大田黒重五郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 経営者 > 日本の実業家 > 大田黒重五郎の意味・解説 

大田黒重五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 13:47 UTC 版)

大田黒重五郎

大田黒 重五郎(おおたぐろ じゅうごろう、慶応2年6月15日1866年7月26日[1] - 昭和19年(1944年7月28日)は江戸出身の実業家

当時経営が悪化していた芝浦製作所(現東芝)を再建し[2]、同社専務等を務めた後に、各地で水力電気会社を設立した。

また、二葉亭四迷とは、東京外国語学校および東京商業学校(現一橋大学)での親友であり、四迷は大田黒をモデルに小説『浮雲』を執筆した[3]

人物

徳川幕府御家人である小牧辰蔵の四男として江戸小石川(後の東京府東京市小石川区、現・東京都文京区)に生まれ、幕府の没落により3歳のとき一家で静岡へ移住し富士の裾野に帰農。没落士族の辛酸を嘗める。

沼津旧制中学校を卒業後、上京して大学予備門(現東京大学)を受験したが失敗して東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科に入学、二葉亭四迷と親交を結ぶ。やがて東京外国語学校が東京商業学校と合併し消滅したため、東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業。大田黒惟信の養子となる。

1894年三井物産に入社。1899年から芝浦製作所の再建に努力。1904年、芝浦製作所専務取締役となる。

1906年、箱根水力電気(後の横浜共同電灯)を創設。以後、九州水力電気や四国水力電気など各地で水力電気会社を設立。九州電気軌道社長等も歴任。

1936年、口述による自伝『思ひ出を語る』(河野磐城編、大田黒重五郎翁逸話刊行会)を上梓。

親族

長男の大田黒元雄音楽評論家

参考文献

  • 『日本の実業家―近代日本を創った経済人伝記目録』(日外アソシエーツ、2003年)
  • 大野虎雄『沼津兵学校附属小学校』        (安川書店、1983年)

脚注

  1. ^ 大野 172頁
  2. ^ 西村成弘「外国技術の導入と特許部門の役割:芝浦製作所における特許部門の設立と展開」『国民経済雑誌』(神戸大学)186(4)、2002年10月。
  3. ^ 中村光夫「知識階級」日本ペンクラブ電子文藝館編輯室、2001年)
先代
松本枩蔵
九州電気軌道西日本鉄道)社長
第3代:1930年 - 1935年
次代
村上巧児
先代
麻生太吉
九州水力電気九州電力)社長
第6代:1933年 - 1935年
次代
松本健次郎



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大田黒重五郎」の関連用語

大田黒重五郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大田黒重五郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大田黒重五郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS