設立と大統領選敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 00:02 UTC 版)
「社会発展国民運動」の記事における「設立と大統領選敗北」の解説
1987年11月、クーデターでアリー・セブ率いる軍事政権「最高軍事評議会」が成立。その中で軍政の支持基盤として、また唯一の合法政党として1989年に成立したのが社会発展国民運動(MNSD)である。1989年12月には民政移管を控えた大統領選挙が行なわれ、MNSDのアリー・セブが当選。最高軍事評議会は廃止され、軍人の政治的影響力が色濃く残ったまま、民政に移管した。しかし複数政党制を求める声が依然強く、1990年11月に複数政党制へ移行した。1991年のMNSD議長(党首に相当)選で元最高軍事評議会議員のタンジャ・ママドゥが、対立候補のムムニ・アダム・ジェルマコワイ元外務国際協力相を破り当選。1993年の大統領選にはママドゥが出馬した。だがその前哨戦となる1993年2月の議会選で、野党6党の政党連合変革勢力同盟がMNSDを大差で破り、次いで3月の大統領選でも民主社会会議(CDS)のマハマヌ・ウスマン党首が当選し、MNSDは敗北した。
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