民主主義復興最高評議会とは? わかりやすく解説

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民主主義復興最高評議会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/07 04:40 UTC 版)

民主主義復興最高評議会(みんしゅしゅぎふっこうさいこうひょうぎかい、フランス語: Conseil suprême pour la Restauration de la Démocratie、略称CSRD)は、2010年2月18日ニジェールにおいて軍事クーデターを起こし、実権を握った軍事政権。議長はサル・ジボ[1][2][3]。CSRDは、「ニジェールをよき民主主義と統治のモデルにする」ことをクーデターの目的と主張した[4]

クーデターの原因

この軍事クーデターは、タンジャ・ママドゥ大統領が2009年8月に憲法を改正し、憲法で定められた任期を超えて国家元首の座に留まることを可能にしたことで発生した[4]

活動

CSRDはタンジャ・ママドゥ大統領を退陣させ兵舎に拘束した後、ニジェールの第六共和制 (ニジェール)フランス語版憲法を廃止し[5]、全ての国家機関を解散させた[4]

メディアに対しては、ニジェールは今後、民主主義と良き統治のモデルとなるよう統治されると発表した。

クーデター後の2日間、何千もの人々が軍事政権と、その民主主義を導入するという目的を支持するデモを行った[6]

2010年10月に新憲法案が国民投票で9割以上の賛成を得て承認され、2011年3月12日に大統領選挙を実施。ニジェール民主社会主義党議長のマハマドゥ・イスフが当選し4月7日に就任宣誓を行い民政移管が果たされ、CSRDはその役割を終えた[7]

主要メンバー

脚注




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