以下に見られるように(「日本」臣民の権利義務)この呼称が国号として唯一のものとして明確に確定したわけではなかった。

大日本という表記は「オオヤマト」としては古来から用いられており、明治時代に国名として初めて使用されたという訳ではない。一方「帝國」は代の『文中子・問易』を初出とし「徳を以て治める国」とされた[23]。『日本書紀』にも「帝國」に「みかど」の訓を当てた用例があるが[24]、天皇の所在を意味する用語であり、今日の「帝国」とは必ずしも一致しなかった[25]。一方で、天皇が統治する国という意味で「皇国」「スメラミクニ」(皇御国)が使われていた。これらは政治や思想、主義、規模等に基づく「Empire」(帝国)とは本来一線を画していたが、幕末以降に欧米列強の影響を受け、日本側も"Empire"の訳語としての「帝国」を意識するようになった[8]

帝国憲法の半公式の英訳(伊東巳代治訳)では「Empire of Japan」と訳され「大」の意味合いはなかった。当時は国名へのこだわりがなく、帝国憲法と同時に制定された皇室典範では日本帝國大日本國と表記し、外交文書では日本日本國とも称しており、国内向けの公文書でも同様であった。その後、世界情勢の悪化などにより国名への面子に対するこだわりが表面化した1935年(昭和10年)7月、外務省は外交文書上「大日本帝國」に表記を統一することを決定した[26]国号を参照。

第二次世界大戦後、日本政府が1946年2月8日連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) に提出した憲法改正要綱では国名について「大日本帝國」と記載していたが、2月13日、GHQ/SCAP民政局長コートニー・ホイットニーにより憲法改正要綱の不受理通知とGHQ/SCAP草案が吉田茂外務大臣及び松本烝治国務大臣らに手交され、その草案の仮訳以降は国名は日本国と記載されるようになり、のち国号に関して1946年7月23日時点における第1次吉田内閣の公式見解として「従来現行憲法(当時は大日本帝国憲法下)においても特に我が国の国号を一定する意味で「大日本帝国」という名称が用いられたものとは考えていない」ものとされた[27]

その後1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法により日本は憲法上「日本国」の名称を用いることとなるが、現在においてなお日本の正式な名称を規定する法令等は存在せず、国号の呼称については慣習によるものとされている[28]

通称

日本水準原点標庫上部エンタブラチュアフリーズ部分に菊紋と共に右から「大日本帝國」と刻まれている。

通称では帝国と呼び、また皇国とも称した。日本海海戦での「皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ(皇国の興廃この一戦に在り)」が有名。日本や日本国は通称としてだけでなく公文書にも使用された。 現在「帝国」の文字が公的機関に記されているのは東京都千代田区に所在する日本水準原点標庫のみである。民間では帝国データバンク帝国劇場(通称「帝劇」)、帝国ホテル帝国書院などがある。

2004年(平成16年)に東京地下鉄(東京メトロ)が運営を引き継いだかつての営団地下鉄も、運営者の正式名称は「帝都」(帝国の首都の意)を冠した帝都高速度交通営団であり、京王電鉄も社名変更前は「京王帝都電鉄」(大東急解体の際に旧京王電気軌道と旧小田急電鉄帝都線(帝都電鉄)だった路線を引き継ぎ設立したことによる名称)であった。他業界ではテイケイが「帝国警備保障」、帝人が「帝国人造絹糸」、テイボーが「帝国制帽」、合併前の国際石油開発帝石が「帝国石油」、日本エア・リキードが「帝国酸素」などと、それぞれ「帝国」を冠していた。

東京大学京都大学などの帝国大学令に基づいて設立された大学は、現在においても旧帝大と呼ばれる。また、同様に「大日本」の文字が使用されている企業もある(例:大日本印刷大日本除虫菊)。

通史

歴史学においては時代区分それ自体が議論の対象であり、「大日本帝国」と公称された時代をひとまとめの時代として記述する論文も少なからず存在するものの、通例この時代を近世近代として記述するのが一般的である。この項目で記述されるべき内容は膨大であり、別の記事(日本近代史、あるいは幕末明治大正昭和など)を参照されたい。

国土

大日本帝国憲法下の日本の国土は、完全な領有権を有する領土のほか、領土に準じる区域として、他国から借り受けた租借地、国際連盟に統治を委任された委任統治区域があった。この他、行政権及び自国民への裁判権を有する一部統治区域があった。

首都

明治憲法下においては、關東大震災直後ノ詔書(大正12年9月12日詔書)で「東京ハ帝國ノ首都」とされている。東京は大日本帝国の首都として帝都と称され、宮城(きゅうじょう、皇居)が所在し、内閣、各省、枢密院、大審院が位置し、帝国議会が開かれ、戦時には大本営が置かれた。

その一方、元来からの「みやこ」は、維新初期の政情を背景に天皇の東行を東京奠都とされた経緯から、京都は都としての地位が継続し、高御座京都御所に安置され即位の礼大嘗祭が行われていた[29]。この「みやこ」の地位の議論を背景に言語学者や百科事典編纂者らは慎重に「帝都」「首府」と表現し首都の用語の採用を回避したが、議会を始め一般には首都の語は流通していた。もっとも現代のように「一国の首府」としての首都の意味として確定していたわけではなく地方の中核都市としての首都・主都の用法も一般的であった。

日清戦争中には天皇の行幸にともない広島には行在所や大本営が置かれ、ここで帝国議会が開かれたため、臨時の首都を務めたとも言える。また太平洋戦争大東亜戦争)で本土決戦になる場合を想定し、天皇と大本営を長野県松代町の地下壕(松代大本営)に移す計画があり実際に部分的な準備も行われたが、当初は天皇自身が反対したこともあり、また本土決戦が行われることなく終戦したため実現しなかった。

