海軍の軍人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 09:03 UTC 版)
「オスカー・クッシュ」の記事における「海軍の軍人として」の解説
オスカー・クッシュは1937年4月3日、「1937年A期」の海軍士官志願者(de:Crew 1937 A)としてドイツ海軍に入隊した。水兵になるというクッシュの願いには、多くの理由があり得る。1949年、母親は証言している。 「彼は特に海軍関係の本を熱心に読み、早くから代将になりたいという願いを口にしていた。(中略)私の息子自身がUボートの艦長になった時、彼はそれをとても誇りに思っていた。」 海軍への情熱、冒険心と青少年同盟で身に付けたリーダーシップは、何らかの役割を果たしたものと見られる。 しかし決定的だったのは、恐らく政治的、そしてイデオロギー的な考慮であった。なぜなら、国防法の第26条には 「軍人は政治的な活動に従事してはいけない。NSDAPあるいはその構成組織、もしくはこれと結託している団体への所属関係は、現役期間中は休止するものとする。」 とあり、これはクッシュにとって非常に重要であり得たからである。ドイツ国防軍、中でも海軍は、NSDAPの手から逃れられる場と考えられていた。なぜなら、国防軍の指導層はその自主性に非常に執心していたからである。 さらに、民間での就職は難しいと思われた。そのためには、しばしばNSDAPの傘下組織への所属が必要であり、クッシュにとってイデオロギー的に受け入れられなかったのである。加えて彼はドイツ青少年同盟で非合法的に活動していた経緯から、就職には困難が伴うことも考慮に入れなければいけなかった。 こうしてクッシュは様々な練習艦で訓練を受けた後、海軍准尉 (de:Fähnrich zur See) の教程に参加し、1939年4月3日から1940年3月31日まで軽巡洋艦「エムデン」に配属されることになった。そしてUボート部隊における哨戒士官 (de:Wachoffizier) としての訓練が1940年4月1日から9月27日まで続いた後、彼は1941年6月25日に次席哨戒士官(Zweiter Wachoffizier)として初めて「U 103 (U 103) 」に着任する。 オスカー・クッシュは功績を報われ、1941年9月1日に中尉に昇進すると、同年11月10日には第2級鉄十字章を授かり、「U 103」が哨戒から帰還した1942年6月5日、第1級鉄十字章を受章した。同年8月、艦長としての教程を修了すると今度は先任哨戒士官(Erster Wachoffizier)として「U 103」に勤務する。艦がロリアンに戻ると、クッシュは1943年2月8日に「U 154 (U-154) 」の指揮を託された。
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