民主主義回復フォーラム・アシリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 組織・団体 > 政治組織 > 政党 > ケニアの政党 > 民主主義回復フォーラム・アシリの意味・解説 

民主主義回復フォーラム・アシリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 02:24 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

民主主義回復フォーラム・アシリ(みんしゅしゅぎかいふくフォーラム・アシリ、民主回復フォーラム・アシリ英語: Forum for the Restoration of Democracy – Asili)は、ケニア政党。通常、FORD-Asili(フォード・アシリ)やFORD-Aの略称で呼ばれる。 「アシリ」はスワヒリ語で「元祖」「本家」「オリジナル」の意。

FORD-Asiliの起源は1991年複数政党制を求めて結成された政治運動(のちに政党)である民主主義回復フォーラム(FORD)である。民主化の進展に伴い全国規模の政党に成長するが、総選挙を目前に路線対立が先鋭化し、1992年8月、2つの派閥に分かれた。

長老政治家ジャラモギ・オギンガ・オディンガを中心とするオディンガ・キジャナ派(またはFORD-Agip)はナイロビ、ハイレ・セラシエ大通りにある元の党本部(アジップ館、Agip House)に残り、一方ケネス・マティバ、マーティン・シククら(FORD-Muthithi)はナイロビ郊外のウェストランズ英語版に移った。

結局、1992年ケニア総選挙英語版を前に党は、ジャラモギ・オギンガ・オディンガを中心とする民主主義回復フォーラム・ケニア(FORD-K)とケネス・マティバを中心とする民主主義回復フォーラム・アシリ(FORD-A、FORD・アシリ)に分裂した。FORD・アシリはケネス・マティバを大統領候補に擁立したが野党分裂の影響もあり、現職のダニエル・アラップ・モイ大統領の再選を許した。また、議会選挙では中央州ムランガ県や東部州西部州で票を集め、31議席を獲得した[1]

1997年、ケネス・マティバとマーティン・シククが大統領選挙などをめぐって対立し、シククが党の大統領候補となったが、党勢は凋落し、シククの得票率はわずか0.6パーセントに終わった。議会選挙でも1議席を得るにとどまった。

2002年ケニア総選挙英語版では、議会選挙で212議席中、2議席を得るにとどまった。大統領選挙では候補者を擁立せず、ムワイ・キバキ候補を支持した [2]

2007年ケニア総選挙英語版でも、現職のキバキ大統領を支持した。議会選挙ではジョン・カウリキが当選し1議席を得た。なお、キバキ支持の方針に反対したケネス・マティバは独自に大統領選挙に立候補したものの得票率は0.081パーセントに過ぎなかった。

脚注

  1. ^ http://www.ipu.org/parline-e/reports/arc/2167_92.htm
  2. ^ http://article.wn.com/view/2002/10/26/FordAsili_to_Back_Kibaki_for_Presidency/




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「民主主義回復フォーラム・アシリ」の関連用語

民主主義回復フォーラム・アシリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



民主主義回復フォーラム・アシリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの民主主義回復フォーラム・アシリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS