海軍の船団護衛参加と駆逐艦の輸出とは? わかりやすく解説

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海軍の船団護衛参加と駆逐艦の輸出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:39 UTC 版)

第一次世界大戦下の日本」の記事における「海軍の船団護衛参加と駆逐艦の輸出」の解説

さらにイギリス要請受けて日本海軍インド洋方面でもドイツ東洋艦隊の「エムデン対策のため、巡洋戦艦伊吹」を船団護衛協力させた。 1914年9月グレイ外相から、物資をすべてイギリス負担する条件巡洋戦艦部隊地中海、さらに他の海域にも派遣するよう要請があった。加藤外相は、日本海軍外征を行う準備がなく国民感情的にも難しいと拒否した10月にはバルト海への派遣が、11月には駐日大使から「戦後発言権強化のため」にとダーダネルス海峡封鎖作戦への参加要請されたが、日本はこれらを拒否した日本政府による頑なな拒否背景には、参戦時にイギリス政府戦域制限設けようとしたことに対す反感もあった。 その後1917年ドイツ海軍による通商破壊活発化すると、イギリスを含む連合国から日本に対して護衛作戦参加するよう再三要請が行われた。1917年1月から3月にかけて日本イギリスフランスロシア政府は、日本ヨーロッパ戦線参戦することを条件に、山東半島および赤道以北ドイツ南洋諸島におけるドイツ権益日本引き継ぐことを承認する秘密条約結んだ。これを受けて大日本帝国海軍は、インド洋第一特務艦隊派遣しイギリスフランスアジアにおける植民地からヨーロッパへ向かう輸送船団護衛受け持ったまた、1917年2月に、巡洋艦明石」及び樺型駆逐艦計8隻からなる第二特務艦隊インド洋経由地中海派遣した。さらに桃型駆逐艦などを増派艦隊合計18となった第二特務艦隊は、派遣した船舶数こそ他の連合国諸国比べて小規模であったものの、他の国比べて高い稼働率見せて1917年後半から開始したアレクサンドリアからマルセイユ艦船により兵員輸送する「大輸送作戦」の護衛任務成功させ、連合国軍兵員70万人輸送するとともにドイツ海軍Uボート攻撃受けた連合国艦船から7000人以上を救出し 連合国側西部戦線での劣勢覆すことに大きく貢献し連合国諸国から高い評価受けた一方合計35回のUボートとの戦闘発生し多く犠牲者出したそのような中で駆逐艦」はオーストリア=ハンガリー帝国海軍潜水艦「U27」からの攻撃を受け大破し59名が戦死した。「」の修理には8か月要した。他の戦闘あわせて地中海において日本軍将兵78名が戦死しており、戦後マルタ島イギリス海軍墓地一隅墓碑建立されている。 Uボートによる無制限潜水艦作戦により、連合国側輸送船大きな被害受けていたインド洋地中海で連合国側商船787隻、計350回の護衛救助活動行い司令官以下27人はイギリス国王ジョージ5世から勲章受けた。 また欧州戦場から遠く造船能力余裕があったことから、1917年にはフランス発注した樺型駆逐艦12隻を急速建造し輸出している(アラブ級駆逐艦)。

※この「海軍の船団護衛参加と駆逐艦の輸出」の解説は、「第一次世界大戦下の日本」の解説の一部です。
「海軍の船団護衛参加と駆逐艦の輸出」を含む「第一次世界大戦下の日本」の記事については、「第一次世界大戦下の日本」の概要を参照ください。

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