清朝統治時代の台湾
清朝統治時代の台湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 06:48 UTC 版)
1850年代に、米国外交官2名が「清から台湾島を獲得すべし」とワシントンの米国政府に進言するも、却下された。この進言の背景は、散発する台湾先住民による来航西洋人に対する襲撃・殺戮と、その対処にあった。。1867年には、ローバー号事件(英語版)が発生し、座礁した船を放棄し漂流・漂着した米国人船員の全員が台湾先住民により襲撃・皆殺しにされた。この事件を機に、台湾先住民問題の解決のために米国海軍は台湾派兵を行うも、熱帯の気候・深い森林・先住民の抵抗に阻まれ、1名戦死のうえ撤退し、派兵は失敗に終わった。この当時は台湾対岸の在廈門米国領事館が台湾を担当していた。1874年には旗後(現在の高雄)に副領事を常駐させ、また淡水においては英国副領事が米国副領事を兼務することになった。
※この「清朝統治時代の台湾」の解説は、「米台関係」の解説の一部です。
「清朝統治時代の台湾」を含む「米台関係」の記事については、「米台関係」の概要を参照ください。
- 清朝統治時代の台湾のページへのリンク