戦争術の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:19 UTC 版)
古代と比べれば中世における軍事学の研究は理論的な考察よりも、従来からある歩兵と騎兵の戦闘技術の向上とそれらを運用するための軍事教義の開発と実践へと向けられている。東ローマ帝国ではその地政学的な環境などが誘因となって、ローマの軍事学の伝統を継承されている。マウリキウスは将軍であった578年に軍規や訓練の重要性、宿営地の構築方法などについて述べられた実践的な教範である『戦略 (Strategicon)』を執筆している。またレオーン6世は900年ごろに、国家の重大事は農民を守護する軍隊と、軍隊を養う農民であると述べ、具体的に戦闘隊形や編制、騎兵戦術などのイスラム教徒との戦い方をまとめた『戦術 (Tactica)』を記した。マウリキウスとレオーン6世は「戦略」の遠祖であり、戦略という用語が西欧で用いられるようになったのは18世紀に両者の著書が翻訳されたことによっている。
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