領土

大日本帝国の国土(昭和期)1.内地 2.台湾 2'.新南群島 3.樺太 4.朝鮮(以上領土)5.関東州 6.満鉄附属地 7.南洋群島
大日本帝国の地形図(1918年11月)

大日本帝国憲法(明治憲法)の形質の観点では、明治憲法には領土規定がなく、ヘルマン・ロエスレルの案の段階で領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属していないものだとして領土規定が立ち消えたのであるが、実際にはロエスエルの認識とは異なり日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。明治政府にとって好都合であったことは確かで、露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸國憲法ノ或ハ領土ヲ列擧スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手續ヲ要セス」(上杉慎吉「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた[30]

比較法学の観点では、当時の国法学の観点では「国土」という確定された領域は国土学によって理論的に整除され、その結果を憲法に記述することが慣行となっていた。1831年のベルギー憲法、1848年プロイセン憲法、1871年ドイツ帝国憲法のように第一条に国土条項を記述するのが通例で、領土条項を欠いた憲法はなんらかの事情があり、その点で大日本帝国憲法は異例であった。石村修はこの点について江戸時代における長期の鎖国体制や地政学的特性に着目する。西欧型の植民地経営の特徴は、自国の法がおよぶ範囲を限定し殖民会社に軍備・司法・行政・外交の特権を付与することで、国家も直接植民地支配の煩わしさから解放されることになり、そこでは軍事警察力による暴力的な支配権力が不可欠であり、法的には内地と区分された(外地)という枠組みが形成されるにいたった。19世紀のヨーロッパは国家主権が欠落した空間に宗主国の主権が及ぶことを想定しながら、直接的な責任逃れの法理が適用されることを期待して「外地」(overseas territories)という領土を作り出したとする[31]

領土は完全な領有権を有する区域であり、内地樺太(後に内地に編入)、台湾朝鮮からなる。このほか一時遼東半島を領土としたことがあった。各領土の来歴は下記の通り。領土面積は最大675,000km2[32]。各領土の概要は下記の通り。

内地
日本列島及び周辺の島嶼からなり、現在の日本国の領土とほぼ一致する。内地の来歴は以下の通り。
この他以下の島々を内地に編入した。
  • 北大東島南大東島:1885年調査隊を派遣し国標を建設。同年沖縄県編入(公文録明治18年内務省ノ部)。
  • 硫黄島北硫黄島南硫黄島:1891年小笠原島庁の所轄とする(明治24年勅令第190号)。
  • 南鳥島:1898年小笠原島庁の所管とする(明治31年(1898年)東京府告示第58号)。
  • 魚釣島・久場島:1895年沖縄県の所管とし標杭建設を決定(明治28年内甲第2号閣議決定)。現在は尖閣諸島と呼ばれる。
  • 沖大東島:1900年沖縄県に編入(明治33年沖縄県告示第95号)。
  • 竹島:1905年島根県に編入(明治38年島根県告示第40号)。
  • 中ノ鳥島:1908年小笠原島庁の所管とする(明治41年東京府告示第141号)。その後再発見できず、1946年水路図誌から削除。
  • 沖ノ鳥島:1931年東京府小笠原支庁の管轄とする(昭和6年内務省告示第163号)。
樺太
日持が訪れる等、古くは鎌倉時代から日本との関わり(参照:蝦夷管領安東氏)があり、江戸時代松前藩陣屋アイヌなどとの交易場所(参照:場所請負制#運上屋)なども設けられていたが、幕末の混乱期に樺太島仮規則などの不平等条約ロシアとの雑居地とされた後、1875年、千島樺太交換条約によりロシアに譲渡。1905年、日露戦争樺太作戦)で占領し、同年のポーツマス条約(日露講和条約、明治38年勅令号外)により北緯50度以南を割譲させ回復。1943年内地に編入した(昭和18年法律第85号)。樺太庁を参照。
第四代台湾総督児玉源太郎
台湾
台湾本島と澎湖島日清戦争で占領し、1895年、下関条約(日清講和条約、明治28年勅令号外)により、清国に割譲させて獲得。1938年、新南群島(現在の南沙諸島)を台湾高雄市に編入した(昭和14年台湾総督府令第31号、台湾総督府告示第122号)。日本統治時代の台湾の項を参照。
遼東半島(奉天半島)
日清戦争で占領し、1895年、下関条約により清国に割譲させて獲得したが、三国干渉を受けて、同年中の奉天半島還付ニ関スル条約(明治28年勅令号外)により返還した。この間、ごく短期ではあるが、領土であった。
朝鮮
1910年、韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第3号)により領土に加え、韓國ノ國號ヲ改メ朝鮮ト稱スルノ件(明治43年勅令第318号)により朝鮮に改称した。日本統治時代の朝鮮の項を参照。

租借地

租借地は領土とは異なり、潜在主権を租貸国が有し、租借期限があり、また在来の住民に日本国籍が与えられない。中国から関東州と一時膠州青島)を租借した。

関東州
遼東半島先端の大連旅順近辺。ロシアの租借地だったが、日露戦争で占領。1905年、ポーツマス条約により清国の承諾を条件に租借権を譲り受け、日清間滿洲ニ關スル條約(明治39年勅令号外)により清国の承諾を得て租借した。租借期限は1923年までだったが、1915年に中華民国との南滿洲及東部内蒙古ニ關スル條約(大正4年条約第3号)により1997年まで延長された。1932年の満洲国の成立に伴い、満洲国の一部を租借する形式に改定した(ポツダム宣言受諾により1945年に失効)。
膠州
山東半島南岸の青島近辺。ドイツ帝国の租借地だったが、第一次世界大戦で占領。1920年同盟及聯合國ト獨逸國トノ平和條約(大正8年条約第1号)により租借地とするが、2年後の山東懸案解決ニ關スル條約(大正11年条約第3号)により中華民国に返還。

