事業転換から大同製鋼へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:35 UTC 版)
「木曽電気製鉄」の記事における「事業転換から大同製鋼へ」の解説
電気製銑を中止した木曽電気製鉄(木曽電気興業)は、変化した鉄鋼業界の情勢を踏まえて調査研究を行い、鋳鋼部門への事業転換を決定した。そして1920年(大正9年)6月、鋳鋼事業へと切り替えるための事業認可申請を当局に提出し、正式に電気製鉄事業を断念した。同年7月19日、工場で1.5トンアーク式電気炉の火入れ式を挙行し鋳鋼の生産を開始。電気製銑とは異なって鋳鋼生産は軌道に乗り、やがて鋳鋼品の販路も順調に拡大して、海軍や鉄道省関連の鋼材も受注するようになった。ただし鋳鋼品は1918年2月から先行して電気製鋼所が生産していた品目であり、陸海軍や鉄道省への納入も行っていた点も同様である。 1921年2月の大同電力発足に伴い、木曽電気興業の鋳鋼工場は「大同電力名古屋製鉄所」に改称された。このとき大同電力は旧日本水力から福井県の硫安工場も引き継ぎ武生工場としたが、本業の電力事業とは事業状況が異なることから早々に分離方針が立てられ、同年11月17日付で名古屋製鉄所を引き継いで大同製鋼株式会社、武生工場を引き継いで大同肥料株式会社の2社がそれぞれ発足した。 新会社「大同製鋼」は発足翌年の1922年(大正11年)7月、電気製鋼所の事業のうち鉄鋼部門を引き継ぎ、株式会社大同電気製鋼所へと社名を変更した(電気製鋼所は木曽川電力に改称)。以降同社は順次事業を拡大し、1938年6月には社名を元の大同製鋼へと改称。第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、大同製鋼は企業再建整備法に基づき後継会社に事業を譲って解散したが、このとき設立された新大同製鋼という会社が現在の大同特殊鋼に繋がっている。
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