タンジャ・ママドゥとは? わかりやすく解説

タンジャ・ママドゥ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 13:25 UTC 版)

タンジャ・ママドゥ
Tandja Mamadou

タンジャ・ママドゥ

任期 1999年12月22日2010年2月18日

任期 2005年2007年

出生 1938年
フランス領西アフリカ
ディファ州メーヌ・ソロア県
死去 2020年11月24日(82歳没)
ニジェールニアメ
政党 社会発展国民運動

タンジャ・ママドゥTandja Mamadou, 1938年 - 2020年11月24日)は、ニジェールの政治家。退役陸軍中佐。第5代大統領、内相、駐ナイジェリア特命全権大使を歴任したほか、軍の幹部も務めた。少数民族カヌリ人出身。ママドゥ・タンジャとも。

生涯

1950年代半ばにニジェール軍入隊、マリ共和国マダガスカルの軍士官学校で学ぶ。1974年のセイニ・クンチェ陸軍参謀長によるクーデターに深く関与し、1989年まで軍事政権「最高軍事評議会」の評議員。1991年に退役し、社会発展国民運動(MNSD)党首に。1993年・1996年の大統領選で落選したが、1999年11月の大統領選で当選し、12月22日から現職。大統領就任に伴い、MNSD党首の座を降りた。2004年の大統領選で再選を果たした。

2期目の大統領任期は2009年に終了する規定となっていたが、同年、新憲法が国民投票で採択されたことにより、新憲法施行までの暫定政権を率いる大統領として、2012年までの留任が決定した。また同時に、旧憲法に存在した3選禁止規定が新憲法では削除され、2012年以降の大統領職続投も可能となった。 だが、2010年2月18日に国内で軍事クーデターが発生し、身柄を拘束され失脚した[1]。その後、クーデターにより権力を掌握した軍事政権が採択した新憲法案が2010年11月の国民投票英語版で可決され、ママドゥの企図した大統領権限を強化する新憲法は葬り去られた[2]

2020年11月24日に首都ニアメで82歳で死去[3]

出典


関連項目

公職
先代
ダオダ・マラム・ワンケ
(国家和解評議会議長)
ニジェール共和国大統領
第5代:1999 - 2010
次代
サル・ジボ
(民主主義復興最高評議会議長)
外交職
先代
ジョン・アジェクム・クフォー
西アフリカ諸国経済共同体議長
第23代:2005 - 2007
次代
ブレーズ・コンパオレ






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