神都図書館・宇治山田市立図書館(1928-1955)
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1928年(昭和3年)5月1日、岩渕町(現在の伊勢市観光文化会館の隣)に宇治山田市立神都図書館が開館した。『三重県教育史』や『伊勢市史』は交修図書館を宇治山田市立神都図書館の前身と位置付けているが、伊勢図書館発行の『図書館概要』は神都図書館以前の歴史を記載していない。神都図書館は交修図書館から蔵書を引き継いだが、開館初年の蔵書数は1,892冊とわずかで、新聞や雑誌の閲覧を主な業務としていた。当時の所蔵新聞は大阪毎日新聞・大阪朝日新聞・時事新報・報知新聞・國民新聞・名古屋新聞・新愛知・伊勢新聞など、所蔵雑誌は『中央公論』・『女性』・『キング』・『婦人倶楽部』と少年雑誌3誌であった。開館年の閲覧者数は10,405人で四日市市立図書館、松阪町立図書館(現・松阪市松阪図書館)に次ぐ県内第3位、図書館費は3,315円で四日市市立図書館に次ぐ県内2位であった。 神都図書館の蔵書数の少なさを補うべく、図書館設置に尽力した人々は、市民に対して寄付や図書の寄贈を呼びかけ、自身も基金の創設や図書の寄贈を積極的に行った。1937年(昭和12年)の『三重県学事要覧』によれば当時の蔵書数は8,318冊で、閲覧者数27,332人、図書館費3,237円と、四日市市立図書館とともに県内の他の図書館を圧倒する実績を挙げていた。この背景には神都図書館が参宮急行電鉄宇治山田駅前にあって利便性が高かったことに加え、宇治山田市当局が図書館の重要性を認識していたことがあった。第二次世界大戦中は県内の多くの図書館が戦災に遭い、直接の被害がなくとも休館に追い込まれた中で、神都図書館は蔵書の一部を疎開させるなどしながらも業務を継続した。終戦の翌年・1946年(昭和21年)の蔵書数は57,742冊、閲覧者数は27,515人であった。1947年(昭和22年)、終戦による緊急措置で多くの図書が除籍された。 1949年(昭和24年)5月、神都図書館は宇治山田市立図書館に改称した。同年度の蔵書数は11,188冊、1日の平均閲覧者数は76人といずれも県内第3位であった。1950年(昭和25年)4月30日に図書館法が制定されると、小学校併設の小規模図書館が淘汰されていったが、宇治山田市立図書館はそのままの施設で維持された。しかし、1953年(昭和28年)に伊勢会館(伊勢市観光文化会館の前身)を建設するため、神都公会堂とともに解体されることになった。宇治山田市立図書館は、1954年(昭和29年)3月3日に国鉄山田駅(現在の伊勢市駅)前の観光物産館の付属建物に移転した。
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