設立と役員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 16:11 UTC 版)
株式の払込み完了を受けて1911年(明治44年)4月5日、東京で創立総会が開催され、九州水力電気株式会社は発足した。設立時の資本金は800万円。「中津派」を中心に「東京派」「福岡派」からそれぞれ役員が選出され、「中津派」の一人で富士瓦斯紡績社長の浜口吉右衛門が初代社長に選出され、富士瓦斯紡績から転じた棚橋琢之助が専務取締役に就任した。「中津派」の中心人物である和田豊治は相談役となった。 その後の経営陣についても付記すると、初代の浜口が1913年(大正2年)12月に死去した後は鐘淵紡績会長の日比谷平左衛門が第2代社長に就任。その後も「東京派」の久野昌一(3代目・1921年就任)、「中津派」の森村開作(7代目市左衛門)(4代目・1924年就任)、「東京派」の大田黒重五郎(6代目・1934年就任)と設立時からの役員より社長が選ばれた。この間の5代目社長(1928年就任)は「福岡派」中野徳次郎に代わり途中で役員に加わった九州の炭鉱業者麻生太吉である。1936年(昭和11年)に九州財界の重鎮松本健次郎が7代目社長に就任し、松本が1938年(昭和13年)に会長へ転じて第一線から退くと初代社長浜口吉右衛門の弟木村平右衛門が副社長から昇格して第8代社長となった。 なお会社の本社は事業地の九州ではなく東京市内にあった。しかし麻生社長時代の1931年(昭和6年)6月に本社と出張所の役割が入れ替えられ、本社は福岡市へと移された。
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