九水による買収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 13:55 UTC 版)
九州電気軌道と九州水力電気の「電力戦」は、1927年(昭和2年)に相互不可侵と電力融通を骨子とする協定を結びなおしたことで一旦落ち着き、1929年には株式の持ち合いによる提携強化も図られたが、結局は対立が続いていた。この間の1928年(昭和3年)10月、九州水力電気では筑豊有数の炭鉱経営者である麻生太吉が社長に就任する。麻生の社長就任後、同社は積極的な企業買収と事業の再編成を推進し、九州電気軌道に対しては経営権掌握に動き出した。 九州水力電気が経営権掌握に向けて動き出した当時、九州電気軌道の大株主は、1920年6月より専務取締役を務める松本枩蔵であった。松本は社長松方幸次郎の妹婿で、昭和金融恐慌の影響で経営する川崎造船所や十五銀行が破綻した松方に代わって1930年(昭和5年)6月に九州電気軌道の2代目社長に就いた。この流れの中で十五銀行が持っていた九州電気軌道の株式約10万株や松方個人の持ち株8万株余りが松本に移ったため、松本は九州電気軌道の株式35万株を抱えるに至った(当時の資本金は5,000万円、総株数は100万株)。九州水力電気は取締役大田黒重五郎を介して松本に接触、株式の売買を打診し、買収話を取りまとめた。そして1930年8月、九州水力電気は九州電気軌道の株式35万株すべてを子会社九州保全名義で譲り受けた。この対価として九州保全は松本に対し九州水力電気6分利付き社債2,500万円を交付している。 株式の移転後、九州電気軌道では1930年10月の株主総会で松本枩蔵が社長を辞任し、代わって大株主となった九州水力電気から取締役の大田黒重五郎が第3代社長に、専務の村上巧児が新専務として送り込まれた。かくして九州水力電気は九州電気軌道の経営権を掌握した。この後、両社の間では送電連系の強化と「電力戦」により生じた二重設備の整理が進められ、その結果両社の間での電力送受電量は急増、九州水力電気の水力発電と九州電気軌道の火力発電を連携した「水火併用」の運用が実現した。また1931年(昭和6年)11月には小倉市の埋立地にて建設中の小倉発電所が完成、新発電所による発電コストの低下が図られた。
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