大甲中軍守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/10 02:10 UTC 版)
大甲中軍守備(だいこうちゅうぐんしゅび)は、清朝が台湾に施行した営制であり、大甲守備とも称す。1733年(雍正11年)台湾鎮総兵が台湾府に駐留し、その下部に中、左、右の三営が設置され、,遊撃各1名、中軍守備各1名、千総合5名、把総9名が設置され、台湾を南、北、中の三路に分け防衛に当たらせた。
大甲は当時台湾北路右営に属し、その右営主官である右営遊撃は淡水庁(現在の新竹市)に駐留していた。
1806年(嘉慶11年)、竹塹営守備が設置され、1830年(道光10年)に大甲城業が完成すると、右営は大甲へと移転し大甲中軍守備と改称された。初代守備は陳福龍であり、その下に千総1名、把総1名、外委1名、兵200名を配置していた。
歴代守備
- 陳福龍
- 関桂
- 張朝森
- 岑廷高
- 何必捷
- 湯得陞
- 劉紹春
- 曾廷亮
- 鄒若陞
- 陳連春
- 洪金元
- 倪捷陞
- 陳連春
- 詹国泰
- 楊建中
- 陳連春
- 戴捷春
- 洪金元
- 曽捷步
- 陳兆麟
- 龔朝俊
- 郭得高
- 龔朝俊
- 郭得高
- 余大勲
- 李忠元
- 龔朝俊
- 林謙
- 葉定国
- 林字貴
- 馬嵩魁
- 張得陞
- 馮慶章
- 謝栄彰
- 林金安
- 陳冠品
- 范金声
- 藍季馨
- 林上高
- 藍季馨
- 呉瑞瓊
- 湯昭明
- 区則超
- 鍾水清
- 馮瑞鳳
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