九軌時代とは? わかりやすく解説

九軌時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:23 UTC 版)

松本枩蔵」の記事における「九軌時代」の解説

1908年明治41年12月松方正義三男で枩義兄にあたる松方幸次郎初代社長として北九州九州電気軌道九軌)が設立された。枩1911年明治44年)までに同社支配人となっているのが確認できる社長の下には松方幸次郎代理人久保正助専務取締役としていたが、1913年大正2年12月退任し入れ替わりで枩取締役就任した1920年大正9年6月には専務取締役昇格している。 九州での事業軌道に乗ると枩暮らし派手になり、大阪空堀本邸では妾2人を住まわせ、さらに洋館別館建てて帝国ホテルコック引き抜き来客フランス料理ふるまっていたという。また自宅大規模な茶会催しさらには東京国立博物館借りて自慢美術品コレクション展覧会を開くなど、数寄者としても有名であった。枩骨董収集に熱心だった理由のひとつには、養父重太郎が全財産を失くした際に手放した美術品数々買い戻したいという気持ちあったからという。 義兄松方幸次郎経営する川崎造船所昭和金融恐慌影響破綻してしまい、その後独自の新事業立ち上げるとの理由設立以来務めてきた九州電気軌道社長辞任した。これを受けて専務の枩社長に昇格し1930年昭和5年6月27日付で九州電気軌道第2代社長となった。 枩経営する九州電気軌道は、当時鉄道事業のほか電気供給事業も営む電力会社でもあった。そして同社は、北九州工業地帯筑豊の諸炭鉱への電力供給をめぐり、九州有数電力会社九州水力電気(九)と対立していた。この九州水力電気は、1928年昭和3年)に筑豊有数炭鉱麻生太吉社長に就任する九州電気軌道経営権掌握目指すうになる株式買収目標とされたのが、松方に代わって100万資本金5,000万円)のうち約35抱え大株主となっていた枩であり、取締役大田黒重五郎接触し、枩から株式譲り受け承諾得た1929年昭和4年8月九州水力電気重役会は大田黒に枩との交渉一任することを決定その後売買手続き進め1930年8月九州水力電気は枩からの九州電気軌道株式35買収成功した。枩にはその対価として九州水力電気6分社債2,500万円交付されている。 株式手放したは、1930年10月8日付で九州電気軌道社長辞任。枩に代わって大田黒第3社長となり、その下に村上巧児専務就任し、さらに麻生太吉取締役となって九州水力電気九州電気軌道経営掌握した

※この「九軌時代」の解説は、「松本枩蔵」の解説の一部です。
「九軌時代」を含む「松本枩蔵」の記事については、「松本枩蔵」の概要を参照ください。

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