戦争術の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:19 UTC 版)
軍事問題についての研究は戦争に勝利するための方法を探究する研究として出発した。戦史の研究から戦争において勝利するための技術、戦争術 (Art of war)が認識されるようになっていた。紀元前5世紀におけるヘロドトスが『歴史』の中で叙述したペルシア戦争ではペルシア軍が直面した兵站の問題やギリシア遠征における陸軍と海軍の戦略、戦術の問題が取り上げられている。またトゥキディデスの『戦史』でもペロポネソス戦争の原因についての考察、また海洋国家であるアテナイと大陸国家であるスパルタの軍事力の運用が分析的な観点から叙述されている。また古代中国の兵家であった孫武は自著『孫子』を記して戦争を指導するための原理や方法について体系的に論じている。これらは最も古い軍事学の研究でありながらも、その古典的な価値が現代にも認められた著作である。 戦争術として成立したことによって戦場でも単調な正面攻撃だけでなく戦術的な包囲や突撃などの運用について新しい可能性がもたらされた。アレクサンドロス2世やハンニバルは優れた軍事戦略、戦術を駆使することができる戦争術の実践者であった。その過程でマケドニアのファランクス、ローマのレギオンなどの戦闘陣形が研究開発されてきた。4世紀に古代ローマの軍事著述家ヴェゲティウスは古代ローマ軍のレギオンの組織とその運用についての著述や史料を編纂した『古代ローマ人の軍制』を作成した。ヴェゲティウスは実際に戦略家や戦術家としての実績を持つわけではないが、ローマの衰退期において軍制改革のために軍事史の研究を残し、中世以後のヨーロッパの軍事思想にも影響を与えた。また中国の軍事学の研究として『呉子』や『六韜』を含む武経七書が成立し、またインドでも宰相カウティリヤによって帝王学の一環として『実利論』が執筆されている。
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