硫安工場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 14:59 UTC 版)
北陸電化の硫安工場は、一旦石灰窒素を製造した上でそれから硫安を得る、という手法を採用した。同法による硫安製造の手順は、 酸化カルシウムに炭素原料(木炭・石炭・コークスなど)を加えて電気炉で加熱し、炭化カルシウム(カルシウムカーバイド)を製造。 粉末の炭化カルシウムを窒化炉で加熱し窒素と反応させ、石灰窒素とする。 石灰窒素を高圧水蒸気で分解しアンモニアを製造。 アンモニアを硫酸に吸収させて硫安とする。 というものである。ここでは中間製品になる石灰窒素自体も肥料として利用できるが、当時は一般的ではないためさらに硫安へと変成していた。日本における石灰窒素製造は、国外から特許実施権を得て1909年(明治42年)に開始した日本窒素肥料(現・チッソ)を嚆矢とし、同社にいた藤山常一が独立して創業した北海カーバイド工場(電気化学工業・現在のデンカの前身にあたる)が1913年(大正2年)より製造を始めてこれに続いていた。さらに第一次世界大戦が勃発して硫安の輸入が途絶するとにわかに国産硫安ブームが発生し、新興の石灰窒素・硫安メーカーが相次いで出現する。特に水量が安定的で落差に富む河川があり、原料となる石灰石資源に恵まれた北陸地方ではカーバイド工業が盛んになり、工場が相次いで建設された。北陸電化の硫安工場もその一つといえる。 北陸電化は硫安製造にあたって、藤山常一が持つ特許権を使用することになり、大田黒重五郎(電気化学工業専務)を介して申し込みを行った。また石灰窒素・硫安分野への進出を目的に、肥料メーカーの大日本人造肥料(現・日産化学)も北陸電化に資本参加した。設立翌年の1918年11月末時点では大日本人造肥料が4万5000株(出資比率37.5%)、電気化学工業が2万株(同16.7%)を持つ大株主であり、個人での筆頭株主山本条太郎の持株5600株を大きく上回る。 硫安工場の用地については複数の候補があったが、送電の都合、原料となる石灰石の調達や製品搬送の利便性などが考慮された結果、南条郡武生町(現・越前市)が選定された。西勝原発電所からは亘長約50キロメートルの66キロボルト送電線を繋いで電力の供給を受けた。
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