海軍の戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 06:19 UTC 版)
海軍がその軍艦や砲の開発が進んで軍事力としての価値が高まり、また貿易の増加や植民地化が進行するにつれて海軍の戦略についての研究が近代以降進められるようになってきた。 海軍の戦略を始めて本格的に論じたのは18世紀のロシア海軍のフョードル・ウシャコフである。ウシャコフは戦略と海戦の戦術を明確に区分しないままに論じた。19世紀後半にはイギリスのコロム中将によってそれらが整えられ、制海権の概念が提唱された。 さらにマハンの『海上権力史論』によってシーパワーの概念が提唱され、海洋に関わる戦略理論の基盤を構築した。それにおいては、艦隊、根拠地、シーレーンなどの戦略的要素から構成されるシーパワーは、制海権の維持と海洋権益の活用をもたらす、とする。 マハンのような攻勢的な海軍戦略に対して、全く異なる戦略が1880年ごろから青年学派から提唱された。イギリス海軍のような戦艦を中心とした大規模な艦隊に対して真っ向から対決することの財務的なコストに注目し、潜水艦や機雷や巡洋艦を中心とした海軍を編成することの効率性を根拠に守勢的な海軍戦略を主張した。
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