海軍の水先案内人になる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:39 UTC 版)
1914年7月、第一次世界大戦が始まり、8月23日に日本は参戦する。参戦翌日には日本海軍はドイツ領であった南洋諸島占領のための派兵を決定する。海軍は水谷を第二南遣支隊の水先案内人として起用し、10月1日に佐世保を出港する。更に南洋諸島の占領後は、短期間ではあるがパラオ民生区民生部長に任命された。 水谷の起用は長い南洋での経験を買ってのものだったと考えられる。1916年、水谷は海軍の水先案内人を務めた功績により、「海外嘱託員行賞」として100円を政府から下賜された。
※この「海軍の水先案内人になる」の解説は、「水谷新六」の解説の一部です。
「海軍の水先案内人になる」を含む「水谷新六」の記事については、「水谷新六」の概要を参照ください。
- 海軍の水先案内人になるのページへのリンク