委任統治区域

南洋群島
西太平洋赤道以北の広い範囲に散在する島々。ドイツ領であったが、第一次世界大戦で占領、1920年同盟及聯合國ト獨逸國トノ平和條約(大正8年条約第1号)により、国際連盟委任に基づき統治する委任統治区域とした。日本が国際連盟を脱退すると、連盟との関係における委任統治の根拠は薄くなったが、1933年3月16日「帝国の国際連盟脱退後の南洋委任統治の帰趨に関する帝国政府の方針決定の件」を閣議決定し、委任統治はヴェルサイユ条約での批准事項であることを盾に引き続き委任統治を行った。なお国際連盟への統治に関する年次報告は1938年まで行っている。

一部統治区域

南満洲鉄道初代総裁後藤新平
南満洲鉄道附属地(満鉄附属地)
南満洲鉄道(満鉄)の線路両側数十メートル程度の地帯、及び駅周辺の市街地や鉱山等からなる。満鉄に関するロシアの権利を1905年のポーツマス条約で譲り受けた際に、その一部として鉄道附属地における行政権を獲得した。行政権の他、治外法権に基づき日本人に関する裁判権も有した。1937年、行政権を満洲国に移譲すると共に、治外法権を撤廃した(昭和12年条約第15号)。
租界
専管租界を1897年杭州蘇州に、1898年天津漢口に、1901年重慶に、それぞれ開設した。また、上海共同租界に参加していた。北京には正式な租界ではないが、事実上の共同租界として機能した公使館区域があった。このほか沙市福州厦門に租界を設置する権限があったが設置しなかった。租界では行政権を行使するほか、治外法権に基づき日本人に関する裁判権も有した。1943年、中華民国(汪兆銘政権)に対し租界を還付し治外法権を撤廃した(昭和18年条約第1号、同第2号)。

住民

大日本帝国の人口密度(大正9)。
大日本帝国の人口密度(昭和15)。

大日本帝国憲法下の日本で大日本帝国の国籍を有する者を日本人日本国民日本臣民といった。大日本帝国憲法では日本臣民の名称が使用されている。国籍の要件は国籍法(明治32年法律第66号)で規定された。下のいずれに属するかによって法制度上異なる取り扱いを受けることがあった。

国民

内地人
内地人とは戸籍法(明治31年法律第12号)の適用を受ける国民である。現在の日本国民にほぼ相当する。内地人には華族士族平民の別があり、華族は貴族院議員たる資格を有するなど特殊な地位にあったが、士族と平民の間に差異はなく、法的にも1914年(大正3年)に族籍記載が撤廃された。1947年の戸籍法改正により、これらの別は完全に消滅した。
樺太人
樺太人は樺太の在来住民であり、樺太ニ施行スヘキ法令ニ關スル件(明治40年法律第25号)などの法令では土人と呼ばれた。また樺太土人ともいう。樺太人は日本国籍を有しなかったという説(百瀬後掲書)もあるが、当時の憲法学書では日本国籍を有するものとしていた(美濃部後掲書)。樺太人のうち8割近くが樺太アイヌであり、他にニヴフウィルタ(当時の通称はオロッコ族)などがいた。1932年、樺太アイヌが内地人になり(昭和7年勅令第373号)、他は1943年の樺太の内地編入(昭和18年法律第85号)の際に内地人になった。
台湾人
台湾人台湾の在来住民である。本島人ともいう。1895年台湾割譲の際に大日本帝国国民になった。戸籍法の適用を受けず、民籍という籍を有した。本島人のうち9割が漢民族、1割が高砂族である。行政上は日本国との平和条約の発効により日本国籍を喪失したものとして扱われたが、判例上は日本国と中華民国との間の平和条約の発効により日本国籍を喪失したとされている(平和条約国籍離脱者)。
朝鮮人
朝鮮人は朝鮮の在来住民である。1910年の韓国併合の際に大日本帝国国民になった。戸籍法の適用を受けず、民籍という籍を有した。朝鮮人のうち旧大韓帝国の皇族は王公族、一部の両班や韓国併合に功績のあった者は朝鮮貴族に封じられた。これらの人々は1947年、外国人登録令により、外国人扱いの朝鮮籍に組み込まれ、1952年、日本国との平和条約の発効により日本国籍(旧大日本帝国籍)を喪失した(平和条約国籍離脱者)。

法令等では、台湾戸籍令(1905年)、民籍法(1909年、大韓帝国)のち朝鮮戸籍令(1923年)などにもとづく台湾戸籍や朝鮮戸籍に所属する「帝国臣民」であり、内地人を「戶籍法ノ適用ヲ受クル者」と称したのに対して、内地人以外の日本国民を総称して「戶籍法ノ適用ヲ受ケザル者」などと言った(例: 兵役法23条、同52条)。なお、公式文書でも、「内地人」、「台湾人」、「朝鮮人」などと表記された[33]

国民以外

正式な領土とされなかった統治区域の在来住民は、日本国籍が与えられず、国民として扱われなかった。

国際連盟からの委任統治区域であった南洋群島の在来住民を島民といった。島民は国籍がなかった。島民の大部分はカナカ族であり、他にチャモロ族がいた。

租借地である関東州や満鉄附属地の在来住民は当初清国籍、後に中華民国籍を経て、1932年に満洲国が建国された後には暫行民籍法(1940年、満洲国籍に準じるもの)[34]が導入された。内国や台湾・朝鮮からの移住者は内国戸籍や台湾・朝鮮の民籍と二重登録されるなどした。租界の在来住民は清国籍・中華民国籍とみなされた。これらの大部分は漢民族である。

統治機構

明治憲法下の統治機構

明治の日本の統治機構は太政官制から内閣制、1890年の大日本帝国憲法(以下、明治憲法)施行による立憲君主国家へと推移した。明治憲法上は国家元首である天皇が統治権全体を掌握する建前であったが(憲法第4条)、実質上は国家の各機関が権限を分掌していた。これは「統治構造の割拠性」といわれる[35][36][37]。「明治憲法体制下においては、天皇は、親政をとらず、内閣等の輔弼に従って名目的な統括者として権力を行使する存在であった」「各輔弼機関は分立的・割拠的であったため、その調整は事実上、元老に委ねられていたが、元老の消滅に伴い、実質的な統治の中心が不在となってしまった」[38]「戦前の統治構造における割拠性については改めて言及するまでもなかろう。明治22年の内閣官制、非連帯責任制の採用、統帥権の独立、枢密院・貴族院の存在等々、幾多の障壁が内閣の一体性の確保を阻害していた」[39]のである。

内閣と宮中

統治権に関する天皇の権限は国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使された(憲法第55条)。内閣は国務大臣で組織され(内閣官制第1条)、帝国憲法上天皇大権とされた権限は原則として内閣の決定に基づいて行われた。

内閣総理大臣は国務大臣の首班であり、重要決定事項を天皇に報告し、その了解に基づいて行政を統制した(内閣官制第2条)。内閣総理大臣の選任方法については、明文の規定はなく、元老(のち重臣)と呼ばれる有力者たちが内閣総理大臣を選んだ。現行法のように国会議員である必要はなく、元老や軍人などからも任意に任命された。内閣総理大臣は帝国憲法上の地位がなく政治上の地位が極めて不安定であったとの論がしばしば提起されるが内閣官制公文式公式令の規定により相当の権限が確保されており、大臣の罷免はあらたな内閣の組閣として実質的に可能であり[40]、閣内不一致による内閣総辞職は法令上の義務ではなく、あくまで議会政治において事後的に成立した慣例であった。

天皇の実際の役割は、内閣の決定に従ってこれに形式的な裁可を与えて国家意思を確定することであった(機務六条)。ただし、天皇は単なる傀儡ではなく、当時のイギリス国王など他の立憲君主と同様、政治上の決定に関与していた(伊藤之雄)。天皇の側近には、侍従長内大臣などがおり、特に内大臣は昭和期に天皇の政治秘書として活動した。その他、皇室の事務については宮内大臣が輔弼した。なお、内大臣と宮内大臣は国務大臣ではなく内閣に関与しない。 天皇は帝国憲法に定める通り立憲主義を重んじ、国政に直接関与し、自身の意志のみによってこれを左右することを許さなかった。

帝国議会と枢密院

立法権は、天皇が帝国議会の協賛(同意)に基づいて行った(憲法第5条)。帝国議会は貴族院衆議院の二院制であり、貴族院は皇族華族と勅任議員(元官僚など)で組織され、衆議院は公選された議員から組織された(憲法第33条第34条第35条)。

帝国議会は法律の制定について協賛(同意)する権限を持った(憲法第37条)。国民の権利・義務に関わる事項は原則として法律によらなければ(すなわち帝国議会の同意がなければ)侵害されなかった(憲法第2章)。また、帝国議会は毎年の予算に対しても協賛権を持った(憲法第64条)。予算が不成立の場合は前年度の予算が施行されるが(憲法第71条)、前年度予算では行政が成り立たないため、帝国議会の予算審議が内閣の死命を制することとなり、これにより政党内閣への道が開かれた。ただし、他の立憲諸国と比較すれば、以下の点で議会の権限は弱かった。

  • 政府は法律の定めのない事項につき独立命令により法規を定める権限を有した(憲法第9条)。
  • 国際条約の締結に関して帝国議会の協賛は不要であった(憲法第12条)。
  • 教育関係の規定は、国民の権利義務に関わる事項であっても、法律ではなく勅令で定められる慣習があり、帝国議会の協賛は不要であった。
  • 皇室典範改正については帝国議会の協賛は不要であった(憲法第74条)。
  • 憲法改正については帝国議会に発案権がなかった(憲法第73条)。

もっとも、これらの事項に関しても政府が自由に裁量できるものではなく、帝国議会の代わりに枢密院の審議を経る必要があった。枢密院は天皇の諮詢(相談)を受けて重要な国務を審議する機関にすぎないが(憲法第56条)、これらの事項に関して事実上の拒否権を有した。枢密院は行政への関与を禁じられたが(枢密院官制第8条)、しばしば政府に干渉した。

裁判所

司法権は天皇の委任により裁判所が行った(憲法第57条)。民事刑事の裁判については、大審院を頂点とする通常裁判所が裁判したが(裁判所構成法)、欧州大陸型の司法制度に倣って、行政訴訟は特別の行政裁判所が扱った(憲法第61条行政裁判法)。

陸海軍

東郷平八郎

陸海軍の統帥(憲法第11条)は国務大臣の輔弼の外に置かれ、統帥部が担当した(統帥権の独立)。統帥部は陸軍参謀本部海軍軍令部が並立し、戦時に両者は形だけ統合して大本営が置かれた。統帥部は内閣を経ないで天皇に決定を求める帷幄上奏権という特権を有した。陸軍大臣と海軍大臣は、国務大臣であるとともに統帥機関としての地位も有し、やはり帷幄上奏権を行使したほか、帷幄上奏を通じて統帥に関する勅令の決定を求め、これに副署する権限を有した。この勅令は総理大臣の副署を要しなかったが、1907年の公式令制定によって全ての勅令に総理大臣の副署が必要になると、勅令とは別に「軍令」という法形式を新設し(明治40年軍令第1号)、陸海軍大臣のみが副署する権限を保った。

この統帥権の独立によって陸海軍に対するシビリアンコントロールが機能せず、その結果軍部の独走を助長し、国内の混乱及び諸外国との軍事的衝突をいたずらに広める結果となった[41]

外地統治

内地以外の国土を総称して外地あるいは植民地(殖民地)などという。外地には朝鮮総督府台湾総督府樺太庁関東庁南洋庁といった官庁が置かれ、統治が委任された。これら外地官庁の要職は内地人で占められていた。外地官庁が定める法令は、法律に相当する規定であっても帝国議会の協賛を要しなかった。外地にも日本内地に準じた地方自治制度が導入され、朝鮮人や台湾人[42]を含めた外地住民による地方議会議員の公選制が行われていた。

国際連盟常任理事国

大日本帝国は1920年1月10日に発足した国際連盟常任理事国であり、1933年3月27日(正式には1935年3月27日)に脱退するまで大きな役割を果たしてきた[43]

軍事史

ロシア内戦期の占領地

ロシア革命に反対して起こった内戦に日本も関与し、以下の地域を占領した。

北樺太
シベリア出兵時に発生した尼港事件を受け、1920年7月29日から1925年5月15日までの約5年間、日本のサガレン州派遣軍による保障占領下にあった。1925年(大正14年)1月20日の日ソ国交樹立に伴って撤退。
シベリア
シベリア出兵で占領し、傀儡政権樹立を画策するものの、国際的な批判を浴びて撤収。

第二次世界大戦での占領地

1870年から1942年までの軍事勢力版図(ロシア出兵、南洋諸島等を含まず 概観図) 勢力範囲は1938年時点で 1,984,000㎢[44]とする研究がある。

日中戦争中の1940年にフランス領インドシナに進軍し、1941年にはイギリスやオランダ、アメリカ合衆国に対して宣戦布告米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)を行い太平洋戦争が勃発。日本は東亜新秩序をもとに大東亜共栄圏の建設を目標に掲げ、これらの国や植民地へ本格的に進出し占領地を拡大した。

占領地での政権樹立

満洲事変日中戦争で進出した中国大陸や、大東亜戦争で米英仏蘭の植民地だった地域を次々占領すると、次々と独立政権を樹立した。しかし連合国の反撃や日本の敗戦により、独立宣言は無効とされた国が多い。

中国大陸

1940年より前の親日政府

フランス領インドシナ
アメリカ自治領フィリピン
イギリス領ビルマ
イギリス領インド

その他

脚注

注釈

  1. ^ 1789年(寛政元年)刊行のヨーロッパ地誌『泰西輿地図説』(朽木昌綱)で、オランダ語「Keizerdom」の訳語として「帝國」が初めて登場した[7]。1810年(文化7年)刊行の蘭和辞典『譯鍵』(藤林淳道)でも、「帝国」が訳語として採用された[7]

出典

  1. ^ 大日本帝国憲法は1890年明治23年)11月29日に施行され、第二次世界大戦敗戦後の1947年昭和22年)5月3日日本国憲法の施行に伴い失効するまで効力を有した
  2. ^ 大日本帝国憲法」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95 
  3. ^ 大日本帝国https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BDコトバンクより2024年7月6日閲覧 
  4. ^ 前野みち子 2006, p. 27-28.
  5. ^ 前野みち子 2006, p. 28-30.
  6. ^ 角川新字源改訂新版「帝」[3]
  7. ^ a b c 長沼美香子 2015, p. 40-42.
  8. ^ a b c 前野みち子 2006, p. 44.
  9. ^ 法令全書 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 水野筑後守永井岩之丞ゼームス、スチルリング (1854年10月14日). “日本國大不列顛國約定(日英和親条約)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2022年3月18日閲覧。
  11. ^ Sir James Stirling, Mezio-no Chekfu-no Kami, Nagai Evan Ocho (1854年10月14日). “Anglo-Japanese Friendship Treaty”. wikisource. 2022年3月18日閲覧。
  12. ^ 日本國大不列顛國約定(日英和親条約)”. データベース「世界と日本」. 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所 (1854年10月14日). 2022年3月18日閲覧。
  13. ^ 法令全書 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ 幕末将軍家の銀印見つかる 国家元首の意思示す”. 日本経済新聞 (2019年12月12日). 2018年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月20日閲覧。
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  17. ^ 近代デジタルライブラリー - 万延元年遣米使節図録(田中一貞 編、1920年)[4]
  18. ^ 前野みち子 2006, p. 52.
  19. ^ 条約締結ノ手続、形式及其他ノ先例雑件 16.条約ニ於ケル本邦ノ国号ニ関スル件 - 外務省 アジア歴史史料センター
  20. ^ 国立公文書館アジア歴史資料センター「在本邦和蘭公使・領事来翰 自明治元年/(1)和蘭公使館来翰 和文」アーカイブされたコピー”. 2014年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月29日閲覧。[5]
  21. ^ 同憲法第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」
  22. ^ 枢密院会議筆記明治21年(1888年)6月18日午後。
  23. ^ 「主義」の流布と中国的受容― 社会主義・共産主義・帝国主義を中心に - 陳力衛 『成城大學經濟研究』 (199), 31-58, 2013-01, NAID 110009577486
  24. ^ 『日本書紀』欽明天皇
  25. ^ 「帝国」言説と幕末日本 ―蘭学・儒学・水戸学そして幕末尊攘論― - 桐原健真
  26. ^ 外務省条約局作成(昭和11年5月)「我国国号問題二関スル資料」(外務省記録「条約ノ調印、批准、実施其他ノ先例雑件」所収)。外務省外交史料Q&A[6]「戦前の日本では、国号の英語標記を "Japan" から "Nippon" に変更しようとする動きがあったそうですが、このことに関する史料はありますか。」
  27. ^ 昭和21年7月23日提出『衆議院議員田中伊三次外一名提出憲法改正案に関する質問主意書に対する答弁書』。
  28. ^ 大辞林大日本帝国
  29. ^ 旧都については旧皇室典範(昭和22年5月2日廃止)第11条では「卽位ノ禮及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と規定され典憲の上で配慮されていた。この点について、伊藤博文「皇室典範義解」は「維新の後明治元年8月27日即位の礼を挙行せられ臣民再ひ祖宗の遺典を仰望することを得たり13年車駕京都に駐まる旧都の荒廃を嘆惜したまひ後の大礼を行ふ者は宜く此の地に於てすへしとの旨あり勅して宮闕を修理せしめたまへり本条に京都に於て即位の礼及大嘗祭を行ふことを定むるは大礼を重んし遺訓を恪み又本を忘れさるの意を明にするなり」と説明している。枢密院議長伊藤伯著「帝国憲法皇室典範義解」(国家学会刊行 明治22.6.1)P.157-158
  30. ^ 石村修、「憲法における領土」法制理論 39 pp.158-185, 2007-03. 新潟大学法学会 hdl:10191/6089, ISSN 0286-1577
  31. ^ 「植民地法制の形成-序説-」石村修(専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム)[7]
  32. ^ 1924年に台湾で使用された地理教科書によれば「我が大日本帝国はアジア州の東部に位して、太平洋中に長くつづいている大小数千の島々と、朝鮮半島から成り立っています。島の主なものは本州、四国、九州、台湾、北海道本道、樺太です。全国の面積は4万三千余方里で凡そその三分の一は本州、三分の一は朝鮮、残り三分の一はその他の地方です」。韓炫精、「教科書における帝国の風景」『研究室紀要』2014年7月 40巻 p.203-217, ISSN 0285-7766, 東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室、脚注12・1方里≒15.423平方キロメートル。
  33. ^ 『海外各地在留本邦人人口表. 昭和6年10月1日現在』(者:外務省通商局第三課 [編]。出版者:外務省通商局)の『例言』(昭和7年12月に通商局第三課が記したもの)に「2. 本表ニハ海外在留本邦内地人ノ「国別人口」、「在外公館別男女人口」、「職業別人口」及「明治三十七年乃至昭和六年ニ於ケル比較数」ヲ集録シタリ 朝鮮人及台湾人ニ付テハ其ノ多数カ在外公館ニ対シ正規ノ登録ヲ為ササル為在留者ニ対スル正確ナル計数ヲ得難ク仍而本表ニハ現ニ登録済ミノ者の数ヲ掲ケタリ」と書かれている。『海外各地在留本邦人人口表. 昭和13年10月1日現在』(著者:外務省調査部第二課 [編]。出版者:外務省調査部)の『例言』(昭和14年10月に外務省調査部第二課が記したもの)にも「三、朝鮮人及台湾人ハ其ノ多数カ在外帝国公館ニ対シ正規ノ登録ヲ為ササル為メ在留者ニ対スル適確ナル計数ヲ得難ク本調書ニハ現ニ登録済ミノ者人口ノミ掲記セリ」と書かれている。
  34. ^ ただし満洲国には国籍法が存在しなかったため、法的な「満洲国民」は存在しなかった。満洲国#国籍法の不存在を参照のこと。
  35. ^ この概念の先駆は辻清明である。第一論文「統治構造における割拠性の基因」の初出は『国家学会雑誌』58巻1号(昭和19年)、「新版・日本官僚制度の研究」1969年序ⅲ~ⅳページ。
  36. ^ 西本筆、「文部行政の歴史的研究序説」『北海道大学教育学部紀要』1990年2月 54巻 p.97-111(P.98), 北海道大學教育學部。
  37. ^ 辻の階統制と割拠性についての解説としては 小西徳慶、「日本におけるセクショナリズムと稟議制の源流-「日本社会」論を前提として-」『政經論叢』 2011年3月 79巻 3-4号 p.115-160 NAID 120005258999, 明治大学政治経済研究所。
  38. ^ 政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会(第五回)八木秀次参考人[8][9]
  39. ^ 大河内繁男、「統合調整機能の強化:総合管理庁講想と総務庁」『上智法學論集』 1985年 28巻 1-3号 p.133-154, NCID AN00115768, 上智大學法學會
  40. ^ 第二次近衛内閣は松岡外相を罷免できないため総辞職したと注目されるが、直ちに第三次内閣を組織しており、事実上の内閣改造を行うことが出来、法制上で瓦解する義務があったわけではない。佐々木雄一「明治憲法体制における首相と内閣の再検討」(年報政治学、70巻、2019)[10][11]P.257
  41. ^ 中曽根康弘、石原慎太郎共著『永遠なれ日本』(PHP研究所 2001年)p.115
  42. ^ 戦間期台湾地方選挙に関する考察 台湾研究フォーラム
  43. ^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,旺文社世界史事典 三訂版,旺文社日本史事典 三訂版,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “国際連盟とは”. コトバンク. 2021年12月30日閲覧。
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参考文献

関連項目



日本帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:13 UTC 版)

