神都電気興業の推移
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1931年(昭和6年)1月10日、九州水力電気宮崎営業所区域の電気事業を引き継いで神都電気興業株式会社が宮崎市に設立された。資本金は1,000万円(払込資本金700万円)。社長は九州水力電気社長の兼任であり、発足時は麻生太吉、1934年(昭和9年)1月からは大田黒重五郎、1936年(昭和11年)7月からは松本健次郎がそれぞれ務めた。この間、増資や払込金徴収は一切実施されていない。 神都電気興業に移された宮崎県での事業は、電灯・電力供給のいずれも需要の増加は遅く、したがって収入も停滞的であった。その中でも力が入れられたのが農村・家庭の電化による小口電力需要の開拓で、金額では少ないものの電灯料収入の増加率よりも電力料収入の増加率の方が大きくなった。ただし収入増の一方で支出も増加しており、利益金は漸次減少し、配当率は当初の年率8パーセントから1938年(昭和13年)には5パーセントへ減少してしまった。供給成績は1938年10月末時点で電灯数13万6,868灯、小口電力5,025馬力(約3,696キロワット)、大口電力742キロワット、電熱402キロワットであった。 1930年代後半以後、日中戦争下で電力管理法施行や日本発送電設立(1939年4月)など国主導の電気事業再編(第1次電力国家管理)が進む中、神都電気興業の親会社九州水力電気は九州における民間事業者による事業再編の中心の一つとなった。すなわち、1940年(昭和15年)4月1日、傘下の各社、神都電気興業・延岡電気(宮崎県)・南豊電気(大分県)・昭和電灯(福岡県)・筑後電気(同)の5社を一挙に合併したのである。合併後、宮崎市には九州水力電気宮崎支部が置かれた。 合併後、電力国家管理が進展して日本発送電への統合強化と配電統制が推進され(第2次電力国家管理)、1941年(昭和16年)8月、「配電統制令」の施行に至る。同令に基づき全国を9ブロックに分割し、地区ごとに国策配電会社を新設してこれに既存配電事業を統合することとなった。九州地方では九州7県に沖縄県を加えた地域の配電事業を九州配電株式会社に統合する方針とされ、九州水力電気と九州電気(旧・熊本電気)・日本水電・東邦電力の4社が統合に参加するよう当局から命令をうけた。このうち九州水力電気は「配電株式会社となるべき株式会社」に指定され、翌1942年(昭和17年)4月1日の九州配電設立と同時に消滅した。
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