設立と反動不況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:28 UTC 版)
第一次世界大戦中、日本は空前の好景気となり、多くの財閥が商社を設立した。1918年(大正7年)3月に浅野財閥は米国グレース商会と共同出資で浅野物産を設立したが、資本金が他の財閥商社の十分の一以下の、百万円という小さな会社だった。戦後の反動不況で古河商事(古河財閥)・久原商事(久原財閥)・鈴木商店が経営破綻した。浅野物産も大きな赤字を出したので、グレース会社は持株全部を浅野財閥に譲渡して撤退した。その1920年(大正9年)に橋本梅太郎が取締役に就任すると、従来の思惑買いをやめて堅実な手数料主義を経営方針にして、それ以後常に利益を出した。1923年(大正12年)には関東大震災で被害を受けたが、翌日から業務を再開し復興材料の輸入に全力を注いで、被害を相殺した。
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