紺碧の艦隊」の記事における「日本帝国」の解説

大高弥三郎 声 - 藤本譲 陸軍中将前世日本からの生まれ変わり一人であり、陸軍内から同じ志を持つ精鋭集めて青風会」を結成する高野五十六率い紺碧会と共にクーデター起こし新政府樹立内閣総理大臣となる。陸軍軍人ありながら海軍力重視するという、当時陸軍ではきわめて珍しい人間である。恒久平和目指すため、あえて戦争へ踏み切った。勝つ戦より負ける戦、つまりはより良き負け目標掲げている。趣味は碁で、腕前プロ並の実力を持つ。照和16年クーデター直後組閣の大命下ったことから、皇族何らかの交流有していることが暗示されコミック版では明確に描写されている。 前世でも陸軍軍人であり、昭和20年末に病没している。 漫画版アニメ版では容姿がかなり異なり前者短髪後者白髪老紳士となっている。後者首相就任後蝶ネクタイ付けるのが常となる。 高野五十六 声 - 屋良有作 海軍中将海軍大将連合艦隊司令長官軍令部総長クーデター後就任)。前世では山本家養子縁組して山本五十六となったが、後世では高野姓のまま。また、コミック版OVA版では前世日本海海戦時に失われた指が暴漢発砲によりなくなっているが、原作ではなくなることがない軍国主義に走る日本将来危惧するとともに海軍から同じ志を持つ者を集めて精鋭集団紺碧会」を結成し大高弥三郎率い青風会一緒にクーデター起こす海軍の軍人として初め航空機による戦闘重要性いち早く気付いた人物である。「紺碧艦隊」及び「旭日艦隊」の生みの親西郷南州 声 - 塩屋浩三 副総理大高率い清貧党と連立を組む太陽党総裁。後に大高の後を受け総理大臣に就任する鹿児島県出身で、薩摩弁を喋る。 文庫版では、名前が西郷南周となっている。 木戸孝義 声 - 飛田展男 外相大高とは若き日からの付き合いであり、結成時からの青風会メンバー。 名前のモデル木戸孝允九重 声 - 菅原淳一 元首相公爵OVA版では貴族院の重鎮として、東方エルサレム共和国建国に関して亡命ユダヤ人代表ラビ(声 - 丸山詠二)との交渉役を担う。 前世における近衛文麿前原一征 声 - 田中秀幸 海軍少将表向き照和16年12月ハワイ奇襲攻撃において戦死したとされ、日本海軍が誇る秘匿潜水艦隊紺碧艦隊」の艦隊司令長官として活躍している。前世日本からの転生者一人で、紺碧会メンバー彼の生存軍事機密とされ、大高高野初めとする軍上層部政府幹部東野源一郎らしか知らない陸上において情報収集基地視察などには従軍画家富嶽太郎画伯変装し行動する実際、絵の腕前本物画家にも引けを取らない実力を持つ。原作では超能力持ち海上にいる敵を察知した出来るが、OVA版ではその描写はほぼ皆無である。また漫画版では妻の存在描かれているがOVA版では触れられておらず、第三話帝都初空襲」で一般市民家族の姿を見て物思いに耽るなどの描写に留まっている。 名前のモデル前原一誠。 なお田中は前原登場しない『旭日の艦隊』OVAではナレーション担当している。 入江九市 声 - 飛田展男 海軍大佐紺碧艦隊旗艦601富嶽号艦長。後に亀天号・須佐之男号に転属する。実質的な副司令官。前世日本からの転生者一人で、紺碧会メンバー。 名前のモデル入江九一蔵田育之進 声 - 新田三士郎千葉一伸 海軍大佐富嶽号・亀天号・須佐之男号の航海長つとめており副司令官と同等の地位人物前世では商船乗っていて機雷により死亡した品川弥治郎(矢冶郎とも記されることもある) 声 - 大滝進矢佐藤正治 海軍中佐。イ601富嶽号先任士官入江同じく亀天号・須佐之男号に転属することになる。一時新日本武尊乗艦していたこともあった。 名前のモデル品川弥二郎寺島三郎 声 - 掛川裕彦相沢正輝601富嶽号水雷長。大尉。 名前のモデル寺島忠三郎大竹馬太郎 声 - 森川智之中博史 航空特務大尉。イ601富嶽号搭載双発水上攻撃機雷洋1番機パイロット紺碧艦隊飛行長。 山根周介 海軍二等兵曹。伊601聴音手。元は横須賀海兵団海軍軍楽隊所属していたが、音楽をやる者は耳がいいのではないか思った前原引き抜いて訓練した楢木滋之 海軍大佐伊502潜快竜号艦長で後に富嶽号艦長になる。 尾崎克彦 海軍中佐伊503潜爽海号艦長で後に亀天号艦長になる。 伊藤正典 海軍中佐。伊501潜水神号艦長で後に須佐之男号に転属する。 山崎正登901艦長斎藤一 海軍少佐伊168艦長前原士官学校時代後輩高杉英作 声 - 銀河万丈 海軍中将航空機動艦隊司令長官前世日本からの転生者一人で、紺碧会メンバー前世ミッドウェー海戦では赤城乗っていた。 名前のモデル高杉晋作九鬼常 声 - 宝亀克寿中嶋聡彦 海軍中将特務海兵師団司令官前原士官学校時代友人前世日本からの転生者一人で、紺碧会メンバー川崎弘 声 - 吉川虎範江川央生 紅玉艦隊司令長官前世日本からの転生者一人で、紺碧会メンバー戦時特例元帥昇格した戦闘負傷した際、入院先のコーチン病院担当になった看護婦を見染め結婚したが、OVA版では触れられていない坂元良馬初期は「坂本龍馬」と表記されている) 声 - 掛川裕彦相沢正輝 主力艦隊司令長官海軍中将海軍主力艦隊の指揮執り高杉艦隊後詰本土防衛担当する。 名前のモデル坂本龍馬東郷兵八郎 声 - 郷里大輔 海軍少将対潜航空護衛艦隊司令長官前世日本からの転生者一人で、紺碧会メンバー朝日島設営輸送艦隊を護衛し、独潜水艦隊撃滅した。 松島九平 声 - 野島昭生 海軍大佐朝日島設営輸送部隊隊長桜木大佐とは士官学校以来親友である。 名前のモデル『海底軍艦』登場人物桜木重雄 声 - 相沢正輝 海軍大佐紺碧艦隊印度洋作戦展開のため、急遽設営された前線基地朝日島第二紺碧島)の基地司令官を務める。 名前のモデル『海底軍艦』登場人物臼井男 声 - 松本保典 海軍大佐土浦水爆飛行団司令。超大艇「富士」3機を率い、独原爆工場破壊した日向昭了 声 - 中博史 海軍少佐海軍中佐高野五十六副官前世日本からの転生者一人紺碧会メンバー。 厳田新吾 声 - 新田三士郎 海軍中佐空軍中将海軍所属だったが、後に空軍大臣戦略空軍司令長官となる。紺碧会メンバー前世における源田実黒羽飛出雄 空軍中将空軍参謀長蒙古決戦参戦する虎五郎 声 - 長嶝高士 陸軍元帥陸軍参謀総長青風会メンバー。 名前のモデル桂小五郎貝賀友信 陸軍中将陸軍大将陸軍参謀次長だったが、蒙古決戦直前参謀総長昇格する熊谷直 声 - 水鳥鐵夫 陸軍少将戦時特例元帥昇格するインド方面軍司令官として陸軍機甲師団夜豹師団」を率いる。前世日本からの転生者一人青風会メンバー瀬戸基 声 - 細井治 陸軍少将熊谷の下で戦車連隊指揮する第三次大戦では中将に昇進機甲師団率いてアフリカ欧州転戦した。 伊唐秋彦 声 - 千葉一伸 陸軍大佐熊谷付の参謀長第三次大戦では瀬戸機甲師団参謀長務めた井上門多 声 - 相沢正輝 海軍大佐高杉艦隊参謀長。 名前のモデル井上馨二本柳勝利 声 - 宮田浩徳 紅玉艦隊航空参謀川崎長官から前原一征素性ある程度知らされ紺碧艦隊共同印度洋Uボート狩りを行う。 高田暁郎 声 - 千葉一伸 航空兵軍曹北海道本別飛行隊所属桜花隊長ヨルムンガンド迎撃指揮執る本郷義昭 声 - 古澤徹松本保典 陸軍少佐諜報機関東機関指揮官青風会メンバーナチス・ドイツ潜入しヒトラーの重要機密文書盗み出す等、世界を股にかけて活躍している。 名前のモデルは、山中峯太郎小説亜細亜の曙』に登場する同名諜報員中岡新太郎 声 - 二又一成 表向き上海貿易商だが、正体日本諜報員紺碧会メンバー前原ボースの許に案内する。 名前のモデル中岡慎太郎川洲芳子 声 - 折笠愛 表向き満州国で活躍する女優だが、正体日本諜報員大高首相の命で戦略会議出席するため大陸渡った前原護衛した得物モーゼルC96前世における川島芳子伊藤俊助 声 - 梁田清之 東洋聯合通信の上支局長だが、正体「海の目」諜報員前原の命を狙うが、川洲射殺される。 名前のモデル伊藤博文東野源一郎 声 - 菅原淳一 後世日本技術面支援する泰山航空工業株式会社社長前世日本からの転生者一人山内太介 声 - 鈴木勝美 泰山航空工業技術者熱源誘導式のTY航空爆弾発明者臼井丈男に協力し独逸原爆工場爆撃のための天極作戦貢献するOVA版では、名前が山内大介となっている。 昔原侃時 声 - 西村知道 陸軍予備役中将東洋戦略研究所所長大高師匠であり、重要なブレーン通称奇想将軍」。 前世における石原莞爾室生直毅 声 - 鈴木勝美 大高経済面でのブレーン堅苦しい生活を嫌い、下町長屋一人暮らしをしている。後に『新・旭日』で前世江戸時代から転生してきた杉田玄白門人であったことが明らかになった。 佐久間祥山 帝大総長大高見識見込まれ賢議院議長就任する尾崎英雄 声 - 千葉一伸 東京日売新聞記者。「弦月作戦」に先立ち大高首相の命を受け、雷洋からワシントン降下以後連邦刑務所4年収監されたが、日米和睦直前トルーマン親書携え帰国した前原紫都 前原の妻。高野五十六計らいで、照和20年満州国ハルピン開かれた統合戦略会議宿舎にて、公式には戦死とされていた前原一征再会を果たす。後に紺碧島に移住するOVA版では登場しない前原千鶴 コミック版終盤から活躍する前原娘。前世では宇宙飛行士だったが軍産複合体陰謀によって乗っていた宇宙船破壊され転生した。『新・紺碧』ではメインキャラクター一人である。 尾方某 声 - 新田三士郎旭日新聞記者九重ブレーンだが、正体コミンテルン諜報員大高はそれを見抜き逆に利用して米ソに「日本原爆開発」という欺瞞情報流した前世における尾崎秀実OVA版では、名前が尾方四郎となっている。 南条英機 声 - 塩屋浩三CDドラマ版陸軍大将開戦直前首相となったが、開戦決定御前会議直後12月1日青風会紺碧会合同クーデターで失脚CDドラマ版『デジタルストーリー紺碧の艦隊第一部運命開戦前夜」ではクーデター成功後収監され獄中より大高非を鳴らすが、米国策謀乗せられたことを指摘され完全に論破される会話がある。 前世における東条英機。 綾 声 - 椎名へきる CDドラマ運命開戦前夜」に登場するオリジナルキャラクター紺碧艦隊発足準備のため、富嶽太郎として行動していた前原下宿先娘。富嶽太郎好意持ち、彼も開戦前ひととき安らぎを過ごすが、正体見抜き出征直前別れの際に軍神八幡神お守りを渡す。その後も、戦局報道すら極力抑えられ戦時後世日本で、前原最前線兵士たち案じる庶民ひとりとしてドラマ登場する旭日艦隊関係者旭日の艦隊参照

※この「日本帝国」の解説は、「紺碧の艦隊」の解説の一部です。
「日本帝国」を含む「紺碧の艦隊」の記事については、「紺碧の艦隊」の概要を参照ください。

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