日本市場導入までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:56 UTC 版)
「いすゞ・ウィザード」の記事における「日本市場導入までの経緯」の解説
1995年(平成7年)当時、いすゞはピックアップトラックの「TF」を5ドアのSUVとした「ロデオ」をすでにラインナップに持っており、主な市場であるアメリカの「SIA」で生産していた。一方、いすゞは同社を代表するSUVである「ビッグホーン」があり、自社競合を避けるため、ユーティリティーの面では一歩譲る「ロデオ」の日本国内販売は予定されていなかった。しかし1990年代の国内のクロスカントリー車市場の急成長に伴い、いすゞでも新たなSUVを国内に投入し、低迷していた乗用車販売の一助とする機運が高まった。 ミュー・ウィザードの開発に当り、他社のクロスカントリー型SUVの多くが5ドア・ロングボディの投入で人気となっており、国内市場では「5ドア・ディーゼル・AT」が売れ筋の「三種の神器」とされていた。そこで、「ビッグホーン」とは別の5ドアの国内向け「新SUV」として、北米「ロデオ」の日本国内向けが企画されたが、ロデオの登場から約4年ものタイムラグがあったため、迅速な市場投入が求められた。そこで当時社長直属のプロジェクトとして立ち上げられた「ZIPカープロジェクト」により、各セクションから専任スタッフを集め少数精鋭の開発体制が組まれた。 当初は北米のロデオを右ハンドル化して輸入することで、新車種の追加と、帰りの車運船の積載効率の向上の両方が果たせると考えられていた。しかし国内市場への導入に当り、当時主流であったディーゼルエンジンの搭載や、国内ライバル車との対抗上、乗り心地を考慮したサスペンション形式の変更(リーフリジッドから4リンクリジッド + コイルスプリングへと刷新。)などから、UBSビッグホーンとの部品の共有化を考え、藤沢工場での生産になった。 同時期にエルフUTの企画が同じZIPカープロジェクトで立ち上げられた他、1997年(平成9年)に発表されたスペシャリティSUV、ビークロスも同プロジェクトから量産化されている。
※この「日本市場導入までの経緯」の解説は、「いすゞ・ウィザード」の解説の一部です。
「日本市場導入までの経緯」を含む「いすゞ・ウィザード」の記事については、「いすゞ・ウィザード」の概要を参照ください。
- 日本市場導入までの経緯のページへのリンク